継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 作:yami_craft
今回も、語り部は、いない。
書くのは、蝋燭のことだ
その動作は、もう、何百回も、繰り返してきた。
夜、記録を、書き終える。棚から、新しい蝋燭を、一本、取り出す。芯に、火を、灯す。しばらく、炎を、見つめる。それから、指先を、湿らせて、芯を、つまむ。じゅっ、という、小さな、音。煙が、まっすぐ、立ち上る。蝋の匂いが、部屋に、薄く、残る。毎晩、同じ匂いだった。
七十二回、そうしてきた。
いつからか、その、指の動きに、迷いが、なくなっていた。手順として、体に、染み付いていた。息を、吸って、吐くのと、同じくらいの、無意識さで、指が、動いた。何を、感じるでもなく、ただ、終える。それが、この作業の、正しい形になっていた。
棚には、燃え尽きた、七十二本の、成れの果てが、並んでいる。長さは、ばらばらだった。長く残ったものもあれば、根元まで、溶け落ちたものもあった。芯だけが、黒く、曲がって、突き出しているものもあった。だが、順番だけは、崩れたことが、なかった。一本ずつ、日付の順に、並べてきた。指でなぞれば、七十二日分の、夜の、感触が、順番に、たどれるはずだった。
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七十三本目の、記録を、書き終えた。
棚から、蝋燭を、取り出す。芯に、火を、灯す。炎が、揺れた。右に。いつもと、同じ、方向だった。
しばらく、机に向かって、今日の記録を、読み返した。字を、確かめる。誤字は、なかった。いつも通りの、確認だった。七十一本目の夜、二つの「一本目」を見比べたときの、あの、進まない考えのことを、少しだけ、思い出した。七十二本目の夜、千尋が、数字を、指から、こぼしていったことも。だが、それらは、頭の隅を、通り過ぎただけだった。
読み終えて、蝋燭に、目を、戻した。
指を、伸ばした。
湿らせようと、水差しに、手を、伸ばしかけた——そのとき。
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声が、聞こえた。
一人の、声では、なかった。
七人分の、声が、重なっていた。美咲の、乾いた、早口。凛の、弾んだ、高い声。桐生の、低く、抑えた、響き。陸の、平坦な、抑揚。由香の、柔らかい、語尾。千尋の、砕けた、口調。それから、もう一つ——聞き覚えのある、けれど、誰のものとも、つかない、声。喉の、奥が、その声の、間合いに合わせて、微かに、震えた、気が、した。
七つが、重なって、一つの、言葉に、なっていた。声の輪郭は、それぞれ、はっきりしていた。なのに、発音される、音の高さと、間合いだけが、完全に、一致していた。まるで、七人が、一つの喉で、話しているかのようだった。
「まだ、消さないで」
外から、聞こえたのか。内から、聞こえたのか。区別が、つかなかった。耳を、塞いでも、変わらない、気がした。確かめる、気には、なれなかった。
指が、止まった。
水差しに、届く、手前で。
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顔を、上げた。
棚に並んだ、燃え尽きた、七十二本の、列に、目を、やった。
そのうち、七本だけが、違っていた。一本目。十本目。十五本目。二十本目。三十本目。四十本目。五十本目。それぞれの、語り部が、初めて、記録に、現れた夜の、蝋燭だった。
芯は、とっくに、炭になっているはずだった。それなのに、七本の、先端に、小さな、炎が、戻っていた。
見つめ直すと、揃っていた。すべての、炎が、同じ高さに。同じ、揺れ方で。同じ角度で、右に。まるで、一本の蝋燭を、鏡に七回、映したかのように。
小さくなったのでは、なかった。大きくなったのでも、なかった。ただ、揃った。
七つの声が、揃った、瞬間と、同じ、間だった。
「消すことで、私たちは、一つになる」
そう、聞こえた、気もした。だが、同時に、
「消すことで、私たちは、消える」
そうも、聞こえた、気がした。
どちらだったのか、確かめる方法は、なかった。両方が、同時に正しい、気さえ、した。
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手を、下ろした。
七十三本目の、蝋燭は、灯ったままだった。
椅子に、座り直した。動く気には、なれなかった。窓の外は、まだ、暗かった。
声は、もう、聞こえなかった。七つの気配が、順番に、遠ざかっていくのが、分かった。一つ、また、一つ。最後の一つが、遠ざかったとき、部屋には、蝋燭の燃える音だけが、残った。
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気づくと、窓の外が、白んでいた。
一晩中、椅子に、座っていたらしい。首が、強張っていた。手のひらには、爪の跡が、四つ、残っていた。いつ握りしめたのか、覚えていなかった。膝の上のノートは、開いたままだった。書いた覚えのない、一行が、増えていた。
「まだ、消さないで」
自分の、字だった。いつ、書いたのか、記憶が、なかった。
七十三本目の、蝋燭は、まだ、灯っていた。芯は、半分ほどしか、減っていなかった。一晩中、あの、右に揺れる、同じ角度を、保ったまま。
消せなかった。
指を、伸ばす気力さえ、もう、残っていなかった。
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七十二本の、燃え尽きた、蝋燭の列を、見た。
その隣に、まだ灯ったままの、七十三本目が、立っていた。列は、そこで、途切れていた。
いつもなら、ここに、残りの本数を、書く。
だが、指が、動かなかった。
七十三という、数字を、確定させることが、できなかった。消えていない、蝋燭を、消えたものとして、数える資格が、自分に、あるのか。分からなかった。
数字の代わりに、指先で、机に、触れた。木の、冷たさが、そのまま、皮膚に、伝わってきた。それだけが、確かだった。
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七つの声が、黙ったとき、部屋には、自分ひとりだけが、残った。
そのはずだった。ずっと、そうだったはずだった。七十二本、毎晩、そうしてきたはずだった。
なのに、今日、初めて、それを、実感として、飲み込んだ、気がした。
耳の奥に、まだ、七つの、気配が、薄く、残っていた。それが、完全に、引いていくまで、動けなかった。時計の秒針の音だけが、規則正しく、部屋を、埋めていった。
指先の、冷たさが、いつまでも、消えなかった。
いつも通りに、終わらせようとした、何かを。
その手前で、指が、止まったことは——あるだろうか。
「まだ、やめないで」と、誰かに、言われた気が、して。
それが、外からなのか、自分の中からなのか、区別が、つかなかったとしたら。
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【次回予告】
百物語 第七十四話:美咲の最後の取材
親友が、失踪した場所の、鏡に。
自分の、死体が、映る。
鏡の中の、自分が、こちらを見て、笑う。
笑いながら——「取材、終わりにしよう」と、言った。