継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
今回は、語り部が、いなかった。
記録したのは、私自身のことだ。
朝、コートのボタンを、留めた。
一番上から、順番に。
五つ、あった。
いつもと、変わらなかった。
鍵を、手に、取った。
重さも、温度も、変わらなかった。
靴を、履いた。
玄関の、姿見に、向いた。
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手が、映っていた。
コートの袖口から、出た、手首から先だけが。
ただ、その先——袖も、前身頃も、肩も、顔も——映っていなかった。
鏡の向こうに、玄関の壁が、そのまま、あった。
私が立っているはずの、場所に、私が、いなかった。
目を、細めた。
手の輪郭が、少し、滲んでいた。
まるで、熱気のゆらぎが、手だけを、薄く、包んでいるように。
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指を、一本ずつ、折った。
鏡の中でも、一本ずつ、折れた。
動きは、一致していた。
映っているのは、確かに、私の手だった。
映っていないのは、それ以外の全部だった。
鏡の面に、顔を近づけた。
吐く息が、小さく、曇りになった。
曇りだけが、そこに、残った。
曇りが、消えた後も、何も、映らなかった。
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外に、出た。
空は、曇っていた。
風は、なかった。
自分の足音が、一歩ずつ、ちゃんと、鳴っていた。
アスファルトの色は、変わっていなかった。
私が踏むたびに、音が出た。
歩道の、水たまりに、私が、映っていなかった。
水面には、空と、電線と、向かいのビルの壁が、映っていた。
私の足が、縁ぎりぎりを、通り過ぎた。
水は、揺れなかった。
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コンビニに、寄った。
水と、ノートを、買うためだった。
自動ドアが、開いた。
センサーが、私を、感知した。
入った。
蛍光灯の、白い光が、床に、反射していた。
私の足元にも、反射は、あった。
ただ、そこに、私の影が、落ちていなかった。
上を見ると、蛍光灯が、ちゃんと、灯っていた。
光は、届いている。
影だけが、ない。
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レジカウンターの横に、防犯カメラの、モニターがある。
小さな、灰色の、画面だ。
店内を、鳥瞰気味に、映している。
いつもは、素通りする。
今日は、立ち止まった。
自分が、映っているかどうか、確かめるためだった。
確かめなければ、気のせいで、済んだかもしれない。
それでも、立ち止まった。
画面と、自分の足元を、交互に、見た。
どちらにも、私は、いなかった。
カウンターが、映っていた。
陳列棚が、映っていた。
私が立っているはずの、床の、タイル模様が、映っていた。
私は、映っていなかった。
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画面の中に、もう一人、人間がいた。
レジの内側に、立っていた。
茶色いボブカットの、制服の、女性だった。
その人が、画面を、見ていた。
画面を通して、私が立っている場所を、見ていた。
目が、合った。
——正確には、その人の視線が、画面から、私のいる場所へと、ゆっくりと、移動した。
顔が、青くなった。
実際に、私の顔を、見た。
また、少し、青くなった。
口が、開いた。
「あなた、今——」
声が、止まった。
「画面に、映ってない」
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それが、森下千尋の、声だった。
四十一話と、四十二話で、語ってもらった、語り部だった。
制服の、胸のネームプレートに、名前が、あった。
見覚えが、あった。
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千尋は、画面を、一秒、見た。
私を、三秒、見た。
また、画面を、一秒、見た。
「今日、何か……あった、んですか」
私は、首を、振った。
「映ってない、んですけど……」
声が、囁きに、近くなっていた。
「本当に、映ってない、んですけど」
三回、そう言った。
最後の一回は、私に言っているのか、自分に言っているのか、分からなかった。
千尋は、もう一度、画面を、見た。
それから、カウンターの後ろの壁を、見た。
壁に、カメラが、ついていた。
カメラは、私の方を、向いていた。
「映ってる、はずなんですけど」
千尋が、呟いた。
私に向けた言葉では、なかった。
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私は、水とノートを、カウンターに、置いた。
千尋は、バーコードを、読み取った。
手が、少し、震えていた。
千尋の手が、だ。
「ありがとうございました」
千尋は、そう言った。
声の、温度だけが、変わっていた。
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外に出て、ノートを、開いた。
時刻と、場所を、書いた。
防犯カメラの、画面の、大きさを、書いた。
映っていなかったことを、書いた。
千尋の顔が、青くなったことを、書いた。
「画面に、映ってない」という一言を、引用符付きで、書いた。
千尋は、私が映っていないことを、見た。
気のせい、という言い訳が、今日で、使えなくなった。
第三者が、見た。
それだけが、確かだった。
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帰宅して、過去の記録を、読み返した。
写らなかった日が、何日か、あった。
今日が初めてでは、なかった。
その日の記録を、一枚ずつ、繰った。
四十四話の前後。四十六話の翌日。もっと前にも、あった。
ページを繰るたびに、年月日と、その日に起きたことが、目に、入った。
写らなかった日の記録は、他の日より、文字が、少なかった。
何かを書こうとして、書けなかったのかもしれない。
あるいは、書く手が、なかったのかもしれない。
理由は、わからなかった。
ただ、共通する一行が、あった。
気づいていたかもしれない。
つなげていなかっただけかもしれない。
「七つの声が一斉に黙った」
写らなかった日は、全て、その一行のある日だった。
一日も、ずれていなかった。
声が黙る日に、私は、映らなくなる。
どちらが原因で、どちらが結果なのかは、わからなかった。
わかったのは、パターンがある、ということだけだった。
そして——そのパターンに、今日の私も、含まれていた。
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私は、四十八本目の蝋燭に、火を、つけた。
棚の、左端の、一本目の炎が、右に、揺れた。
三十八話から、十一話、連続だった。
棚の右端に、五十二本分の、空の燭台が、並んでいた。
蝋燭の炎が、揺れるたびに、壁に、影が、伸びた。
誰かの影のように、見えた。
誰の影か、は、わからなかった。
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部屋の中に、私の影が、落ちていた。
影は、映っていた。
あなたが今日、鏡を見たなら——
そこにあなたが映っているのを、あなた以外の誰かが、確認しただろうか。
「気のせい」という言葉が使えるのは、一人でいるうちだけだ。
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【次回予告】
百物語 第四十九話:カウントダウン
削除できない動画のカウントダウンが、10を切った——高坂陸が、また来た。
数値が減るたびに、陸の記憶が一日分ずつ、消えていく。
消えた記憶の場所には、別の誰かの体験が、流れ込んできた。