継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~   作:yami_craft

44 / 51
これは私が記録した、四十四本目の違和感《いわかん》である。

四十四本目は、私自身の、内側で、起きた。


第四十四話:七つの声

深夜、二時を、過ぎていた。

 

窓の外は、雨上がりだった。

 

その日の記録の整理は、すでに、終わっていた。

 

ノートを閉じ、ペンを、机の上に、置いた。

 

棚の上には、四十三本の蝋燭が、並んで、灯っていた。

 

四十四本目は、まだ、火を、つけていなかった。

 

ノートの表紙の、革の匂いが、机の上に、薄く、残っていた。

 

蝋燭の蝋が、台座の上に、薄く、固まっていた。

 

部屋は、静かだった。

 

物音は、何も、なかった。

 

外の道路を走る車の音さえ、いつもより、遠かった。

 

この静けさが、いつも、一番、落ち着く時間だった。

 

語り部《かたりべ》たちの話を聞いた後、一人になって、ノートを整理する。

 

それが、私にとって、最も安定した、いつもの順番だった。

 

今夜も、そうだと、思っていた。

 

 

────────────────

 

 

最初は、ただの、耳鳴りだと、思った。

 

低く、長く、続く音。まるで、耳の奥で、何かが、軋むような音だった。

 

気のせいだと、思って、ペンを、もう一度、手に取った。

 

だが、耳鳴りには、言葉が、ない。

 

「やめろ」

 

短く、はっきりと、聞こえた。

 

外からでは、なかった。

 

頭の中から、聞こえた。

 

 

────────────────

 

 

私は、手を、止めた。

 

部屋を、見回した。

 

窓は、閉まっていた。

 

ドアも、閉まっていた。

 

スマートフォンの画面も、暗いままだった。

 

誰も、いなかった。

 

もう一度、同じ声が、した。

 

「やめろ」

 

続けて、別の声が、重なった。

 

「続けろ」

 

二つの声が、同時に、響いた。

 

低い声と、高い声だった。

 

性別も、年齢も、違っていた。

 

どちらも、私の声では、なかった。

 

 

────────────────

 

 

念のため、机の上の、ICレコーダーを、手に取った。

 

録音を、開始した。

 

声は、まだ、続いていた。

 

「やめろ」「続けろ」「やめろ」

 

三十秒ほど、そのまま、録った。

 

再生してみると、何も、入っていなかった。

 

ノイズすら、なかった。

 

波形を、もう一度、見た。

 

四十三話で見た、美咲の録音の、まっすぐな線と、同じ形をしていた。

 

あのときは、相手の声が、なかった。

 

今回は——私の声以外、何も、なかった。

 

声は、機械の外には、存在しないということだった。

 

念のため、もう一度、再生した。

 

結果は、同じだった。

 

 

────────────────

 

 

耳を、両手で、塞いだ。

 

意味は、なかった。

 

声は、外からでは、なかったから。

 

塞いだ手の中でも、同じ声が、同じ強さで、聞こえ続けた。

 

 

────────────────

 

 

目を、閉じた。

 

耳を、澄ませた。

 

確かめるためだった。

 

数えながら、紙に、棒線を、一本ずつ、書き足していった。

 

声は、増えていった。

 

三つ。四つ。五つ。

 

数えるうちに、止まらなくなった。

 

それぞれの声に、輪郭《りんかく》があった。

 

同じ言葉を、繰り返す声はなかった。

 

重なって、ひとつの音の塊のように、聞こえているのに、

 

ひとつひとつを、別々に、数えることができた。

 

一つの声の高さが、どこか、聞き覚えのある響きに、似ている気がした。

 

別の声の、言葉の切りかたも、誰かの口調に、近い気がした。

 

だが、誰の声かと、考えようとすると、輪郭が、ぼやけた。

 

 

────────────────

 

 

七つだった。

 

七つの声が、重なって、聞こえた。

 

順番は、なかった。同時に、七つ、揃っていた。

 

