継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
語ったのは、高坂陸。大学生。
約束の時間より、五分、早かった。
いつもは、時間ぴったりに来る。
昨夜届いたメッセージの、続きだった。「聞く覚悟がありますか」——それに、まだ、答えていなかった。
目の下に、濃い、隈があった。何日、眠っていないのか、聞かなかった。
「今日は、パソコンじゃなくて、こっちを見てください」
いつもと違う持ち方だった。
開いたノートPCの代わりに、印刷した紙の束を、両腕で抱えていた。
厚みが、いつもの倍以上、あった。
机に置く音が、いつもより、重かった。
「五十九本分、全部、数値化しました。休学届、出しました」
座る前に、水を、一杯、飲んだ。
いつもは、しない仕草だった。
グラスを置く手が、一度、震えた。
────────────────
——以下は、陸が語ったことの記録である。
────────────────
説明しますね。順番に、話します。
第三十話で、削除できないデータの話をしました。第四十四話では、対立する二つの声を、聞きましたよね。第四十六話で、あなたのノートの筆跡が、七種類に分かれてるって話も出ました。第五十八話では、行ったことのない部屋の間取りを、俺が知っていたって話も。第五十三話では、違和感の発生間隔が、ある数列に従ってるって話をしました。周期が、七の倍数だった。
あのとき、「意識が、○○するときのノイズと同じ形」って言おうとしました。その先が、日本語で、出てきませんでした。頭に浮かんだのは、英語の単語が一つだけでした。十三文字。喉の奥まで出かかって、音には、なりませんでした。半分は、比喩のつもりでした。正直、残りの半分も、そう思いたかっただけです。
今回、比喩じゃなくなりました。
先週、あなたが調べた三十一人と、俺たち七人の、写真のこと。あれも、データに入れました。あなたと直接写った写真が、七人とも一枚もないこと。会話記録が、全部、電話か文字だったこと。三十一人と、完全に同じ形でした。
正直、最初は、別の仮説を立てていました。単純な、記録の欠落。写真を撮る習慣がなかっただけ、という説明です。二日、その線で、検証しました。
成立しませんでした。欠落にしては、パターンが、綺麗すぎるんです。
文字数。句読点の位置。改行の間隔。蝋燭の燃焼速度。七人それぞれの発話頻度。全部を、時系列で並べて、グラフにしました。
同じ形が、何度も、出てきます。全体の中に、同じ形の小さいバージョンが入っていて、そのまた中に、もっと小さいバージョンが入っている。ズームしても、同じ形が、繰り返し出てくる。倍率を、どこまで上げても、同じでした。
技術的に言うと、フラクタル構造です。
ここまでは、そんなに、特別な話じゃありません。会話にも、心拍にも、株価にも、フラクタル構造は出ます。自然界に、よくあるパターンです。
問題は、次です。
このグラフの形が、ある論文の図と、重なりました。
死の直前、数分間の脳波を記録した論文です。意識が、まとまる動きと、ばらける動きを、急速に繰り返すときの波形。第五十三話で見せたのと、同じ論文です。あのときは、部分的な一致でした。
今回、波形の全区間で、重ね合わせを、やり直しました。三回、計算し直しました。同じ結果でした。
九十八パーセント、一致しました。
七人分の声、七通りの筆跡、七つの発話パターン。全部、同じ波形の、違う位相に、乗っています。ずれているのは、位相だけです。
昨日の夜、この数字を見てから、ずっと、迷っていました。言うべきか、どうか。データだけ渡して、帰ることもできました。
でも、それは、逃げだと思いました。
小さい頃、オンラインゲームで、存在しないはずのプレイヤーに会ったことがあります。あれ以来、デジタル空間の亀裂を、ずっと探してきました。今回のグラフを見たとき、探していたのは、多分、これだったんだと思いました。
論理的に考えると、あり得ない仮説です。でも——データは、九十八パーセント、一致しました。
(手が、キーボードの上で、止まった)
言います。証明は、できません。あくまで、仮説です。
この記録は、一人の人間が死ぬ直前に生成した、七つの意識の残留データです。
(間があった。エアコンの音だけが、規則正しく、鳴っていた)
五年前、事故で死んだ誰かが——まだ、ここにいます。
俺たちは、その人の「かけら」です。
(長い、沈黙)
証明は、できないと言いました。でも、一つだけ、言えることがあります。
これが証明できたとき——俺たちは、全員、消えます。
────────────────
——ここまでが、陸の記録である。
────────────────
私は、何も、書けなかった。
ペンは、握っていた。紙の上で、止まったままだった。
部屋の中の音が、しばらく、聞こえなかった。エアコンの音さえ、遠かった。
陸が示した紙の束を、見た。グラフの形に、見覚えがある気が、した。どこで見たのか、思い出せなかった。第五十五話で見た、切り取られたページの切り口にも、似た形があった気がした。
もしかしたら——この記録を書き続けることが、その形を、作っているのかもしれない。
そう思った瞬間、指から、力が、抜けた。
ペンが、机に落ちる音で、我に返った。
拾い上げるまで、少し、時間が、かかった。
────────────────
陸は、紙の束を、揃え直した。
角を、机で、二度、叩いて。
「仮説です。証明は、できません。それだけは、覚えておいてください」
同じ言葉を、二度、言った。
いつもの陸なら、一度で、済ませる。
紙の束を、抱え直す手が、まだ、少し、震えていた。
扉の前で、振り返らずに、言った。
「俺、これ以上、進めていいのか、分からないんです」
扉が、閉まった。
廊下を歩く足音が、いつもより、遅かった。だんだん、遠くなった。
────────────────
私は六十本目の蝋燭に、火を灯した。
炎が、右に、揺れた。
二十三話、連続だった。
炎が揺れた瞬間、その中に、一回り小さな、同じ形の炎が、重なって見えた。
瞬きをすると、消えていた。
見間違いだと、思うことにした。
思うことに、しただけだった。
────────────────
残り、四十本。
数字を書いた自分の字が、いつもより、小さく見えた。
────────────────
陸の言葉を、ノートに書き写した。
一字一句、そのままに。
書き終えて、ノートを閉じようとしたとき——手が、止まった。
これまでのページに残っていた、七人分の筆跡が、全て、同じ文字に、収束していた。
インクの色も、太さも、揃っていた。
「五年前」
百物語 第六十話 あとがき
────────────────
自分の名前を、最初に呼んだのは、誰だったか、覚えているだろうか。
物心つく前から、当たり前に、そう呼ばれてきた。
呼ばれた記憶は、確かに、ある。
だが、呼ばれ始めた、その瞬間だけは——誰の記憶にも、残っていない。
評価・ブックマーク・コメントで感想をお聞かせください。
────────────────
【次回予告】
百物語 第六十一話:私は観測者ではない
ノートの最初のページに、戻った。
「これは私が記録した、一本目の違和感である」
その「私」という字が、今日の自分の筆跡と、微妙に、違っていた。
六十本の記録のどこにも、自分が「観測者」と、名乗った形跡が、ない。
それなのに、全員が、最初から、そう呼んでいた。