継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
三十二本目を語ったのは、芦川美咲だった。
二十二本目から、十回ぶりの来訪だった。
日が暮れる少し前に、美咲は、私の部屋に来た。
肩から下げた革のバッグから、一冊のノートを、机に置いた。
A5の、罫線入りの、若草色の表紙のノートだった。表紙の角が、いくつも、めくれていた。
「これ、覚えてますか」
美咲は、椅子に座らずに、立ったまま、そう言った。
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私は、覚えていた。
第十話のときに、美咲が私に見せたノート。失踪した親友の、最後の、私物だった。
あのときも、机の上で、白紙のページを、開いた。
蛍光灯の下で、紙の繊維に沿って、「みさき」と、薄く、見えた。
ひらがな、三文字だった。
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美咲は、ようやく、椅子に、座った。
ノートを、開いた。
開いたページは、前と同じ、罫線の入っていない、無地のページだった。
明かりの下で見ると、ただの白紙だった。
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「ここからは、私が、話します」
美咲は、私の前のノートを、指差した。
私が、今、これを書いている、記録ノート。
「全部、書いてください。あとで、自分が言った通りのことを、確かめたいんです」
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以下は、芦川美咲が、約一時間にわたって、私に話した内容を、彼女の言葉のまま、書き留めたものである。
途中、彼女の話は、いくつか、断片に、分かれた。
その断片の境目に、私は、印を入れていない。
そう書いてほしい、と、本人が、言ったからだ。
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七年前、親友が、消えたんです。
家出だと、警察は、言いました。
部屋に、メモが、残っていました。「見つけた。真実を。でも、もう遅い」。
そのメモのことは、前にも、話しました。
今日、話したいのは、ノートのほうです。
このノート、親友が、最後に、使っていたものです。罫線のあるページが、半分くらい、埋まっています。残りは、白紙です。罫線のないページも、何枚か、最後のほうに、綴じてあります。
七年前、初めて、私が、これを開いたとき、罫線のないページの一枚に、ひらがなで、「みさき」と、紙の繊維に、沿って、薄く、浮かんでいました。
蛍光灯の角度を、左に、傾けたときだけ、見える文字でした。
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七年間、毎日、同じページを、開いてきました。
毎日、同じ文字が、同じ場所に、浮かんでいました。
ひらがなで、「みさき」。
それだけです。
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変わったのは、昨日です。
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昨日の二十三時四十分、私は、いつも通り、ノートを、開きました。
ライトを、左に、傾けました。
ひらがなで、「みさき」と、浮かんでいました。
スマホで、写真を、撮りました。これは、七年間、毎晩、続けている習慣です。
時刻が、ずれていないか、確認するために。
文字が、変わっていないか、確認するために。
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写真を撮ったあと、ノートを、閉じました。
ベッドに、入りました。
そこからの記憶が、ないんです。
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次に、覚えているのは、午前四時七分です。
スマホの、写真フォルダを、開きました。
今、開いたばかりだ、という感覚と、もう何度か開いた、という感覚が、両方、ありました。
どちらが、正しいのか、自分でも、分かりません。
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写真フォルダの、いちばん新しい写真を、確認しました。
タイムスタンプは、四時七分。
写っていたのは、ノートの、同じページでした。
ライトの角度も、同じ。
ひらがなの「みさき」が、あった場所に。
漢字の「美咲」が、浮かんでいました。
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私の、漢字でした。
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私は、ノートの、別のページを、開きました。
罫線のあるページの、最初のページに、親友の字で、自分の名前が、書いてあります。
その下に、私の名前と、連絡先が、書いてあります。これは、ノートを引き取った日に、私が、自分で、書き加えたものです。
私の筆跡の、「美咲」。
罫線のない白紙のページに、浮かんだ「美咲」。
二つを、ライトの下で、並べました。
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線の入り、止め、はね、払い。
完全に、同じでした。
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私は、二十三時四十分と、四時七分の、間の写真を、確認しました。
撮った覚えは、ありませんでした。
でも、写真フォルダに、タイムスタンプは、ありました。
一時十二分。
二時二十分。
三時三十一分。
三枚、ありました。
サムネイルは、全部、灰色でした。
開いても、画像は、表示されませんでした。
「画像を読み込めません」と、エラーメッセージが、出ました。
撮ったはずの写真の、データだけが、空白でした。
