継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~   作:yami_craft

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これは私が記録した、十八本目の違和感である。

路線図にない駅で降りてしまった男の話だ。

その男は二週間前、仕事帰りの電車の中で私に声をかけてきた。見知らぬ相手だったが、私が記録ノートを開いていたことを気にしていたようだった。「それ、何を書いているんですか」と聞いてきた。私は「変なことを集めている」と答えた。すると彼は少し迷う顔をして、「じゃあ、聞いてくれますか」と言った。


第十八話:誰も知らない駅

それは先月の、金曜日の夜だったという。

終電まで一本前の電車に乗った。仕事が長引いて、最終確認のメールを送ったのが二十二時を過ぎていた。いつもより遅い。胃の重さが残っていた。改札を通り、ホームに降り、来た電車に乗った。端の席を探して座る。座るなり、目を閉じた。特に眠ろうとしたわけではなかった。ただ目を閉じたかった。

吊り革が揺れる音。レールの継ぎ目を越えるたびに床が震える。遠くで誰かの咳が一度。それきり静かになる。

次に気がついたとき、電車は止まっていた。

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ドアが開いていた。

空気が流れ込んできた。

地上の駅ではなく地下を走る路線だった。どの駅でも空気は独特の重さを持っているが、そのとき流れ込んできたものは違った。土の匂いがした。深い場所の湿り気だった。

男は顔を上げた。

窓の外がホームだった。ただし、それは見覚えのないホームだった。

柱が古かった。錆の出た鉄骨が天井を支え、剥がれかけたタイル壁に薄いライトが二本並んでいる。そのライトの光は白ではなく黄みがかっており、駅全体が夕暮れの直前のような色をしていた。

誰もいなかった。

乗降客が一人もいない。ホームに、誰も立っていない。

扉が開いたまま、電車は停まっていた。

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男は他の乗客を確かめようとした。座席を見回した。車両の中にも誰もいなかった。

いつのまにか、一人になっていた。

路線図を探した。ドアの上の電子案内板は消えていた。窓の外のホームに看板はあったが、駅名が書かれていなかった。案内板の枠だけがあって、中が空白だった。

男は立ち上がった。

乗り換えを確認する必要があった。もしくは、単に今どこにいるのかを知る必要があった。降りよう、と思った。ホームに足を踏み出した。

ドアを通り抜けると、土の匂いがさらに濃くなった。靴底に、乾いたタイルの感触があった。

ホームの端まで歩いた。その先に、時刻表が掲示されていた。

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近づいた。

字は読めた。路線名と、停車駅と、時刻が並んでいた。

日付が書いてあった。

時刻表には必ず「改訂日」が記載されている。その欄に書かれた数字を、男は一度読み、また読んだ。

十七年前の日付だった。

他の時刻も確かめた。最終電車の時刻、始発の時刻、平日と土休日の区分。欄の作りは現在の路線と同じだった。しかし、そこに記された日付は例外なく、すべて過去のものだった。最も新しい改訂日でも、八年前だった。

男は時刻表から目を離した。

改札に向かうことにした。

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改札は一基だけだった。

古い自動改札機で、現行機よりも薄く、ランプが一灯点いているだけだった。

その手前に、人がいた。

制服を着た駅員だった。年齢が分からなかった。若くも老いてもいなかった。顔の表情は、何かを確認しているような、静かな顔だった。

男が改札に手を伸ばしたとき、駅員が口を開いた。

「——あなた、ここから出たら戻れませんよ」

声は低く、特に強調もなかった。事実を告げているような、ただそれだけのトーンだった。

「ここは出口じゃなくて、終点ですから」

男は動きを止めた。

「終点、とは」

「ここから先に行ける電車は、ありません。戻る電車は、さっきの電車だけです」

駅員はホームの方を見た。電車はまだそこにいた。ドアは開いていた。

「あなたが乗ってきた電車です。まだいます」

男は振り返った。

確かに、ドアが開いたまま停車していた。

「——乗ります」

自分でも驚くほど早く、そう言った。駅員は何も返事をしなかった。

男は改札を背にして、ホームを歩いた。電車に乗った。ドアが閉まった。

発車した。

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気がついたとき、電車は次の駅のホームに止まっていた。見慣れた駅だった。看板に、知っている駅名が書いてあった。

男は乗り換え線に移り、終電一本前で自宅の最寄り駅に戻った。

部屋に帰り、鍵を閉め、コートを脱いだ。

冷蔵庫から水を取り出した。一口飲んだ。

その駅の名前を、思い出そうとした。

出てこなかった。

どの駅と駅の間で降りたのかも、はっきりしなかった。何線だったかは分かっているのに、その駅だけが路線の上に存在していない感覚がした。

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翌朝、乗換案内アプリの履歴を確認した。

前夜の帰宅経路が記録されていた。乗車駅から乗換駅、最終乗車区間まで。

その区間の途中に、余分な駅は一つも記録されていなかった。

途中下車の記録はなかった。

────────────────

「あの駅から引き返せたのは、たまたまだったと思います」と、男は言った。「駅員がいなければ、そのまま改札を出ていたと思うので」

私は何も言わなかった。

「あの人は親切だったのか、そうじゃないのか、今でも分からないんです」

電車が駅に着いた。男は立ち上がり、私に軽く頭を下げて降りていった。

記録した。十八本目の違和感を、ここに残す。

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