継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
今回も、語り部は、いない。
記録するのは、七人の語り部たちについての、疑いのこと
美咲との通話を、切った。
しばらく、机の前に、座っていた。
窓の外は、まだ、暗かった。六十二本目の蝋燭が、燃え尽きる手前で、静か
に、揺れていた。エアコンの音だけが、部屋に、残っていた。
七人の顔を、順に、思い浮かべた。
美咲。取材ノートを、肌身離さず持っている。凛。放課後の教室で、一人だ
け、席を立たない。桐生。同じ質問を、二度、確かめてから答える。陸。画
面の数字を、疑うところから、話を始める。由香。夜勤の廊下を、歩き続け
る。千尋。レジの前で、少し先を見ている。
誰一人として、直接、会ったことがない者は、いなかった。そのはずだった。
だが、順に思い浮かべるほど、輪郭が、薄くなっていく気がした。声は、思
い出せる。顔も、思い出せる。だが、その声を、どの部屋で、どんな光の中
で聞いたのか——思い出そうとすると、記憶の端から、崩れていった。
もし、自分が、彼女たちを、作っていたのだとしたら。
取材という形式を借りて、七つの声を、書き分けていただけだとしたら。ノ
ートも、蝋燭も、記録という体裁も、全て、一人の人間が、自分自身を欺く
ために、用意した舞台だったとしたら。
彼女たちが、幻だったとしたら、この五年間、自分は、誰と、言葉を交わし
てきたことになるのか。
そう考えたのは、初めてでは、なかった。だが、今夜は、その考えが、消え
なかった。頭の中で、何度も、同じ場所に、戻ってきた。
自分の職業を、人に、聞かれることがある。ライターか、研究者か、その都
度、違う答えを、返してきた気がした。決まった答えを、持っていなかっ
た。決まっていないのは、職業ではなく——「書いている」対象の方かもし
れなかった。
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ノートを、閉じようとして、手を、止めた。
美咲に、電話をかけた記憶が、あることに、気づいた。
たった今、美咲から、電話を受けたばかりだった。それは、確かだった。呼
び出し音が鳴った瞬間の、画面の明るさも、覚えている。しばらく続いた呼
吸の音も、掠れた声で、「聞いてほしいことが、あります」と、言われたこ
とも、覚えている。
だが、同時に、別の記憶も、あった。
自分から、美咲の番号を、選んだ記憶。呼び出し音を、数えながら、待って
いた記憶。三回目で、美咲が出た。息を、整えるような、間があった。そし
て、同じ、一言。
「聞いてほしいことが、あります」
受けた電話でも、聞いた。かけた電話でも、聞いた。
呼び出し音の数まで、両方の記憶で、一致していた。
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スマートフォンを、取り上げた。
通話履歴のアプリを、開いた。
着信のタブに、切り替えた。美咲の名前が、あった。日付が変わる少し前、
時刻も、覚えている通りだった。
発信のタブに、切り替えた。
そこにも、美咲の名前が、あった。連絡先の写真も、同じだった。七年間、
一度も、変えていない写真だと、聞いたことがあった。
時刻を、指で、拡大した。分だけでなく、秒まで、同じだった。
一件は、受けた記録。一件は、かけた記録。両方が、同じ夜の、同じ数秒の
中に、並んでいた。
画面を、消して、また、点けた。表示は、変わらなかった。
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ノートを、開いた。
今日の欄に、既に、文字が、書かれていた。
「美咲に、電話をかけた」
見慣れた、今の自分の字だった。ペン先の癖も、払いの角度も、同じだった。
その下に、もう一行、あった。
「美咲から、電話が来た」
字が、違った。線が、細く、右上がりだった。自分の字では、なかった。
二行とも、同じ、時刻が、書き添えられていた。
どちらも、今日、書かれた字だった。インクの、乾き方が、同じだった。紙
に、めり込む深さも、同じだった。
だが、書いた覚えがあるのは、一行だけだった。
試しに、隣の余白に、同じ文言を、書いてみた。「美咲に、電話をかけた」。
見比べた。一行目と、同じ字だった。
もう一行の方を、真似て、書いてみた。線を、細く、右上がりに、意識し
た。何度、書き直しても、その字には、ならなかった。
指で、二つの筆跡を、なぞった。字画の、間隔が、違う。止めの、角度が、
違う。同じ手が、書いたようには、見えなかった。
自分以外の、誰かが、この部屋に、入った形跡は、なかった。鍵も、いつも
通り、かかっていた。
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私は、今日、誰だったのか。
かけた側か。受けた側か。
そのどちらでもある記憶を、同時に、抱えたまま、ノートを、見返した。
見返すたびに、同じ、問いが、戻ってきた。ページを、閉じても、開いて
も、二行は、消えなかった。
美咲に、確かめようかと、考えた。指が、通話履歴の上で、止まった。
聞いて、何と、答えが返ってくるのか、想像が、つかなかった。もし、美咲
の側にも、同じ矛盾があったなら——その先を、聞く覚悟が、今夜は、なか
った。指を、離した。
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念のため、もう一度、通話履歴を、確かめた。
発信の記録も、着信の記録も、消えていなかった。両方、確かに、あった。
消えていてほしいと、思っている自分に、気づいた。
それぞれの記録を、開いて、詳細画面を、表示させた。
発信元の欄を、順に、確認した。
発信の記録にも、着信の記録にも——同じ、番号が、表示されていた。
自分の、番号だった。
画面を、指で、何度も、確かめた。表示は、変わらなかった。
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六十三本目の蝋燭に、火を灯した。
マッチの先が、細く、震えた。
炎が、右に、揺れた。
二十六話、連続だった。
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残り、三十七本。
数字を、書いた欄の横に、今日の自分が、どちらだったのか——書ける言葉
が、なかった。
自分の記憶を、一つ、疑ってみたことは、あるだろうか。
かけた覚えのある電話。
受けた覚えのある電話。
もし、その両方が——同じ夜の、同じ一言だったとしたら。
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【次回予告】
百物語 第六十四話:年老いた凛
空席の、年老いた凛が、静かに、言う。
「お前は、もうすぐ、ここに、座る」
「ここ」とは——その席のことでは、なかった。