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その三時間と、二十七分。
私が、寝ていたはずの、時間。
写真は、三枚、自動で、撮られていた、ことになります。
でも、何が、写っていたのかは、分かりません。
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今朝、もう一度、ノートを、開きました。
ライトを、傾けました。
漢字の「美咲」の、すぐ下に。
別の一文が、浮かんでいました。
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「行ってはいけない場所」
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その下に、住所が、書いてありました。
郵便番号と、町名と、丁目と、番地と、号。
──全部、書いてありました。
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私は、その住所を、警察の調書と、照らし合わせました。
七年前、親友が、最後に、目撃された地点。
警察の調書には、町名と、丁目までしか、書かれていませんでした。
そこから先は、特定できなかった、と、当時の担当者は、言っていました。住宅街の、ありふれた角だ、と。
ノートに浮かんだ住所は、その「特定できなかった」番地と、号まで、書いてありました。
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警察が、七年、辿りつけなかった場所です。
そこに、私が、行くべきか。
行かないほうが、いいのか。
──「行ってはいけない」と、書いてあります。
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だから、私は、考えました。
「行ってはいけない場所」と書いて、その住所を、わざわざ番地まで添えるのは、おかしいんです。
本気で、行かせたくなかったら、住所は、書きません。
書く人は、行ってほしい人です。
書いた人が、誰なのかは、まだ、分かりません。
でも、書いた人は、私に、そこに、行ってほしいんです。
警告のかたちで。
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だから、行きます。
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美咲は、そう言って、ノートを、閉じた。
私は、止めなかった。
止める役回りで、私が、ここに、いるわけでは、ない。
ただ、美咲が、ノートを、閉じる前に、罫線のあるページの、最後の行に、自分で、一行、書き加えていることに、気づいた。
「行ってはいけない場所」の、住所を。
書きながら、彼女は、私の顔を、見なかった。
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美咲が出ていったあと、私は、机の上に、まだ残っている記憶を、書き留めた。
書き終えたあと、私のノートを、見返した。
書き写したばかりの、住所の、すぐ横に。
私の筆跡で、別の一行が、増えていた。
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「美咲は、もう、何度か、ここに、来ている」
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書いた覚えは、なかった。
「ここ」が、どこを、指しているのかも、分からなかった。
私の部屋なのか。
美咲が、これから行く場所なのか。
あるいは、その両方なのか。
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その夜、三十二本目の蝋燭に、火を、灯した。
一本目の蝋燭の炎が、また、一瞬、左に、揺れた。
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翌日の、昼前。
美咲から、メッセージが、届いた。
写真が、一枚、添付されていた。
写真は、住宅街の、ありふれた角の、写真だった。
何の変哲もない、塀と、電柱と、植え込みの、写真だった。
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メッセージは、八文字だった。
「同じものが、見えました」
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「同じもの」が、何なのかは、書かれていなかった。
七年前、親友が、最後に見たもの、と、読むこともできた。
七年前、ひらがなで、ノートに浮かんだ「みさき」、と、読むこともできた。
私には、訊き返す、根拠が、なかった。
返事の代わりに、私は、自分のノートに、こう、書いた。
「美咲は、帰ってきた」
その下に、もう一行。
「今のところは」
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書き終えたあと、私は、手を、止めた。
「今のところは」の、すぐ右側。
ページの、罫線の外側に。
薄く、紙の繊維に沿って、別の筆跡で、一文が、浮かんでいた。
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「行ってはいけない場所」
私のではない、筆跡で。
いま、これを読んでいる、あなたに、訊きたい。
あなたの家のどこかに、何年も、開いていない、ノートは、あるだろうか。
──思い出さなくても、いい。
ただ、もし、思い出したなら。
そのノートの、白紙のページを、デスクライトの下に置いて、明かりの角度を、左に、傾けてみてほしい。
──傾けなくても、いい、と、私は、思う。
そこに、すでに、あなたの名前が、誰かの筆跡で、浮かんでいる可能性は、なくはないからだ。
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