継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
ある男が私の前に現れ、「スマホに、撮った覚えのない写真がある」と言った。それ自体は珍しくない。酔った夜、無意識にシャッターを押すことはある。問題は、その写真の撮影時刻だった。
私は彼の話を、そのまま記録する。
日曜日の朝だった。
十時過ぎに目が覚めた。カーテンの隙間から差す光が白い。昨夜は遅くまで映画を見ていたから、目覚めは悪くなかった。枕元のスマートフォンを手に取り、通知を確認する。LINEが二件。ニュースアプリの速報。天気予報。どれも急ぎではない。
布団の中でそのまま、カメラロールを開いた。
先週撮った写真を見返すつもりだった。金曜に同僚と行った居酒屋の料理。土曜にスーパーで買った食材。それだけのはずだった。
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カメラロールのいちばん上に、見覚えのない写真があった。
夜の風景だった。街灯に照らされた道路。歩道の脇に植え込みがあり、その奥に古いアパートの外階段が見える。構図は水平で、歩きながら撮ったような揺れはなかった。立ち止まって、意図的にシャッターを押した写真だ。
彼はその写真を拡大した。アパートの外壁に、錆びた郵便受けが並んでいた。三つ。その横に「第二美和荘」という表札がかすかに読めた。
知らない場所だった。
スクロールすると、同じような夜の写真が続いていた。どれも暗い。どれも静かな場所だった。住宅街の路地、公園のベンチ、閉まった商店のシャッター、川沿いの遊歩道。すべて無人で、すべて同じ夜に撮られたように見えた。
彼は枚数を数えた。
五十枚あった。
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撮影日時は全て同じ日付だった。昨夜——土曜日の午後十一時から始まっている。
一枚目、二十三時〇一分。街灯の道。
二枚目、二十三時〇四分。路地。
三枚目、二十三時〇八分。公園のベンチ。
間隔は三分から五分。誰かが歩きながら、一定のペースで撮影を続けたことが分かる。
彼は昨夜の自分の行動を思い返した。映画を見始めたのは二十一時頃。途中でビールを一本開けた。映画が終わったのは二十三時半過ぎ。そのまま歯を磨いて、布団に入った。外には出ていない。
出ていないはずだった。
スマートフォンのスクリーンタイムを確認した。カメラアプリの使用時間が記録されている。昨夜の二十三時〇一分から〇時二十三分まで。一時間二十二分間、カメラが起動していた。
そのとき彼は映画を見ていた。スマートフォンは枕元に置いてあった。触っていない。
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写真を一枚ずつ見直した。
どの風景にも見覚えがなかった。自分の生活圏ではない。職場からも、自宅からも離れた場所のように見えた。
二十七枚目で、手が止まった。
古い木造のアパート。二階建て。外壁のモルタルが剥がれかけている。玄関灯の下に、小さな花壇。手入れされていないが、雑草の中にマリーゴールドが三本だけ残っていた。
彼はこの場所を知っていた。
五年前に一度だけ訪れた場所だった。大学時代の友人が住んでいたアパート。住所は覚えていない。最寄り駅の名前すら忘れていた。忘れていたのではなく、思い出さないようにしていた。帰り道で、もう二度とここには来ないと決めた。理由は今となっては曖昧だが、決めたことだけは覚えている。
それでも写真を見た瞬間、記憶は鮮明に蘇った。あの日の午後の光。狭い玄関。友人が淹れてくれたインスタントコーヒーの味。
五年間、意識の底に沈めていた場所の写真が、昨夜のカメラロールに残されていた。
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三十八枚目以降、写真の性質が変わった。
風景ではなくなった。室内の写真になっていた。
暗い部屋。天井の照明は消えている。窓から入る外の明かりだけで、輪郭がかすかに浮かんでいる。ベッド。本棚。デスクの上のノートパソコン。
彼の部屋だった。
三十八枚目から四十九枚目まで、十二枚。すべて彼自身の部屋を、異なる角度から撮影したものだった。ベッドの横から。デスクの前から。本棚の隅から。クローゼットの方向から。
