継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
三十一本目は、私の、顔の中に、あった。
三十本目を、消した、その翌朝のことだった。
机の上には、これまでの記録ノートが、五冊、積み上がっていた。
一番下のノートは、表紙の角が、めくれていた。
積み上げたノートの厚みが、私の手の幅と、ちょうど、同じくらいに、なっていた。
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カーテンの隙間から、薄い光が、入っていた。
私は、洗面所に、立った。
歯ブラシを、口に、入れた。
特別なことは、なかった。
三十本分の違和感を記録した私が、いま、こうして、歯を磨いている。
その並びに、違和感は、なかった。
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鏡を、見た。
自分の顔が、そこに、あった。
──そう思ったあとに、何かが、引っかかった。
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目の、焦点だった。
鏡の中の自分の目が、私を、見ている。
そのはずだった。
だが、焦点が、私のいる場所より、わずかに、奥に、合っているように、見えた。
数センチ、奥。
私の体は、鏡から、五十センチほどの距離に、ある。
鏡の中の自分が見ている場所は、その私の、さらに後ろのほうに、感じられた。
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私は、首を、わずかに、動かした。
鏡の中の自分も、首を、動かした。
同じ動きだった。
──同じ、はずだった。
それなのに、目の焦点は、私の場所には、戻ってこなかった。
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どこが、違うのかは、分からなかった。
目の位置は、同じだった。
眉の角度も、同じだった。
口の幅も、同じだった。
それなのに、今日の自分の顔は、昨日の自分の顔と、わずかに、違うような、気がした。
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私は、洗面所を、出た。
机の引き出しから、最近撮った自分の写真を、何枚か、取り出した。
身分証のために撮ったもの。
記録のために、自分で撮ったもの。
書類用に提出した残りのもの。
四枚を、机の上に、並べた。
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比べた。
四枚とも、同じ、顔だった。
目の位置。
眉の角度。
口の幅。
何も、変わって、いなかった。
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私は、もう一度、洗面所に、戻った。
鏡を、見た。
写真と、同じ顔が、そこに、あった。
そのはずだった。
だが、今日の自分の顔は、昨日の自分の顔と、やはり、どこか、違うように、感じた。
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翌朝も、その翌朝も、同じだった。
毎朝、鏡を、見た。
毎朝、写真と、比べた。
毎朝、写真は、同じ顔のままだった。
それでも、鏡の中の私の目の焦点は、毎朝、わずかに、奥へ、ずれていった。
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感覚と、客観の、どちらを、信じればいいのか、分からなくなった。
鏡の中に、私はいる。
写真の中にも、私はいる。
どちらの私も、同じ顔をしている。
それなのに、私の中で、私が、動いていた。
毎日、わずかに、別の場所に、立っていた。
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三日目の夜、私は、洗面所の、明かりを、つけた。
鏡の前に、立った。
声に、出して、言ってみた。
「私は、誰だ」
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鏡の中の私の口が、動いた。
──私の口が、動く前に。
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半秒。
それくらいの、ずれだった。
聞こえた声は、私の声だった。
声が出たタイミングも、私の唇の動きと、合っていた。
ずれていたのは、鏡の中の、口だった。
鏡の中の私が、半秒、先に、その四文字を、口にしていた。
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私は、声を、出さなかった。
鏡の中の私は、しばらく、こちらを、見ていた。
私の喉が、唾を、飲み込んだ。
鏡の中の喉は、動かなかった。
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私は、もう一度、言ってみた。
「私は、誰だ」
鏡の中の私の口が、また、わずかに、先に、動いた。
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三回目を、言うのは、やめた。
口を、閉じた。
鏡の中の自分も、口を、閉じていた。
そこまでは、合っていた。
だが、鏡の中の自分の左の口角が、私の左の口角より、わずかに、上に、あった。
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私は、自分の口角を、指で、触った。
左右の高さは、同じだった。
鏡の中の指が、鏡の中の口角に、触れた。
触れたあと、左右の高さは、同じに、なっていた。
そのはずだった。
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私は、洗面所を、出た。
机に、戻った。
ノートを、開いた。
三十一本目の違和感を、書こうと、思った。
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今日の、いちばん新しいページに、ペン先を、当てた。
──書こうと、思った。
それより、先に、ページの、いちばん上の行に、文字が、あった。
私の筆跡で。
「私は誰だ。記録する者か。記録される者か」
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私は、ペン先を、止めた。
書いた覚えは、なかった。
これから書こうとしていた、三十一本目の記録より、先に、その一行は、すでに、紙の上に、あった。
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私は、ページを、戻した。
一枚、前。
そのページの、いちばん下にも、同じ文章が、書いてあった。
私の筆跡で。
もう一枚、戻した。
そのページの、最後の行にも、書いてあった。
もう一枚。
もう一枚。
もう一枚。
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その日の記録の隙間に、その一行が、ずっと、入っていた。
何ページごとか、規則的に。
三冊目のノートの、いちばん古いページまで、それは、続いていた。
どのページの「私」も、同じ筆跡だった。
書いた覚えのない筆跡だった。
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私は、ページを、いちばん新しいところに、戻した。
すでに書かれていた一行の、すぐ下に、自分で、ペンを、走らせた。
「これは私が記録した、三十一本目の違和感である」
そう書いた。
書けた。
その下に、続きを、書こうとした。
ペンが、進まなかった。
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三十一本目の蝋燭に、火を、灯した。
一本目の蝋燭の炎が、また、一瞬、左に、揺れた。
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その夜、私は、洗面所には、もう一度、行かなかった。
鏡を、見たくなかった。
そう書いて、ふと、思った。
──「見たくない」と、感じている、この私は、誰だろう。
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寝る前に、もう一度、ノートを、開いた。
今日のページの、いちばん下に、私が、自分で、最後に書いた、一行があった。
「これは私が記録した、三十一本目の違和感である」
その下に。
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いつのまにか、新しい一行が、増えていた。
私の筆跡で。
「お前が、誰でも、記録は、続く」
いま、これを読んでいる、あなたに、訊きたい。
あなたの近くに、鏡は、あるだろうか。
──いますぐ、探さなくてもいい。
明日の朝、いつものように、洗面所の鏡を、見るとき。
そのとき、鏡の中の、あなたの目の焦点が、あなたのいる場所に、ちゃんと、合っているか。
あなたが、まばたきをするとき、鏡の中のあなたは、必ず、同じ瞬間に、まばたきをしているか。
──確かめなくてもいい、と、私は、思う。
確かめてしまった、という記録だけが、すでに、私のノートには、私の筆跡で、書かれているからだ。
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