継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
四十三本目は、芦川美咲が、また、持ち込んだ。
美咲《みさき》が来たのは、午後の遅い時間だった。
外は、薄曇りだった。
二年前より、髪が、少し、伸びていた。
いつものライダースジャケットの内側から、ICレコーダーとノートパソコンを、取り出した。
「ちょっと、聞いてほしいものがあって。先生にしか、相談できないので」
椅子に座る前から、すでに、レコーダーの再生ボタンに手をかけていた。
私は、お茶を、出した。
美咲は、口をつけなかった。
カップの縁に、薄い、水滴が、ひとつ、ついていた。
部屋の蝋燭は、四十二本、灯っていた。
棚の上で、小さく、並んでいる。
美咲は、いつも、入ってくるとまず、その数を、目で、数える。
今日は、数えなかった。
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「半年くらい前から、『消えた経験』を集めてたんです」
「行方不明になりかけた人、急に失踪して戻ってきた人、そういう体験談を」
ノートパソコンの画面には、取材対象のリストが、並んでいた。
名前。年齢。取材日。簡単なメモ。
二十三人分、あった。
「最初の七人は、SNS経由で見つけた人たちです」
「八人目からは、知人の紹介で、対面で取材した人たちでした」
その違いが、何か意味を持つのか、まだ、わからない、と美咲は言った。
取材には、いつも、同じICレコーダーを、使っていた。
機種も、設定も、半年間、変えていなかった。
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「先週、リストを見直してたら」
美咲は、画面を、スクロールした。
「七人目までは、普通に、SNSのアカウントが、残ってるんです」
「八人目から、消えてるんです」
「アカウントごと」
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画面に、検索結果が、表示された。
「このアカウントは存在しません」
八人目。九人目。十人目。
一人ずつ、開いて、確認した。
検索バーに、名前を打ち込む。エンターを押す。同じ表示が出る。
それを、十五回、繰り返した。
八人目以降、全員、同じ表示だった。
七人目までは、いつも通り、プロフィール写真が、表示された。
その境目だけが、はっきりしていた。
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「最初は、退会したのかと思いました」
「でも、十六人目の人には、奥さんがいて。聞いたら」
美咲は、いったん、言葉を、止めた。
「『そんな人、知らない』って、言われました」
「私が取材した日の写真も、見せたんですけど」
「写真の中に、奥さんが言う夫は、いなかったんです。隣に立つ私だけが、写ってました」
「背景の喫茶店も、店の名前も、合っているのに」
「二十人目の人の場合は、職場でした」
「同僚に確認すると、その部署に、そんな名前の人間は、一度も在籍していない、と言われたそうです」
「名刺は、まだ、私の手元に、残っているのに」
名刺の角は、もう、何度も、触られて、少し、丸くなっていた。
そこに刷られた名前を、美咲は、何度も、検索していたのだろう。
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私は、何も、言わなかった。
美咲は、レコーダーを、手に取った。
机の上で、もう一度、向きを、揺れない位置に、置き直した。
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「今日、確認したくて、来たんです」
「八人目の、取材録音、これです」
美咲は、再生ボタンを、押した。
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スピーカーから、美咲の声が、流れた。
「では、最初に、お名前を伺えますか」
その後に、続くはずの声が——なかった。
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無音、ではなかった。
ノイズも、息遣いも、ない。
何も、録音されていない、空白《くうはく》だった。
部屋の蝋燭の炎が、揺れていた。
レコーダーのスピーカーからは、何も、出ていなかった。
レコーダーの画面には、波形が、表示されていた。
その十二秒間だけ、波形が、まっすぐな、線になっていた。
ファイルの再生時間は、いつもどおり、四十二分十八秒。
容量も、減っていなかった。
更新日時も、取材した当日のまま、変わっていなかった。
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「ここ、相手が答えてるはずなんです」
美咲の声が、わずかに、震えた。
「ちゃんと、聞いた覚えが、あるんです」
「名前も、覚えてます。仕事も、覚えてます」
「でも、これには、何も、入ってない」
美咲は、もう一度、同じ箇所を、再生した。
私の質問の声。十二秒の、まっすぐな線。次の私の質問の声。
その並びだけが、繰り返された。
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「三人目のファイルも、聞いてもらえますか」
私は、頼んだ。
三人目は、まだ、アカウントが残っている、七人のうちの一人だった。
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三人目の録音には、ふたつの声が、あった。
質問と、答えが、ちゃんと、交互に、続いていた。
波形にも、隙間が、なかった。
ファイルの作成日付は、八人目のものと、同じ週だった。
機材も、場所も、同じだった。
違うのは、対象が、何人目だったか、だけだった。
念のため、五人目のファイルも、確認した。
同じだった。声が、二つ、ちゃんと、揃っていた。
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残っている人の録音には、声が、ある。
消えた人の録音には、声が、ない。
その境目は、八人目で、揃っていた。
七人目までは紹介でなく、八人目以降は紹介だった、という美咲の説明と、同じ境目だった。
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「私が取材した人たちは、本当にいたんでしょうか」
美咲は、ノートパソコンの画面を、私に、向けた。
二十三人のリストの、八人目から下に、答えなかった。
「次の取材相手も、いつか、消えるんでしょうか」
「それとも——」
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その夜、美咲が帰ったあと。
私は、自分のノートを、開いた。
二年前、三十二本目のページの隣に、こう書いてあった。
「美咲は、行った。今のところは、帰ってきた」
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「今のところは」の五文字を、もう一度、見た。
書いた覚えは、まだ、ない。
ページの端を、指で、なぞった。
インクの色は、今と、変わらなかった。
そのページの前後も、読み返した。
他に、書いた覚えのない行は、なかった。
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私は、四十三本目の蝋燭に、火を、つけた。
棚の、左端の、一本目の炎が、また、右に、揺れた。
炎の高さは、変わらなかった。揺れたのは、方向だけだった。
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三十八話から、六話、連続だった。
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翌日、美咲から、メールが、届いた。
「自分の取材記録、全部、見直しました」
「被取材者が消えた案件——」
「先生に提供した怪談と、全部、一致してました」
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残り、五十七本。
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今回は、芦川美咲の再登場でした。
「消えた経験を集めていた人間が、取材対象ごと消えていく」という構造を書きながら、ずっと気になっていたことがあります。
取材者が記録した、という事実だけが残ること。
ICレコーダーに、自分の声だけが入っていること。
名刺の角が、何度も触られて、丸くなっていること。
これらは全部、「美咲が存在した」という証拠には、なります。取材対象が存在したという証拠には、なりません。
二年前、三十二話で書いた一行——「美咲は、行った。今のところは、帰ってきた」——の意味が、少しずつ、変わってきています。
今の私には、まだ、書いた覚えがありません。
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【次回予告】
百物語 第四十四話:七つの声
深夜、記録を続けていたとき、頭の中で声が聞こえた。
ひとつではなかった。
耳を澄ますと、七つあった——
そのうちのひとつが、「お前を記録している」と、言った。