継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
二十七本目は、自分の引き出しの中にあった。
晴れた日曜の午後、机の一番下の引き出しを開けた。
何年も、開けていなかった引き出しだった。
中には、古い領収書や、使わなくなった充電器や、どこかでもらった冊子の類いが、雑然と入っていた。
捨てるものを選ぼうとして、私は、底のほうから、一通の封筒を取り出した。
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茶封筒だった。
宛名は、なかった。
切手も、消印も、ない。
封は、糊付けされていなかった。差し込み式の留め具を、起こすだけで、開いた。
中には、紙の束が入っていた。
四十枚ほど、あった。
紙は、市販のレポート用紙だった。私が、原稿を書くときに、使うのと、同じ銘柄だった。
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書かれていたのは、誰かの、日記のようなものだった。
日付の代わりに、「一日目」「二日目」と通し番号が振られていた。
内容は、ある男の、ある一年分の、生活の記録だった。
男の名前は、出てこなかった。
だが、自分のことを「俺」と呼んでいた。
朝の起き方、通勤に使っている路線、勤め先のIT企業の名、上司の苗字、付き合っている女性のあだ名、毎週土曜の晩飯。
細密だった。
一枚目を、読み終えるまでに、十分かかった。
二枚目を、読み始めて、私は、引き出しの底に、手を置いた。
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筆跡が、私のものだった。
癖のある「あ」の、最後の払い。
左にわずかに流れる「し」の、湾曲。
文末の句点が、いつも、紙の罫線のほんの少し外側に、はみ出してしまう癖。
それが、四十枚分、続いていた。
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書かれていた男は、私ではなかった。
仕事が違う。住んでいる街が違う。家族構成が違う。
通勤に使っている路線も、私の家の最寄りからは、つながっていなかった。
だが、十二日目の記録に、男の生年月日と、血液型と、出身地が、書いてあった。
私と、同じだった。
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私は、レポート用紙を、一枚ずつ、読んでいった。
男は、平日は仕事に行き、土曜は同僚と飲み、日曜は彼女と過ごし、月曜の朝、また仕事に行った。
読んでいるあいだに、男の上司の苗字が、二度、出てきた。
二度目に出てきたとき、その苗字を、私は、思い出した。
──思い出した。
私は、その上司の顔を、知っていた。
眼鏡のフレームの色まで、知っていた。
その上司に、会ったことは、なかった。
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最後のページに、たどり着いた。
ページの中ほどで、男の記述が、終わっていた。
男は、月曜の朝、いつも通り目を覚まし、朝食を食べ、家を出た。
それで、終わりだった。
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ページの下のほうに、別の文が、書き足されていた。
行を変え、少しだけ、文字が大きく書かれていた。
——この人生に慣れたら、次の人生に移れ。
その下に、日付が、書かれていた。
今日の日付だった。
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私は、引き出しの中の領収書を、もう一度、見た。
一番新しい日付のものは、二〇一八年のものだった。
七年、開けていない引き出しだった。
中の封筒は、私が、二〇一八年から、ずっと触れていなかったはずのものだった。
──私は、しばらく、動かなかった。
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封筒を、引き出しに戻した。
紙の束を、封筒の中に、戻した。
留め具を、元どおりに、差し込んだ。
引き出しを、閉めた。
それから、私は、コーヒーを、淹れに行った。
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コーヒーを淹れている間、私は、何度か、その上司の顔を、思い出した。
眼鏡のフレームの色。
声の高さ。
机の上の、家族写真の、フレーム。
息子は、まだ、小学生だった。
写真の中で、妻は、こちらに、笑っていた。
──私は、その妻の名前を、知っていた。
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一時間が、経っていた。
私は、机に戻り、もう一度、引き出しを、開けた。
封筒は、消えていた。
紙の束も、消えていた。
二〇一八年の領収書だけが、底に、残っていた。
私は、引き出しの底を、二度、確認した。
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その夜、私は、ノートを、開いた。
二十七本目の違和感を、書き留めようとした。
ペンを、紙に、当てた。
書こうとしたのは、こうだった——
「自分の筆跡で書かれた、他人の人生の記録が、引き出しから出てきた」
私は、書き始めた。
書き終わったページを、見直したとき、私は、書いた覚えのない一文に、気づいた。
私の筆跡で、行末に、足されていた。
——上司の名前を、書いていない。
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二十七本目の蝋燭に、火を、灯した。
一本目の蝋燭の炎が、また、一瞬、左に揺れた。
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その夜から、私は、その上司の顔を、忘れることが、できないでいる。
会ったこともない人の、眼鏡のフレームの色を。
聞いたこともない声の、低さを。
見たこともない写真の中の、妻が、誰に向けて、笑っていたかを。
──封筒は、たしかに、消えた。
だが、その人生の記憶だけが、私の中に、置いていかれた。
今、あなたが、これを読んでいる、その時間。
あなたの家の、ふだん開けない、いちばん下の引き出し。
その奥に、誰かの人生の記録が、入っていないとは、限らない。
筆跡が、あなたのもので。
最後のページに、今日の日付が、書かれていないとは、限らない。
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