継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
五十四本目は、水瀬凛が、また、持ち込んだ。
カフェだった。
いつもの、窓際の席。
凛は、先に、座っていた。
テーブルの上に、何も、なかった。
注文を、していなかった。
いつも手にしているスマホも、出ていなかった。
店員が来ると、凛は、水だけで、いいです、と、言った。
「先生。棚の蝋燭、今、五十三本ですよね」
私は、頷いた。
「じゃあ、五十四本目、持ってきました」
凛は、両手を、膝の上に、置いていた。
指が、白くなるほど、組まれていた。
私は、ノートを、開いた。
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(凛の語り)
先生、あの席、覚えてますか。
三年B組の、いちばん後ろの、窓際。
半年前に、机ごと、消えた席です。
みんなが、もともとなかった、って言った、あの場所です。
あれから、私、あの床を、見ないように、してました。
床の文字も、確かめてません。
でも、先週の、木曜日。
日直で、遅くまで、残ってたんです。
日誌を書く、ペンの音だけが、してました。
書き終わって、顔を上げたら、教室には、私しか、いませんでした。
西陽が、床まで、届いてました。
黒板に、消し残しの、チョークの線が、ありました。
グラウンドから、金属バットの音が、聞こえてました。
普通の、放課後でした。
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あの場所に、机が、ありました。
椅子も、ありました。
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半年ぶりでした。
そして、誰かが、座ってました。
白髪でした。
肩まである、まっすぐな、白髪。
長さも、毛先の揃い方も、私と、同じでした。
色だけが、白でした。
窓の外の、バットの音が、いつの間にか、止んでました。
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逃げよう、と、思いました。
思っただけで、足は、動きませんでした。
椅子が、鳴りました。
一呼吸、あって。
その人が、ゆっくり、振り返りました。
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おばあさん、でした。
七十年ぶん、くらい、老いてました。
でも、目の形が、私でした。
鼻の高さが、私でした。
耳の形が、私でした。
朝、洗面所で見る顔を、そのまま、七十年、置いておいたら、こうなる、っていう顔でした。
息を、しているのか、分かりませんでした。
肩が、上下して、いませんでした。
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「座って」
声も、私でした。
低くなった、私の声でした。
机を、五つ、挟んでるのに、耳のすぐ横で、聞こえました。
私、座りませんでした。
立ったまま、聞きました。
誰、ですか。
その人は、答えませんでした。
代わりに、こう、言いました。
「あなたは今、正しいところにいる」
「でも、そこから、一歩、踏み出したら——戻れない」
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一歩って、どこへ、ですか。
聞いた瞬間、その人が、笑いました。
笑った顔で、分かったんです。
目尻の、皺の寄り方。
仏壇の写真の中の、お父さんの、笑い方でした。
私の顔なのに、笑うと、お父さんに、なるんです。
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「お父さんに、会いたいでしょ」
「あっちに行ったら、会えるよ」
優しい、言い方でした。
学校の誰よりも、優しい、言い方でした。
「ただし——ここには、戻れない」
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気づいたら、私の右足が、半歩、前に、出てました。
出した覚えは、ないです。
下がるより、先に、出てたんです。
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窓から、西陽が、入ってました。
埃が、光の中で、舞ってました。
その人の、まわりだけ、埃が、止まってました。
舞わずに、空中で、止まってました。
私が、動いても、埃は、動きませんでした。
私、それを見て、やっと、足を、引けました。
下がった私に、その人は、もう、興味がないみたいでした。
顔を、教室の、後ろのドアのほうへ、向けました。
誰も、いないドアです。
そして、言いました。
「聞いてる人が、いるね」
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気がついたら、廊下を、走ってました。
昇降口で、上履きが、手から、二回、落ちました。
電車の中でも、家に着いてからも、ずっと、考えてました。
怖かったのは、あの顔じゃ、ないんです。
「会えるよ」って、言われたとき。
私、一瞬、行き方を、聞きそうに、なったんです。
口が、開きかけてたんです。
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家で、お父さんの写真を、見ました。
仏壇の、笑ってる写真です。
目尻の皺が、あの人と、同じでした。
それから、洗面所で、鏡を、見ました。
私の目尻に、皺は、まだ、ありません。
でも、笑ってみたら、皺の、寄りはじめる場所が、同じでした。
その夜も、布団に入ったら、声が、来ました。
いつもの、あの声です。
私、その夜は、何も、話しませんでした。
声は、待ってました。
朝まで、待ってる気配が、しました。
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で、昨日、金曜日です。
教室に入ったら、あの席、まだ、ありました。
机も、椅子も。
私にだけ、見えてるんだと、思ってました。
違いました。
前の席の子が、あの席に、鞄を、置いたんです。
置いてから、首を、かしげました。
「ここ、誰の席だっけ」
まわりの子も、見に来ました。
「あの席、いつから、あったっけ」
誰も、答えられませんでした。
半年前、みんな、言ったんです。
もともと、なかったよ、って。
今は、誰も、そう、言いません。
いつからあったのかを、誰も、思い出せないだけです。
(凛の語り、終わり)
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凛は、語り終えると、グラスの水を、見た。
口は、つけなかった。
「先生」
凛は、私のノートを、見ていた。
「私、まだ、ここに、いますよね」
私は、頷いた。
凛は、今日も、頷き返さなかった。
鞄を、肩に、かけて、店を、出ていった。
窓越しに、後ろ姿が、見えた。
改札のほうへ、歩いていった。
普通の、後ろ姿だった。
私は、それが見えなくなるまで、見ていた。
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家に、帰った。
凛の話を、ノートに、書き写した。
「聞いてる人が、いるね」
その一行で、ペンが、一度、止まった。
老いた凛が、顔を向けたのは、誰もいない、教室のドアだった。
だが、この話を、いま、聞いた者なら、ここに、いる。
私は、その先を、書かなかった。
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五十四本目の蝋燭に、火を、灯した。
炎が、右に、揺れた。
十七話、連続だった。
火をつけたまま、十五本目の蝋燭を、見た。
凛が、最初の話を、持ってきた夜の、蝋燭だ。
炎が、他の蝋燭より、わずかに、低かった。
芯の長さは、同じだった。
蝋の減り方も、同じだった。
炎だけが、低かった。
昨日までは、気づかなかった。
いつから低いのかは、分からなかった。
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残り、四十六本。
あなたの近くにも、いつも空いている場所が、ひとつ、ないだろうか。
教室の隅。職場の椅子。電車の、いつもの席——
「もともと空いている」と、いつから、思っていたのか。
思い出せるだろうか。
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【次回予告】
百物語 第五十五話:観測者の起源
自分が、なぜ、記録を始めたのか——観測者は、思い出せないことに気づく。
最初のノートの一頁目、「これは私が記録した、一本目の違和感である」の、その前の頁が、切り取られていた。
切り口は、外からではなく、内側から。残った紙の端に、文字の一部が、残っていた——「……だから、忘れろ」。