継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
六十六本目は、桐生修一から、来た。
二日後、指定された喫茶店で、待っていた。
桐生は、時間通りに、現れた。
黒いコートを、脱がずに、座った。
古い手帳を、テーブルの上に、置いた。
コーヒーは、頼まなかった。
「行ってきた」
前置きは、なかった。
「もう一度、確かめるために」
いつもより、声が、低かった。
「証拠が」「事実として」——そう続けるはずの言葉が、来なかった。
かわりに、手帳を、開いた。
コートの、裾が、まだ、湿っていた。乾かす時間も、惜しんできたようだった。
────────────────
(桐生の語り)
今朝、山を、上った。
二十五年、通っている場所だ。半年前にも、一度、来ている。
雨の日を、選んでいるわけじゃない。今日も、たまたま、そうだった。
雨具の、肩が、重い。土の匂いが、湿って、濃い。膝の関節が、若い頃より、余計に、軋む。
道の途中に、当時の、現場がある。今は、更地だ。何も、建っていない。二十五年前、あそこで、七人が、消えた。
最後に残した言葉は、全員、同じだった。「時間が逆に進んでいる。もうすぐ消える」
新人だった、俺が、最初に聞き取った証言だ。
その先に、祠が、ある。祠の脇に、小さな管理小屋が、建っている。
祠の裏に、石が、一つ。
苔むした、古い石だ。
まず、表を、確かめた。
「桐生修一 失踪 二十五年前」
いつもと、同じ文字だった。自分の名前を、自分で、確かめる。二十五年、続けてきた手順だ。
安心は、しなかった。裏を、確かめるための、ただの前段だ。
裏に、回った。
指を、彫り跡に、当てる。
見るより先に、触る。目より先に、指で、確かめる癖が、ついている。刑事の頃、現場でついた癖だ。今も、抜けない。
指先が、止まった。
形が、違う。
半年前、覚えた形と、違う。文字数も、画数も、違う。
袖で、苔を、拭った。見間違いじゃないか、確かめた。
しゃがみ込み、フラッシュライトを、当てた。
雨粒が、レンズの光の中を、横切っていく。
石の裏に、彫られていた文字。
半年前は、こうだった。
「享年三十二歳。五年前に事故死。安らかに眠れ」
今、そこにあるのは——
「享年二十七歳。二十五年前に失踪。安らかに眠れ」
指を、彫り口に、沿わせた。
角が、立っている。
石の色が、周りより、白い。
二十五年、雨風に晒された跡は、なかった。
最近、彫られたものだ。
誰が、いつ、彫ったのか。現場に、道具の跡は、なかった。石屑も、落ちていなかった。
周りを、見た。祠の鈴は、動いていない。足跡は、自分のものしか、なかった。雨が、すぐに、消してしまう足跡だ。
カメラを、構えた。半年前の写真と、並べるためだ。シャッターを、切った。
答えは、出ない。
手帳を、開いた。
雨が、ページに、落ちる。
「第二の死、記録する」
そう、書いた。
ページを、めくった。
手が、止まった。
同じ字で、同じ一文が、もう、書いてあった。
先月の欄だった。
書いた覚えは、ない。
だが、字は、俺の字だ。撥ねも、止めも、癖まで、同じだ。
三十二歳、五年前。二十七歳、二十五年前。
どちらかが、間違っているんじゃない。
矛盾を、選ぶ気は、ない。
両方、記録する。
事実として、両方、扱う。
判断は、後回しにする。
それが、刑事だった頃からの、やり方だ。証拠が二つ出たら、二つとも、調書に載せる。
墓石に、手を、置いたまま。
「俺は、何度死ぬんだ」
声に、出していた。
誰も、答えない。
雨の音だけが、続いていた。
────────────────
帰り際、管理小屋に、寄った。
年配の、管理人が、一人だけ、いた。
「この石のことで、聞きたい」
そう、切り出した。
「この墓は、二十五年前から、あります」
「ただし——建てた人間の、記録が、ない」
台帳を、見せてもらった。石の欄に、施主の名前が、なかった。
「先代から、預かっているだけです。誰が頼んだのかは、うちにも、わからない」
管理人は、そう、付け加えた。
「似たようなのが、他にも、何基か。名前だけで、続柄の欄が、埋まっていないんです」
老いた指で、台帳の、別の行を、示した。読めない字が、並んでいた。
誰かが、二十五年前に、桐生のために、墓を、建てていた。
建てた者の、名前は、どこにも、残っていなかった。
(桐生の語り、終わり)
────────────────
桐生は、そこまで話すと、手帳を、閉じた。
コートの、内ポケットに、しまった。
コーヒーカップは、まだ、運ばれてこないままだった。
しばらく、どちらも、何も言わなかった。
店内の、他の客の声が、遠くに聞こえた。カップの触れる音。レジの音。
桐生は、テーブルの一点を、見ていた。
墓石の裏を、見ていたときと、同じ目だった。
私も、何も、聞かなかった。聞いていい種類の沈黙じゃないと、分かった。
「二つとも、書いておいてくれ」
それだけ、言った。
「どちらが正しいか、決めなくていいのか」
私は、聞いた。
「決められるなら、とっくに、決めている」
桐生は、そう、答えた。
指が、テーブルの木目を、なぞっていた。墓石の裏を、なぞっていたときと、同じ動きだった。
私は、ノートに、そのまま、書いた。
三十二歳と、五年前。
二十七歳と、二十五年前。
二つの欄を、並べて、作った。
どちらかを、消す気には、ならなかった。
桐生は、伝票を、持って、立ち上がった。
奢ってくれた、というより——それ以上、あの席に、座っていたくなかったように、見えた。
コートの裾から、まだ、雨の匂いが、していた。
五年前という日付には、覚えがあった。四十七本目の夜、自分のノートの、一冊目の記録開始日と、一日の狂いもなく、重なっていた。あのとき、自分の手で、確かめた日付だった。
今夜、桐生が持ち帰った石には、その日付が、なかった。
かわりに、二十五年前があった。
────────────────
家に、帰った。
桐生の話を、ノートに、書き写した。
三十二歳と二十七歳、二つの数字を、並べたページを、しばらく、眺めていた。
六十六本目の蝋燭に、火を、灯した。
炎が、右に、揺れた。
二十九話、連続だった。
────────────────
残り、三十四本。
自分の名前が刻まれた石を、見に行ったことは、あるだろうか。
そこに書かれた年齢と、日付。
覚えていたはずの数字と、少しでも、違っていたら——それでも、自分の墓だと、言い切れるだろうか。
評価・ブックマーク・コメントで感想をお聞かせください。
────────────────
【次回予告】
百物語 第六十七話:七人の私
語り部七人は、全て、自分の、人格の断片では——
この問いに、「違う」と、言おうとして。
声が、出なかった。