それぞれが、別の、言葉を、話していた。

 

聞き取れない言葉が、ほとんどだった。

 

そのうち、一つだけ、聞き取れた言葉があった。

 

「お前を、記録している」

 

別の声が、すぐに、答えた。

 

「お前が、記録されるのを、見ている」

 

その二つの声の、後ろで——

 

残りの、五つは、何も、言わなかった。

 

笑っていた。

 

声は、左右からだけでは、なかった。

 

前からも、後ろからも、同時に、聞こえた。

 

頭の中に、方向という、感覚が、なくなっていた。

 

 

────────────────

 

 

声に、表情は、ない。

 

それでも、笑っているのが、分かった。

 

息の、間隔。

 

音の、揺れかた。

 

それが、笑い声の、形を、していた。

 

低く、短く、何度も、繰り返される、その揺れ。

 

五つ分、重なっていた。

 

部屋の中の、蝋燭の炎は、どれも、揺れていなかった。

 

ペンを持つ手の指に、力が、入っていた。

 

 

────────────────

 

 

何を、笑っているのか。

 

訊いても、答えなかった。

 

七つの声は、そのまま、重なったまま、静かになっていった。

 

消えた、わけではなかった。

 

ただ、聞こえなくなった、だけだった。

 

部屋の中の、空気だけが、まだ、わずかに、揺れている気がした。

 

 

────────────────

 

 

私は、ノートを、開いた。

 

「七つの声を、聞いた」と、書こうとして——

 

七、という数字を、書いた手が、止まった。

 

七人——

 

私が、これまで、記録してきた、語り部の、数を、数えた。

 

美咲。凛。桐生。陸。由香。千尋。

 

一人ずつ、名前を、紙の端に、書き出した。

 

六人だった。

 

もう一度、数えても、六人だった。

 

三度目も、変わらなかった。

 

声の数と、語り部の数を、並べて、見直した。

 

一つだけ、足りなかった。

 

差は、一人分だった。

 

七つ目の、声には——

 

まだ、名前が、なかった。

 

 

────────────────

 

 

その夜は、一睡もしなかった。

 

肩に、力が、入ったままだった。

 

時計を、見た。

 

三時を、過ぎていた。

 

私は、四十四本目の蝋燭に、火を、つけた。

 

棚の、左端の、一本目の炎が、また、右に、揺れた。

 

炎の高さは、変わらなかった。揺れたのは、方向だけだった。

 

 

────────────────

 

 

三十八話から、七話、連続だった。

 

 

────────────────

 

 

翌日、午後。

 

メールの受信箱に、新しい、取材申し込みが、一件、届いていた。

 

いつもなら、取材申し込みには、名前と、簡単な自己紹介が、添えられている。

 

今回は、それが、なかった。

 

件名は、なかった。

 

名前の欄も、空白だった。

 

本文には、一行だけ。

 

「私は、あなたが、記録しているものを、すでに、記録している」

 

差出人のアドレスを、確認した。

 

文字列だけが、並んでいて、誰のものか、分からなかった。

 

これは、七人目の、取材申し込みだった。

 

画面を、見つめたまま、数分が、過ぎた。

 

返信欄を、開いた。

 

何も、書けなかった。

 

画面を、閉じた。

 

 

────────────────

 

 

残り、五十六本。

 

 




あなたが今、よく知っている人の名前を、静かに、数えてみてほしい。

家族。友人。同僚。毎日のように顔を合わせる、誰か——

数え終わって、「この数で合っている」と、言い切れるだろうか。

評価・ブックマーク・コメントで感想をお聞かせください。

────────────────

【次回予告】
百物語 第四十五話:父親の声

深夜、父親の声が聞こえるという——水瀬凛が、また来た。
声は毎晩来て、凛が怪談を語るたびに、続きを先取りして言い始めた。
「お父さん、私のこと、分かる?」と訊くと、一拍の間があって——「分からなくなってきた」と答えた。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。