継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
三十七本目は、私が、書いたページの、余白に、あった。
夜の記録は、静かだ。
ペンを走らせる音と、窓の外の風の音だけがある。
蝋燭の炎が、揺れる。
それだけだった。
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その夜も、私は、書いていた。
三十六話分の記録を整理し終えて、今夜の分を書き始めていた。
「桐生は立ち上がった」
「扉が、閉まった」
書いた。
ページをめくろうとした。
手が、止まった。
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書いたばかりのページの、右の余白に。
細い、別の筆跡で、一行があった。
「気づくのが、遅い」
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私は、その一行を、見た。
インクの色は、私が使っているものと、同じだった。
文字の傾きが、違った。
私の字は右に傾く。
その一行は、左に傾いていた。
私は、ペンを、机に置いた。
置いた音が、やけに大きく聞こえた。
一行を、もう一度、見た。
それから、書いたばかりの文章を、見た。
「扉が、閉まった」という私の筆跡と、余白の「気づくのが、遅い」を、交互に見た。
どちらも、同じノートの同じページに、ある。
どちらも、同じインクで、書かれている。
ただ、傾きが、違う。
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インクは、乾いていた。
私が「扉が、閉まった」と書いた直後に書かれたものではない。
だとすれば、私が書いている間に、横から書き込まれたか。
あるいは、私が気づく前から、すでに書かれていたか。
あるいは——
私が、書いた、か。
私には、どれとも、判断できなかった。
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私は、最初のページから、順に確認した。
第一話の記録。
余白に、一行。
「最初の違和感は、時計ではない」
第三話。
「二十四時間ではなく、もっと短い欠落が、もっと前から起きていた」
第六話。
「誰が体験したか、お前はもう、確かめられない」
第十話。
「この女は、お前が思っているより、ずっとお前に近い」
第十五話。
「凛が空席を見ている。お前も同じ席を、見たことがあるはずだ」
第二十話の余白には、三行あった。
「俺はもう死んでいるのか、という問いは、答えを知っている者が書いた」
「答えを知っている者と、問いを書いた者は、同じだ」
「俺はもう死んでいるのか——誰が、その問いを、書いたのか」
第二十九話の余白には、二行あった。
「拾った手帳を書いたのは、お前だ」
「お前が書いた覚えのないものが、お前の外に出始めている」
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全部で、三十六箇所あった。
私が書いた、全ての記録に、対応する一行か、数行が書かれていた。
全て、左に傾いた筆跡で。
全て、同じインクで。
批評だった。
私の記録への、批評だった。
「この箇所の描写は不足している」
「ここで気づくべきだった」
「お前はまだ、気づいていない」
私が次に考えようとしていたことではなく。
私が考えるべきだったのに、考えなかったこと。
それを、先取りして、書いていた。
一話も、飛ばさずに。
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私は、ノートを、閉じた。
しばらく、机の木目を見ていた。
一度閉じたものを開き直すのに、少し、時間がかかった。
何かが変わるわけではないとわかっていても、開く前と開いた後が、同じであることを、まず確かめる必要があった。
開き直した。
余白の文字は、消えていなかった。
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翌日、ノートを桐生のもとへ持っていった。
桐生は余白を、最初のページから最後のページまで、黙って確認した。
「筆跡を見てもらえる人間に心当たりがある」
それだけ言った。
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三日後、鑑定の結果が届いた。
七枚の写真。
余白の筆跡と、私のノートの本文の筆跡を並べた比較図。
私には、別人の字に見えた。
傾きが逆だった。
線の太さも、はねの角度も、違った。
並べた写真を見る限り、私には、二人の書き手がいるとしか、思えなかった。
結果は、紙の最後の一行に書かれていた。
「同一の書き手による変動と判断する。確率、九十八パーセント」
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九十八パーセント。
つまり、この余白を書いたのは、私だということになる。
私が書いた。
私が書いた覚えのない文章を、私が書いた。
書いた覚えがないことは、証明できない。
覚えていないだけで、書いたかもしれない。
だとすれば、私には、記録している時間とは別に、余白に批評を書く時間がある。
私が知らない間に、私が書いている。
九十八パーセントの確率で、そういうことになる。
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私は、今夜の記録を書き始めた。
書きながら、右の余白を、横目で見た。
まだ、何もない。
当然だ。
書き終わっていないのだから。
まだ、何もない。
私は、もう一度、確認した。
まだ、何もない。
書いている手を、止めた。
余白を、正面から、見た。
白かった。
白いだけだった。
何も、書かれていなかった。
ペンを、動かした。
続きを、書いた。
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一つだけ、確かめられたことがある。
三十六箇所の批評を、全部読んだ。
そのどれも、私の記録の「誤り」を指摘していなかった。
記録が不正確だ、とは、一行も書いていなかった。
指摘していたのは、「気づいていないこと」だけだった。
記録は正しい。
ただ、気づいていない。
批評はそう言っていた。
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私は、三十七本目の蝋燭に、火を、つけた。
棚の、左の端の、一本目の炎が。
一瞬、左に、揺れた。
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今夜の記録の最後に、私は、書いた。
「気づくべきことが、まだある」
書き終えて、余白を、見た。
すでに、一行、増えていた。
「そうだ。でも、もう遅くはない」
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筆跡は、左に傾いていた。
【次回予告】
百物語 第三十八話:削除できない動画【高坂陸・再登場】
削除しても復活するファイルが、今度は動画になった。
再生すると、画面の中に——自分の顔があった。
「俺を、助けに来い」