継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~   作:yami_craft

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これは私が記録した、六十三本目の違和感である。

今回も、語り部は、いない。

記録するのは、七人の語り部たちについての、疑いのこと


第六十三話:語り部は誰だ

美咲との通話を、切った。

 

しばらく、机の前に、座っていた。

 

窓の外は、まだ、暗かった。六十二本目の蝋燭が、燃え尽きる手前で、静か

に、揺れていた。エアコンの音だけが、部屋に、残っていた。

 

七人の顔を、順に、思い浮かべた。

 

美咲。取材ノートを、肌身離さず持っている。凛。放課後の教室で、一人だ

け、席を立たない。桐生。同じ質問を、二度、確かめてから答える。陸。画

面の数字を、疑うところから、話を始める。由香。夜勤の廊下を、歩き続け

る。千尋。レジの前で、少し先を見ている。

 

誰一人として、直接、会ったことがない者は、いなかった。そのはずだった。

 

だが、順に思い浮かべるほど、輪郭が、薄くなっていく気がした。声は、思

い出せる。顔も、思い出せる。だが、その声を、どの部屋で、どんな光の中

で聞いたのか——思い出そうとすると、記憶の端から、崩れていった。

 

もし、自分が、彼女たちを、作っていたのだとしたら。

 

取材という形式を借りて、七つの声を、書き分けていただけだとしたら。ノ

ートも、蝋燭も、記録という体裁も、全て、一人の人間が、自分自身を欺く

ために、用意した舞台だったとしたら。

 

彼女たちが、幻だったとしたら、この五年間、自分は、誰と、言葉を交わし

てきたことになるのか。

 

そう考えたのは、初めてでは、なかった。だが、今夜は、その考えが、消え

なかった。頭の中で、何度も、同じ場所に、戻ってきた。

 

自分の職業を、人に、聞かれることがある。ライターか、研究者か、その都

度、違う答えを、返してきた気がした。決まった答えを、持っていなかっ

た。決まっていないのは、職業ではなく——「書いている」対象の方かもし

れなかった。

 

 

────────────────

 

 

ノートを、閉じようとして、手を、止めた。

 

美咲に、電話をかけた記憶が、あることに、気づいた。

 

たった今、美咲から、電話を受けたばかりだった。それは、確かだった。呼

び出し音が鳴った瞬間の、画面の明るさも、覚えている。しばらく続いた呼

吸の音も、掠れた声で、「聞いてほしいことが、あります」と、言われたこ

とも、覚えている。

 

だが、同時に、別の記憶も、あった。

 

自分から、美咲の番号を、選んだ記憶。呼び出し音を、数えながら、待って

いた記憶。三回目で、美咲が出た。息を、整えるような、間があった。そし

て、同じ、一言。

 

「聞いてほしいことが、あります」

 

受けた電話でも、聞いた。かけた電話でも、聞いた。

 

呼び出し音の数まで、両方の記憶で、一致していた。

 

 

────────────────

 

 

スマートフォンを、取り上げた。

 

通話履歴のアプリを、開いた。

 

着信のタブに、切り替えた。美咲の名前が、あった。日付が変わる少し前、

時刻も、覚えている通りだった。

 

発信のタブに、切り替えた。

 

そこにも、美咲の名前が、あった。連絡先の写真も、同じだった。七年間、

一度も、変えていない写真だと、聞いたことがあった。

 

時刻を、指で、拡大した。分だけでなく、秒まで、同じだった。

 

一件は、受けた記録。一件は、かけた記録。両方が、同じ夜の、同じ数秒の

中に、並んでいた。

 

画面を、消して、また、点けた。表示は、変わらなかった。

 

 

────────────────

 

 

ノートを、開いた。

 

今日の欄に、既に、文字が、書かれていた。

 

「美咲に、電話をかけた」

 

見慣れた、今の自分の字だった。ペン先の癖も、払いの角度も、同じだった。

 

その下に、もう一行、あった。

 

「美咲から、電話が来た」

 

字が、違った。線が、細く、右上がりだった。自分の字では、なかった。

 

二行とも、同じ、時刻が、書き添えられていた。

 

どちらも、今日、書かれた字だった。インクの、乾き方が、同じだった。紙

に、めり込む深さも、同じだった。

 

だが、書いた覚えがあるのは、一行だけだった。

 

試しに、隣の余白に、同じ文言を、書いてみた。「美咲に、電話をかけた」。

見比べた。一行目と、同じ字だった。

 

もう一行の方を、真似て、書いてみた。線を、細く、右上がりに、意識し

た。何度、書き直しても、その字には、ならなかった。

 

指で、二つの筆跡を、なぞった。字画の、間隔が、違う。止めの、角度が、

違う。同じ手が、書いたようには、見えなかった。

 

自分以外の、誰かが、この部屋に、入った形跡は、なかった。鍵も、いつも

通り、かかっていた。

 

 

────────────────

 

 

私は、今日、誰だったのか。

 

かけた側か。受けた側か。

 

そのどちらでもある記憶を、同時に、抱えたまま、ノートを、見返した。

 

見返すたびに、同じ、問いが、戻ってきた。ページを、閉じても、開いて

も、二行は、消えなかった。

 

美咲に、確かめようかと、考えた。指が、通話履歴の上で、止まった。

 

聞いて、何と、答えが返ってくるのか、想像が、つかなかった。もし、美咲

の側にも、同じ矛盾があったなら——その先を、聞く覚悟が、今夜は、なか

った。指を、離した。

 

 

────────────────

 

 

念のため、もう一度、通話履歴を、確かめた。

 

発信の記録も、着信の記録も、消えていなかった。両方、確かに、あった。

消えていてほしいと、思っている自分に、気づいた。

 

それぞれの記録を、開いて、詳細画面を、表示させた。

 

発信元の欄を、順に、確認した。

 

発信の記録にも、着信の記録にも——同じ、番号が、表示されていた。

 

自分の、番号だった。

 

画面を、指で、何度も、確かめた。表示は、変わらなかった。

 

 

────────────────

 

 

六十三本目の蝋燭に、火を灯した。

 

マッチの先が、細く、震えた。

 

炎が、右に、揺れた。

 

二十六話、連続だった。

 

 

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残り、三十七本。

 

数字を、書いた欄の横に、今日の自分が、どちらだったのか——書ける言葉

が、なかった。

 




自分の記憶を、一つ、疑ってみたことは、あるだろうか。

かけた覚えのある電話。

受けた覚えのある電話。

もし、その両方が——同じ夜の、同じ一言だったとしたら。

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【次回予告】

百物語 第六十四話:年老いた凛

空席の、年老いた凛が、静かに、言う。

「お前は、もうすぐ、ここに、座る」

「ここ」とは——その席のことでは、なかった。
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