継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~   作:yami_craft

52 / 60
これは私が記録した、五十二本目の違和感である。

五十二本目は、芦川美咲が、また、持ち込んだ。


第五十二話:親友のメモ

 

美咲《みさき》が来たのは、日曜の、昼過ぎだった。

カバンの他に、古い菓子箱を、抱えていた。

「あの子の遺品、全部、持ってきました」

「取材記録が、先生に渡した話と、全部、一致してた——あのメールの、続きです」

「あれから、ずっと、考えてたんです。始まりから、見直そうって」

蝋燭は、五十一本、灯っていた。

美咲は、今日は、入ってきたとき、その数を、数えた。

声には、出さなかった。

唇だけが、五十一まで、動いた。

数え終えてから、箱を、机に、置いた。

────────────────

箱の一番上に、一枚の、メモがあった。

「見つけた。真実を。でも、もう遅い」

七年前、失踪した親友《あのこ》の机に、残されていたものだ。

紙の折り目は、白く、毛羽立っていた。

四つ折りの癖が、開いても、戻ろうとしていた。

「毎朝、読むんです。七年、毎朝」

「もう、見なくても、書けます。字の掠れの位置まで、そのまま」

美咲は、メモの角を、指で、押さえた。

いつもの、日常の動作に、見えた。

────────────────

「先週、これに、ライトを当てました」

「白紙のページの、あれから、癖になってるんです。紙は、斜めから、見るように」

美咲は、私の机のスタンドを、借りて、倒した。

光が、紙の上を、横から、撫でた。

「もう遅い」の行の、下。

七年間、何もないと思っていた余白に、鉛筆の、薄い一行が、あった。

────────────────

「お前が記録を止めるのが、遅い」

────────────────

私は、顔を、近づけた。

黒鉛は、掠れて、紙の繊維に、馴染んでいた。

昨日今日に、書かれた線では、なかった。

私にも、見えた。

写真にも、写った。

白紙のページの「みさき」とは、そこが、違った。

誰の目にも、残る形で、七年、そこに、あった。

美咲は、スタンドを、元に、戻さなかった。

光は、斜めの、ままだった。

────────────────

「七年、読み間違えてたんです」

「『もう遅い』は、あの子を止められなかった私に、向けた言葉だと、思ってました」

「失踪を止めるには、もう遅い、って」

「でも、違った。遅い、のは——気づくのが、です」

「そして、宛先は、記録する誰か、です」

美咲は、私を、見なかった。

メモだけを、見ていた。

「私も、記録する仕事です。最初は、私宛かと、思いました」

「でも、七年前の私は、あの子と同じ大学の、ただの学生です。記録なんて、まだ、始めてもいない」

「だから、これを、確かめに来ました」

────────────────

美咲は、箱から、小さな帳面を、出した。

住所録だった。

大学の生協の、ビニール表紙。

角に、値札のシールが、残っていた。

ページは、書いた順に、埋まっていた。

同級生の名前。サークルの先輩。実家。歯医者。

日付は、ないが、書かれた順番が、そのまま、時間の順番だった。

インクの色は、どれも、同じだけ、褪せていた。

その、途中に、一行。

「観測者」

三文字だけが、あった。

住所の欄は、空白だった。

電話番号も、なかった。

前の欄には、ゼミの教授の名前と、研究室の内線番号。

次の欄には、同級生の、実家の住所。

その間に、名前だけの欄が、挟まっていた。

連絡の、とりようのない、一行だった。

その頁にだけ、開き癖が、ついていなかった。

────────────────

「七年前、警察に渡す前に、一度、全部、見てるんです。この住所録も」

「この欄も、見ました。覚えてます」

「誰かの、あだ名だと思って、飛ばしました」

「私、これを、七年前に、見てるんです」

美咲の声は、途中から、低くなった。

「あの子は、先生を、知ってました」

「私が、先生に会う、ずっと前から」

「一度も、会ったことは、ないはずなのに」

「あの子のお母さんにも、電話で、確かめました」

「この欄のことは、知りませんでした」

「あの子の口から、観測者、という言葉を聞いた人は、誰も、いませんでした」

「書いた本人しか、知らない、名前でした」

────────────────

私は、その頁を、見た。

前後の欄のインクの褪せ方と、その三文字の褪せ方は、同じだった。

新しい書き込みでは、なかった。

蝋燭の光が、頁の端に、届いていた。

五十一本の炎は、動いていなかった。

私は、三文字を、指で、なぞりかけて——途中で、手を、引いた。

代わりに、自分のノートに、その欄を、書き写した。

「観測者」。

ペンは、止まらなかった。

年表の、五十一日目の欄には、書けなかった手が、この三文字は、書けた。

書き慣れた、三文字だった。

────────────────

「真実を、見つけた人から、消えるんだと、思ってました」

「あの子は、真実を見つけて、消えた。だから、次に見つけた人も、消える。そういう、順番なんだと」

「七年、その順番の中に、自分を、置いてきました」

「でも、このメモ、私宛じゃ、なかったんです」

「七年間、あの子の最後の言葉を、私への言葉だと思って、生きてきました」

「七年分の、読み方ごと、宛先が、違ってました」

美咲は、メモを、四つに、畳んだ。

畳むと、七年分の折り目に、ぴったり、重なった。

「あの子が、最後に警告した相手は、私じゃなくて——」

そこで、止めた。

先を、言わなかった。

代わりに、下を向いて、頬を、拭った。

声は、最後まで、震えて、いなかった。

────────────────

美咲が帰ったあと、私は、書き写した三文字を、見た。

七年前に、会ったこともない人間の帳面に、この名前は、もう、あった。

誰が、教えたのか。

それとも——教える必要が、なかったのか。

考えて、気づいた。

私を、この名前で、最初に呼んだのは、誰だったか。

思い出そうとした。

出てこなかった。

語り部の、誰かでは、なかった気がする。

自分で名乗った覚えも、なかった。

名前だけが、先に、あった。

いつからかは、分からない。

ただ、七年前には、もう、紙の上に、あった。

私は、その先を、書かずに、ノートを、閉じた。

────────────────

私は、五十二本目の蝋燭に、火を、つけた。

炎が、右に、揺れた。

十五話、連続だった。

五十二本の炎は、今日も、互いに、よく、似ていた。

机の上の、書き写した三文字に、五十二本分の光が、届いていた。

────────────────

翌朝、美咲から、写真付きのメールが、届いた。

親友の、旧い日記の、最後のページだった。

几帳面な字で、一行、あった。

「気をつけて、美咲。あなたも、あの人の一部に、なるかもしれない」

────────────────

残り、四十八本。




【次回予告】
百物語 第五十三話:数式の中の真実

違和感の発生頻度に、法則があった。
数列の周期は、七の倍数だった。
分析を頼んだ陸が、言いかけて——止めた。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。