継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
四十本目は、病院から、来た。
新しい語り手と会う約束を、していた。
人づてに連絡が来ていた。
「私は、死んだ人の言葉を記録している。あなたと同じように」
その一文だけだった。
名前は、なかった。
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夜、その人は、来た。
立花由香と名乗った。
総合病院で、夜勤の看護師をしていると言った。
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「患者さんの、最期の言葉を、記録しているんです」
由香は、そう言った。
声は、穏やかだった。
ただ、目のまわりに、疲れがあった。
深い場所にある疲れで、一晩や二晩の休みでは、消えないものだと、思った。
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「どのくらいの期間、記録しているんですか」
私が訊くと、由香は少し、考えた。
「十年、になります」
「最初に記録したのは」
「夫です」
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夫は、十年前に、病院で死んだ。
由香が勤める病院の、病棟で。
死の直前、夫は目を開いた。
由香の顔を見て、言った。
「
過去も、未来も、全部——」
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それきり、夫の言葉は、途切れた。
「全部、見える」
夫は何を見たのか。
由香は今も、知らない。
その言葉が、由香を、病院に、縛り付けている。
「夫が見たものを、知りたくて」
由香は、言った。
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それから、私は、由香が語る話を、聞いた。
夜勤中に起きた、違和感の話を。
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三年前の、深夜だったと、由香は言った。
四〇四号室の前に、来たとき。
由香は、立ち止まった。
「ドアが、少し、開いていたんです」
四〇四号室は、その夜、空き部屋だった。
午前中に患者が退院して、まだ次の患者が入っていなかった。
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「気になって、中を確認しました」
由香は、ドアを開けた。
消灯された部屋の中。
カーテンの隙間から、廊下の光が、少し入っていた。
「壁の鏡に、自分が映るのが、見えました」
四〇四号室の洗面台の横に、縦長の鏡がある。
夜の病室の薄暗がりの中に、白衣の自分が、映っていた。
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そこで。
「自分の輪郭の、隣に、もう一つ、輪郭が、見えました」
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由香は、動かなかった。
目を、細めた。
輪郭は、消えなかった。
自分の隣に、人の形が、ある。
ただし、鏡の中にだけ。
部屋の中には、由香しか、いなかった。
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由香は、鏡に、近づいた。
近づくにつれて、輪郭が、はっきりした。
男の輪郭だった。
背の高い、男。
由香より、頭一つ分、高い。
面長で、肩幅が、広い。
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「夫でした」
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鏡の中の夫は、由香を見ていた。
口が、動いた。
声は、聞こえなかった。
ただ、口の動きが、分かった。
由香の名前を、呼んでいた。
「
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「どのくらい、鏡の前に、いたんですか」
私が訊いた。
「分かりません」
由香は、答えた。
「気づいたら、廊下に戻っていました。
腕時計を見たら、点検開始から四十分、経っていました。
そこに立っていた時間は、長くても五分のはずで」
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由香は、次の夜も、四〇四号室に、行った。
夫は、いた。
また、口が、動いた。
「由香。
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今度は、声が、聞こえた。
微かだったが、確かに聞こえた。
夫の声だった。
「夫の声を、十年ぶりに、聞きました」
由香の声が、かすかに、揺れた。
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「怖くは、なかったんですか」
「怖かったです」
由香は、はっきり、答えた。
「でも、もっと、怖いことが、ありました」
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夫の目が、泣いていた。
「来い」と言いながら、泣いていた。
誘っているのか。
それとも、何かを、恐れているのか。
「あの目は、手招きじゃ、なかったです」
由香は言った。
「助けを、求めているみたいでした」
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「その後、どうしたんですか」
「また、行きました」
「何度も?」
「今も、行っています」
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四〇四号室に、患者が入っている夜は、夫は来ない。
空き部屋になると、来る。
「鏡を、別の部屋に運んでもらったことがあります」
「どうなりましたか」
「夫は来ませんでした。
四〇四号室に戻したら、また、来ました」
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「夫は最期に『全部見える』と言いました」
由香は、言った。
「あの鏡の中の夫も、何か、見えているんだと思います。
私に、来いと言いながら。
泣きながら。
それが——何なのか」
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由香は、そこで、言葉を止めた。
「分からない、んです。今も」
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私は、四十本目の蝋燭に、火をつけた。
炎が、一瞬、右に、揺れた。
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由香が帰った後、私は、記録を書いた。
書き終えて、ペンを置いた。
夫の最期の言葉が、頭の中で、繰り返された。
「全部、見える。過去も、未来も、全部——」
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この百物語の、全てが、見えているとしたら。
過去の話も。
これから語られる話も。
全部。
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次に現れる語り部は、何を見ているのか。
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残り、六十本。
【次回予告】
百物語 第四十一話:同じ客が3回来る
深夜二時十七分、自動ドアが開いた。
また、あの客だった。
同じ服で、同じものを買って、同じ時間に来る——
三枚目のレシートに印字された時刻を、私は、今も、捨てられずにいる。