部屋の中を、誰かが歩き回っている。
彼は写真を並べて比較した。そして、気づいた。
三十八枚目の枕元に、読みかけの文庫本が伏せて置かれている。
四十枚目では、その本が五センチほど、ベッドの中央寄りに動いている。
四十三枚目では、本の上に眼鏡が重ねられている。
四十六枚目では、眼鏡だけが残り、本は消えている。
撮影されたのは同じ夜、わずか十数分の間だ。その間に、枕元の物が少しずつ動いている。彼自身が動かした記憶はない。彼はそのとき眠っていた。
四十二枚目に、布団が写っていた。布団の中に、人の形がある。膨らみが、呼吸するように見えた。
自分だ。自分が寝ている。
誰かが——自分が眠っている部屋の中を歩き回りながら、静かに枕元の物に触れ、一枚ずつ、写真を撮っている。
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五十枚目を開いた。
自分の顔だった。
寝顔のアップ。目を閉じている。口が少し開いている。頬に枕の跡がついている。スマートフォンのカメラが至近距離から、彼の顔を撮影していた。距離は三十センチもなかっただろう。
撮影時刻を確認した。
今夜の午前三時〇〇分。
彼はその数字を三回見た。日付を確認した。今日——日曜日の午前三時。
まだ来ていない時刻だった。
現在は日曜日の午前十時十八分。五十枚目の写真は、今夜——十七時間後の時刻に撮影されたことになっている。
彼は撮影データの詳細を開いた。位置情報は記録されていなかった。使用されたカメラはインカメラ。フラッシュなし。解像度は通常通り。ファイルサイズも正常だった。
時刻だけが、狂っていた。
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「時刻の設定がおかしかったのでは」と私は聞いた。
「確認しました。自動設定です。手動で変えたことはありません」
「写真を誰かに見せましたか」
「いいえ。誰に見せればいいんですか。スマホに入っている自分の寝顔を」
彼はテーブルの上にスマートフォンを置いた。画面を下にして。
「一つだけ、どうしても分からないことがあるんです」
「何ですか」
「二十七枚目の場所——思い出さないようにしていたアパートです。住所も覚えていない。地図を見ても辿り着けない。スマホの検索履歴にもない。なのに、昨夜の写真にある」
彼は手元を見た。
「僕がその場所を忘れようとしていても、写真は覚えていた。いや——撮った何かが、覚えていた。僕よりも正確に。僕が思い出したくなかったことまで」
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残りは八十七本。
記録を書き終えたあと、私は自分のスマートフォンのカメラロールを開いた。知らない写真は見当たらなかった。
だが、その後——彼から連絡があった。
午前二時五十七分。カメラアプリが勝手に起動したという。
画面には、インカメラの映像が映っていた。暗い天井。自分の顔。
動けなかった。指一本動かせば、三分後に届く写真を阻止できる気がした。だが動けなかった。
二時五十八分。スマートフォンが手のひらに熱を伝えてきた。何かが内部で処理を続けている発熱。本来、カメラを起動しただけではこんなに熱くならない。
二時五十九分。画面越しに、自分の顔の背後が見えていた。天井の隅。壁との境界線。そこに、さっきまでなかった濃さの影が溜まっていた。ただの暗がりではなかった。暗がりが、輪郭を持ち始めていた。
部屋は静かだった。冷蔵庫のモーター音さえ、なぜか聞こえなかった。
三時〇〇分——シャッター音は鳴らなかった。
代わりに、カメラロールに五十一枚目の写真が追加されていた。
目を開けた自分の顔だった。
彼は震える指で、写真を拡大した。瞳を拡大した。
黒目の中に、反射するものがあった。輪郭。人の形をしていた。スマートフォンを構えた誰かの形だった。
彼の部屋には、彼以外の人間はいなかったはずだった。
この話を読んだ後、
ふとスマホのカメラロールを開いて、
見覚えのない写真がなかったか確認してしまったなら——
それがこの怪談の成功です。
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