継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~   作:yami_craft

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これは私が記録した、十五本目の違和感である。

語り部は、このたび初めて、私ではない人間だった。
場所も、立場も、年齢も、まるで違う人間が——それでも私と同じように、説明できない何かに引き寄せられていた。


第十五話:3年B組の空席

雨の降る平日の夕方、私はいつもの喫茶店でノートを整理していた。

 

記録の密度が、ここ数日で増している。理由は分からない。

 

隣の席に人が来たのは、三十分ほど経ってからだった。制服姿の女子高生。紺のブレザー。学校指定の鞄を椅子の背に掛け、スマートフォンを取り出し、注文を終えると、画面に目を落とした。

 

しばらく静かだった。

 

「……マジで怖いんだけどこれ。なんで見ちゃったかな」

 

独り言だった。誰かに向けた声ではなかった。

 

スマートフォンの画面を見たまま、今度は少し間を置いて。

 

「写真に写ってるじゃん……」

 

私はペンを置いた。

 

 

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「失礼ですが」と私は言った。

 

彼女は顔を上げた。警戒した目だった。

 

「怖い話ですか」

 

「……そうですけど」少し間があった。「何ですか」

 

私はノートを見せた。違和感を記録していること。説明できない体験を集めていること。できるだけ短く話した。

 

彼女の目が変わった。

 

「え、私もです。怪談、集めてます」

 

声が大きくなった。周りの客が一瞬こちらを見た。彼女は気にしなかった。

 

「ちょうどいい話あるんですよ。学校のやつ。聞きますか、先生」

 

最後の二文字が引っかかった。

 

「なぜ先生と」

 

「……なんか、そう思っただけです」

 

それ以上の説明はなかった。彼女は水瀬凛と名乗った。高校二年生。私は記録する準備をした。

 

 

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「三年B組に、誰も座らない席があるんですよ」と彼女は言った。

 

窓側の後ろから三番目、右の列。

 

最初から気になってたんです、と凛は言った。誰も座らない。椅子がある、机がある、でも誰も座らない。授業中も、休み時間も。

 

おかしくないですか——と声に出してから、彼女は少し考えた。

 

「いや、もっとおかしいのがあって。その席、ちょっとだけ引かれてるんですよ、いつも。誰もいないのに。毎朝、教室に入るたびに、その席の椅子だけ、机から少し引かれてる」

 

私は書いた。

 

「誰かが引いたんじゃないですか」

 

「放課後に戻してみたんです。机にぴったりつけて。次の朝、また引かれてました。二週間続けました。毎朝、引かれてました」

 

彼女はアイスティーを一口飲んだ。

 

「誰かいる、と思いますよね、普通。でも誰もいない。絶対いない」

 

 

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名簿を確認した、と凛は続けた。

 

クラスの名簿に、名前があった。

 

カタカナで「イシカワ ユウ」と印刷されていた。担当の先生に聞いたら「そういう生徒は把握していない」と言われた。クラスの子に聞いたら、三十五人全員が知らなかった。「最初から空いてた」と言う子と、「なんかいた気もするけど顔が思い出せない」と言う子と、「え、あそこに席ある?」と言う子がいた。

 

ヤバくないですか。

 

「漢字が気になって、名簿を何度も見たんですけど」

 

彼女は少し口ごもった。

 

「ふりがながカタカナで「ユウ」って書いてあって、漢字は……なんか崩れてて、読めなくて」

 

どう崩れていたかを聞いたが、凛はうまく説明できなかった。「なんか、見たことない字の形だった」とだけ言った。

 

 

────────────────

 

 

近くを通ると呼ばれる気がする、と凛は言った。

 

体育の時間、教室を横切るとき、あの席の前を通らないといけない。通るたびに——誰かが自分の名前を知っている、という感覚がある。「凛」って。声ではない。でも、呼ばれている。

 

「クラスには言ってないです。言ったら変な目で見られるから」

 

彼女は視線をテーブルに落とした。

 

「机の引き出しを一回だけ開けたことがあって」

 

「何が」

 

「髪ゴムが一個だけ入ってました。誰のかは分からないんですけど、古い感じの。でも埃とかなくて、わりと最近まで誰かが使ってた感じがして。それが一番……」

 

彼女は続けなかった。

 

 

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先月、写真を撮った、と凛は言った。

 

放課後、誰もいない教室で。

 

実際に見ると空席だった。椅子が、また引かれていた。机がある。誰もいない。スマートフォンを構えてシャッターを押した。

 

撮った直後、画面を確認した。

 

「手が止まりました」

 

空席のはずの席に、後ろ姿の女の子が映っていた。

 

制服だった。紺のブレザー。黒い髪、ショルダーくらいの長さ。机に向かって座っている。こちらを向いていない。ただ前を向いて、座っている。

 

顔は見えない。

 

「もう一枚すぐ撮ったんですよ」

 

「写りましたか」

 

「写らなかった。二枚目は普通の空席で」

 

一枚目だけに映っていた。

 

「でもその一枚、ちょっと変なんですよね。窓から午後の光が入ってたんですけど——その子の影の向きが、窓と合ってないんです。光源がどこにあれば、あの方向に影が落ちるのか、分からなくて」

 

私は記録した。影の方向。窓の位置。

 

「消せないんですよ、その写真。消そうと思ったことがないというか」

 

「なぜ」

 

彼女はしばらく黙った。

 

 

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「その子、お父さんに会えたのかな、ってずっと思ってて」

 

声が少し低くなった。

 

「私のお父さん、小学生のときに亡くなってて。事故で。しばらくして、夢で会ったんです。お父さんが「凛、怖い話が好きだったよな、また聞かせてくれ」って言って。それからなんか、怪談集めるようになったんです。変ですよね」

 

変ではない、と私は言わなかった。

 

「イシカワさんも、誰かに会いたかったのかもしれないな、と思って。証拠とかじゃなくて、なんとなく。後ろ姿の写真見てたら、そう思えてきて。だから消せないんだと思います」

 

喫茶店の中に、静かな時間があった。

 

雨の音だけが聞こえた。

 

 

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残りは八十五本。

 

カフェを出るとき、凛は「また話しますね、先生」と言った。

 

翌日、彼女から短いメッセージが届いた。

 

もう一度、名簿を確認したという。イシカワ ユウの欄。緊急連絡先の携帯番号。

 

それが——自分の番号と、一桁も違わなかった、と。

 




百物語、第十五話。

新しい語り部が現れた。
高校二年生、水瀬凛。亡き父のために怪談を集める女子高生。

彼女のクラスに、誰も座らない席がある。
名簿には「イシカワ ユウ」とある。でも三十五人全員、その子を覚えていない。

毎朝、椅子だけが引かれている。机の引き出しに、誰のものか分からない髪ゴムが一個。

放課後に撮った写真には、後ろ姿の少女が映っていた。
影の向きだけが、窓と合っていなかった。

転校先に記録はなかった。
そして——名簿の緊急連絡先に残された番号は、凛自身の番号と一桁も違わなかった。

「その子、お父さんに会えたのかな」
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