継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
四十四本目は、私自身の、内側で、起きた。
深夜、二時を、過ぎていた。
窓の外は、雨上がりだった。
その日の記録の整理は、すでに、終わっていた。
ノートを閉じ、ペンを、机の上に、置いた。
棚の上には、四十三本の蝋燭が、並んで、灯っていた。
四十四本目は、まだ、火を、つけていなかった。
ノートの表紙の、革の匂いが、机の上に、薄く、残っていた。
蝋燭の蝋が、台座の上に、薄く、固まっていた。
部屋は、静かだった。
物音は、何も、なかった。
外の道路を走る車の音さえ、いつもより、遠かった。
この静けさが、いつも、一番、落ち着く時間だった。
語り部《かたりべ》たちの話を聞いた後、一人になって、ノートを整理する。
それが、私にとって、最も安定した、いつもの順番だった。
今夜も、そうだと、思っていた。
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最初は、ただの、耳鳴りだと、思った。
低く、長く、続く音。まるで、耳の奥で、何かが、軋むような音だった。
気のせいだと、思って、ペンを、もう一度、手に取った。
だが、耳鳴りには、言葉が、ない。
「やめろ」
短く、はっきりと、聞こえた。
外からでは、なかった。
頭の中から、聞こえた。
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私は、手を、止めた。
部屋を、見回した。
窓は、閉まっていた。
ドアも、閉まっていた。
スマートフォンの画面も、暗いままだった。
誰も、いなかった。
もう一度、同じ声が、した。
「やめろ」
続けて、別の声が、重なった。
「続けろ」
二つの声が、同時に、響いた。
低い声と、高い声だった。
性別も、年齢も、違っていた。
どちらも、私の声では、なかった。
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念のため、机の上の、ICレコーダーを、手に取った。
録音を、開始した。
声は、まだ、続いていた。
「やめろ」「続けろ」「やめろ」
三十秒ほど、そのまま、録った。
再生してみると、何も、入っていなかった。
ノイズすら、なかった。
波形を、もう一度、見た。
四十三話で見た、美咲の録音の、まっすぐな線と、同じ形をしていた。
あのときは、相手の声が、なかった。
今回は——私の声以外、何も、なかった。
声は、機械の外には、存在しないということだった。
念のため、もう一度、再生した。
結果は、同じだった。
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耳を、両手で、塞いだ。
意味は、なかった。
声は、外からでは、なかったから。
塞いだ手の中でも、同じ声が、同じ強さで、聞こえ続けた。
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目を、閉じた。
耳を、澄ませた。
確かめるためだった。
数えながら、紙に、棒線を、一本ずつ、書き足していった。
声は、増えていった。
三つ。四つ。五つ。
数えるうちに、止まらなくなった。
それぞれの声に、輪郭《りんかく》があった。
同じ言葉を、繰り返す声はなかった。
重なって、ひとつの音の塊のように、聞こえているのに、
ひとつひとつを、別々に、数えることができた。
一つの声の高さが、どこか、聞き覚えのある響きに、似ている気がした。
別の声の、言葉の切りかたも、誰かの口調に、近い気がした。
だが、誰の声かと、考えようとすると、輪郭が、ぼやけた。
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七つだった。
七つの声が、重なって、聞こえた。
順番は、なかった。同時に、七つ、揃っていた。
それぞれが、別の、言葉を、話していた。
聞き取れない言葉が、ほとんどだった。
そのうち、一つだけ、聞き取れた言葉があった。
「お前を、記録している」
別の声が、すぐに、答えた。
「お前が、記録されるのを、見ている」
その二つの声の、後ろで——
残りの、五つは、何も、言わなかった。
笑っていた。
声は、左右からだけでは、なかった。
前からも、後ろからも、同時に、聞こえた。
頭の中に、方向という、感覚が、なくなっていた。
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声に、表情は、ない。
それでも、笑っているのが、分かった。
息の、間隔。
音の、揺れかた。
それが、笑い声の、形を、していた。
低く、短く、何度も、繰り返される、その揺れ。
五つ分、重なっていた。
部屋の中の、蝋燭の炎は、どれも、揺れていなかった。
ペンを持つ手の指に、力が、入っていた。
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何を、笑っているのか。
訊いても、答えなかった。
七つの声は、そのまま、重なったまま、静かになっていった。
消えた、わけではなかった。
ただ、聞こえなくなった、だけだった。
部屋の中の、空気だけが、まだ、わずかに、揺れている気がした。
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私は、ノートを、開いた。
「七つの声を、聞いた」と、書こうとして——
七、という数字を、書いた手が、止まった。
七人——
私が、これまで、記録してきた、語り部の、数を、数えた。
美咲。凛。桐生。陸。由香。千尋。
一人ずつ、名前を、紙の端に、書き出した。
六人だった。
もう一度、数えても、六人だった。
三度目も、変わらなかった。
声の数と、語り部の数を、並べて、見直した。
一つだけ、足りなかった。
差は、一人分だった。
七つ目の、声には——
まだ、名前が、なかった。
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その夜は、一睡もしなかった。
肩に、力が、入ったままだった。
時計を、見た。
三時を、過ぎていた。
私は、四十四本目の蝋燭に、火を、つけた。
棚の、左端の、一本目の炎が、また、右に、揺れた。
炎の高さは、変わらなかった。揺れたのは、方向だけだった。
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三十八話から、七話、連続だった。
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翌日、午後。
メールの受信箱に、新しい、取材申し込みが、一件、届いていた。
いつもなら、取材申し込みには、名前と、簡単な自己紹介が、添えられている。
今回は、それが、なかった。
件名は、なかった。
名前の欄も、空白だった。
本文には、一行だけ。
「私は、あなたが、記録しているものを、すでに、記録している」
差出人のアドレスを、確認した。
文字列だけが、並んでいて、誰のものか、分からなかった。
これは、七人目の、取材申し込みだった。
画面を、見つめたまま、数分が、過ぎた。
返信欄を、開いた。
何も、書けなかった。
画面を、閉じた。
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残り、五十六本。
あなたが今、よく知っている人の名前を、静かに、数えてみてほしい。
家族。友人。同僚。毎日のように顔を合わせる、誰か——
数え終わって、「この数で合っている」と、言い切れるだろうか。
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【次回予告】
百物語 第四十五話:父親の声
深夜、父親の声が聞こえるという——水瀬凛が、また来た。
声は毎晩来て、凛が怪談を語るたびに、続きを先取りして言い始めた。
「お父さん、私のこと、分かる?」と訊くと、一拍の間があって——「分からなくなってきた」と答えた。