継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
五十二本目は、芦川美咲が、また、持ち込んだ。
美咲《みさき》が来たのは、日曜の、昼過ぎだった。
カバンの他に、古い菓子箱を、抱えていた。
「あの子の遺品、全部、持ってきました」
「取材記録が、先生に渡した話と、全部、一致してた——あのメールの、続きです」
「あれから、ずっと、考えてたんです。始まりから、見直そうって」
蝋燭は、五十一本、灯っていた。
美咲は、今日は、入ってきたとき、その数を、数えた。
声には、出さなかった。
唇だけが、五十一まで、動いた。
数え終えてから、箱を、机に、置いた。
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箱の一番上に、一枚の、メモがあった。
「見つけた。真実を。でも、もう遅い」
七年前、失踪した親友《あのこ》の机に、残されていたものだ。
紙の折り目は、白く、毛羽立っていた。
四つ折りの癖が、開いても、戻ろうとしていた。
「毎朝、読むんです。七年、毎朝」
「もう、見なくても、書けます。字の掠れの位置まで、そのまま」
美咲は、メモの角を、指で、押さえた。
いつもの、日常の動作に、見えた。
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「先週、これに、ライトを当てました」
「白紙のページの、あれから、癖になってるんです。紙は、斜めから、見るように」
美咲は、私の机のスタンドを、借りて、倒した。
光が、紙の上を、横から、撫でた。
「もう遅い」の行の、下。
七年間、何もないと思っていた余白に、鉛筆の、薄い一行が、あった。
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「お前が記録を止めるのが、遅い」
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私は、顔を、近づけた。
黒鉛は、掠れて、紙の繊維に、馴染んでいた。
昨日今日に、書かれた線では、なかった。
私にも、見えた。
写真にも、写った。
白紙のページの「みさき」とは、そこが、違った。
誰の目にも、残る形で、七年、そこに、あった。
美咲は、スタンドを、元に、戻さなかった。
光は、斜めの、ままだった。
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「七年、読み間違えてたんです」
「『もう遅い』は、あの子を止められなかった私に、向けた言葉だと、思ってました」
「失踪を止めるには、もう遅い、って」
「でも、違った。遅い、のは——気づくのが、です」
「そして、宛先は、記録する誰か、です」
美咲は、私を、見なかった。
メモだけを、見ていた。
「私も、記録する仕事です。最初は、私宛かと、思いました」
「でも、七年前の私は、あの子と同じ大学の、ただの学生です。記録なんて、まだ、始めてもいない」
「だから、これを、確かめに来ました」
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美咲は、箱から、小さな帳面を、出した。
住所録だった。
大学の生協の、ビニール表紙。
角に、値札のシールが、残っていた。
ページは、書いた順に、埋まっていた。
同級生の名前。サークルの先輩。実家。歯医者。
日付は、ないが、書かれた順番が、そのまま、時間の順番だった。
インクの色は、どれも、同じだけ、褪せていた。
その、途中に、一行。
「観測者」
三文字だけが、あった。
住所の欄は、空白だった。
電話番号も、なかった。
前の欄には、ゼミの教授の名前と、研究室の内線番号。
次の欄には、同級生の、実家の住所。
その間に、名前だけの欄が、挟まっていた。
連絡の、とりようのない、一行だった。
その頁にだけ、開き癖が、ついていなかった。
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「七年前、警察に渡す前に、一度、全部、見てるんです。この住所録も」
「この欄も、見ました。覚えてます」
「誰かの、あだ名だと思って、飛ばしました」
「私、これを、七年前に、見てるんです」
美咲の声は、途中から、低くなった。
「あの子は、先生を、知ってました」
「私が、先生に会う、ずっと前から」
「一度も、会ったことは、ないはずなのに」
「あの子のお母さんにも、電話で、確かめました」
「この欄のことは、知りませんでした」
「あの子の口から、観測者、という言葉を聞いた人は、誰も、いませんでした」
「書いた本人しか、知らない、名前でした」
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私は、その頁を、見た。
前後の欄のインクの褪せ方と、その三文字の褪せ方は、同じだった。
新しい書き込みでは、なかった。
蝋燭の光が、頁の端に、届いていた。
五十一本の炎は、動いていなかった。
私は、三文字を、指で、なぞりかけて——途中で、手を、引いた。
代わりに、自分のノートに、その欄を、書き写した。
「観測者」。
ペンは、止まらなかった。
年表の、五十一日目の欄には、書けなかった手が、この三文字は、書けた。
書き慣れた、三文字だった。
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「真実を、見つけた人から、消えるんだと、思ってました」
「あの子は、真実を見つけて、消えた。だから、次に見つけた人も、消える。そういう、順番なんだと」
「七年、その順番の中に、自分を、置いてきました」
「でも、このメモ、私宛じゃ、なかったんです」
「七年間、あの子の最後の言葉を、私への言葉だと思って、生きてきました」
「七年分の、読み方ごと、宛先が、違ってました」
美咲は、メモを、四つに、畳んだ。
畳むと、七年分の折り目に、ぴったり、重なった。
「あの子が、最後に警告した相手は、私じゃなくて——」
そこで、止めた。
先を、言わなかった。
代わりに、下を向いて、頬を、拭った。
声は、最後まで、震えて、いなかった。
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美咲が帰ったあと、私は、書き写した三文字を、見た。
七年前に、会ったこともない人間の帳面に、この名前は、もう、あった。
誰が、教えたのか。
それとも——教える必要が、なかったのか。
考えて、気づいた。
私を、この名前で、最初に呼んだのは、誰だったか。
思い出そうとした。
出てこなかった。
語り部の、誰かでは、なかった気がする。
自分で名乗った覚えも、なかった。
名前だけが、先に、あった。
いつからかは、分からない。
ただ、七年前には、もう、紙の上に、あった。
私は、その先を、書かずに、ノートを、閉じた。
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私は、五十二本目の蝋燭に、火を、つけた。
炎が、右に、揺れた。
十五話、連続だった。
五十二本の炎は、今日も、互いに、よく、似ていた。
机の上の、書き写した三文字に、五十二本分の光が、届いていた。
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翌朝、美咲から、写真付きのメールが、届いた。
親友の、旧い日記の、最後のページだった。
几帳面な字で、一行、あった。
「気をつけて、美咲。あなたも、あの人の一部に、なるかもしれない」
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残り、四十八本。
【次回予告】
百物語 第五十三話:数式の中の真実
違和感の発生頻度に、法則があった。
数列の周期は、七の倍数だった。
分析を頼んだ陸が、言いかけて——止めた。