継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~   作:yami_craft

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これは私が記録した、六十二本目の違和感である。

語ったのは、芦川美咲。フリーランス・ルポライター。



第六十二話:美咲の消失

電話が鳴ったのは、日付が変わる少し前だった。

 

美咲だった。

 

取材の連絡には、遅すぎる時間だった。

 

出ると、しばらく、呼吸の音だけが、続いた。画面の明かりだけが、部屋にあるようだった。床に座り込んでいるのか、声の高さが、いつもと違った。

 

「聞いてほしいことが、あります」

 

声は、いつもより、掠れていた。

 

 

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――以下は、美咲が語ったことの記録である。

 

 

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三日前、ポートフォリオサイトを、更新しようとしました。

 

新しい依頼が来ていて、実績のページを、整理し直す必要がありました。七年分の記事を、リンクでまとめる作業です。何百回も、やってきました。

 

一つ目のリンクを、クリックしました。

 

「お探しのページは見つかりませんでした」

 

古い記事だから、サーバーの移転かと、思いました。

 

二つ目、三つ目——最後まで、同じでした。四十七本、全部です。

 

魚拓サイトでも、確認しました。

 

「このページは、存在したことがありません」

 

 

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SNSのアカウントを、確認しました。

 

七年間、更新し続けてきたアカウントです。フォロワーの数も、覚えていました。

 

ログインしようとすると、こう出ました。

 

「このアカウントのユーザーは存在しません」

 

パスワードを、三回、打ち直しました。表示は、変わりませんでした。

 

指の腹が、画面の熱で、じんわり、湿っていました。画面を、何度も、拭きました。表示は、変わりませんでした。

 

 

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本棚から、去年の特集号を、取り出しました。

 

自分の名前が載っているはずの、ページを、開きました。

 

記事は、ありました。文章は、覚えている通りでした。取材で撮った写真も、そのままでした。

 

署名の欄だけが、空白でした。

 

インクが薄れた跡も、削り取った跡も、ありませんでした。最初から、そこに名前は、なかったかのようでした。

 

指の腹で、その部分を、なぞりました。紙の目が、そこだけ、感じられませんでした。

 

隣のページも、確かめました。他のライターの名前は、ちゃんと、印刷されていました。自分の欄だけが、白いままでした。

 

本を閉じて、また開きました。何度も、開きました。変わりませんでした。

 

 

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一番古くから付き合いのある編集者に、電話しました。

 

呼び出し音は、いつも通りでした。オフィスの、蛍光灯の音が、後ろに聞こえました。

 

「芦川美咲さん、ですか」

 

名乗ったのに、確認されました。

 

「……申し訳ありません。うちには、そのお名前のライターと取引した記録が、見当たりません」

 

丁寧な声でした。事務的な、丁寧さでした。

 

七年間、毎月のように、原稿を送ってきた相手です。名前も、担当編集の顔も、はっきり、覚えています。

 

「去年の特集です。三月に、お渡ししたはずです。タイトルも、覚えています」

 

少しの間がありました。キーボードを叩く音が、聞こえました。

 

「三月号は、別の方の記事で、埋まっています。最初から」

 

「契約書は、残っていませんか。振込の記録は」

 

もう一度、キーボードの音がしました。長く、続きました。

 

「……何も、出てきません。人事にも、確認しましたが、契約実績自体が、ないそうです」

 

「七年間ですよ。毎月、送っていました」

 

自分の声が、少し、大きくなっているのが、分かりました。

 

「すみません、以前どこかで、お会いしましたか。お声に、聞き覚えが、ないんです」

 

その一言が、一番、応えました。原稿の内容ではなく、記録の有無でもなく——声にさえ、覚えがないという事実でした。

 

電話を、切りました。

 

指が、震えていました。止めようとして、止まりませんでした。

 

「もしもし」と、試しに、自分の声で、言ってみました。声が、耳に届くまで、一拍、遅れました。

 

窓に映った自分の輪郭を、しばらく、見ていました。

 

 

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思い出したことが、あります。

 

数日前、電話で、あなたに聞かれました。「最初のメッセージ、残っていますか」

 

確認しようとしたら、もう、消えていました。

 

あのときは、笑って、流しました。「言われた記憶は、あるんです」と、答えました。

 

今なら、分かります。

 

あれも、同じことでした。最初の、一つ目でした。私は、気づいていませんでした。気づかないまま、二つ目、三つ目が、続いていたんだと思います。

 

 

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七年間、書いてきた記事は、どこにも、残っていません。

 

インタビューした人たちの記憶にも、たぶん、もう、残っていません。

 

私の記憶の中にしか、ありません。

 

覚えている限り、それは、あったことになります。

 

覚えていなければ——最初から、なかったことと、区別が、つきません。

 

叫びたいのを、我慢しています。「私はここにいる」と。

 

声に出しても、誰に、届くのか、分かりません。届いた相手の記録にも、残らない気がします。

 

叫んだところで、証明には、ならない気がします。それでも、黙っている方が、もっと、消えていく気がします。

 

 

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記録してください。

 

私が、確かに存在したことを。

 

あなたのノートだけが——私が消えないための、最後の場所かもしれません。

 

 

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――ここまでが、美咲の記録である。

 

 

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通話を、切った。

 

しばらく、机の前に、座っていた。エアコンの音だけが、部屋に、残った。

 

ノートを、開いた。

 

美咲の言葉を、そのまま、書き写した。

 

彼女の名前を、書いた。芦川美咲、と。

 

消えないように、力を込めて書いた気が、した。ペン先が、紙に、少し、めり込んだ。

 

私には、名乗った記録さえ、ない。彼女には、七年分の記録が、あった。それが、今、消えていく。

 

始めから何もなかった私と、あったものを失っていく美咲。順番が違うだけで、行き着く先は、同じ場所かもしれなかった。

 

その記録が、何かの証明になるのかどうか、私には、分からなかった。

 

それでも、書くこと以外に、できることが、なかった。

 

 

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書き終えてから、六十二本目の蝋燭に、火を灯した。

 

マッチの先が、震えて、二度、擦り直した。

 

炎が、右に、揺れた。

 

二十五話、連続だった。窓の外は、まだ、暗かった。美咲が、この夜のどこかで眠れているかどうか、確かめる手段は、私には、なかった。

 

 

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残り、三十八本。

 

数字を、いつもより、丁寧に、書いた。誰かの名前を書く欄が、このノートにあれば、そこに何を書くべきか——考えたが、答えは、出なかった。

 




百物語 第六十二話 あとがき

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自分が、確かにここにいる証拠を、今すぐ、一つ、挙げられるだろうか。

写真でも、記録でも、誰かの記憶でも、いい。

挙げようとして——それが、本当に「自分」だという保証まで、遡れるだろうか。

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【次回予告】

百物語 第六十三話:語り部は誰だ

美咲との電話を切った、直後だった。

美咲に、電話をかけた記憶がある。

美咲から、電話を受けた記憶も、ある。

同じ時刻に、両方とも
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