継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~   作:yami_craft

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これは私が記録した、九本目の違和感である。

ある男が私の前に現れ、「もう一人の自分を見た」と言った。彼はドッペルゲンガーという言葉を使わなかった。ただ、「同じ顔だった」と繰り返した。そして最後に、こう付け足した。「あの顔は、泣いていた」と。

私は彼の話を、そのまま記録する。


第九話:もう一人の自分

十一月の日曜日だった。

 

正午過ぎに家を出て、駅前の商店街を歩いた。目的はなかった。書店に寄るかもしれない、どこかでコーヒーを飲むかもしれない——そういう、輪郭のない午後だった。

 

アーケードの下は、週末にしては人が少なかった。コートを着た親子が惣菜屋の前に並んでいた。唐揚げの匂いが横切った。乾物屋のスピーカーから、聞き覚えのない歌謡曲が流れていた。

 

彼はゆっくり歩いた。特に急ぐ理由がなかった。財布の中には三千円ほど。カフェでコーヒーを一杯飲んで、気が向いたら本を一冊買う。それだけのつもりで出てきた。先週は仕事で追われ続け、今日は何も考えたくなかった。こういう日の商店街は、目的がないからこそちょうどよかった。人がいて、音があって、でも誰も自分を見ていない。

 

商店街の中ほどで立ち止まった。文具屋のウィンドウに、手帳が並んでいた。来年のものだった。来年のことは来年考えようと思い直して、また歩き出した。

 

商店街の突き当たりに信号がある。赤だったので、足が止まった。

 

向かいの歩道に、人影が見えた。

 

 

────────────────

 

 

後ろ姿だった。

 

紺のジャケット。今日自分が着てきたものと、同じ色だった。背格好も似ていた。似ているというより——同じだった。身長、肩幅、腰の位置。

 

歩き方が、同じだった。

 

右肩がほんの少しだけ下がる、本人も意識していない癖。荷物を持つ右手の影響だと友人に言われたことがある、特徴的な傾きだった。それを指摘されたのは二年前で、その友人は今はもう連絡を取っていない。

 

「似ているだけだ」

 

口の中で呟いた。

 

似た体型の人間など、どこにでもいる。同じブランドのジャケットを着た人間も珍しくない。世界には似た人間が三人いると、どこかで聞いた話だった。

 

信号が青になった。

 

横断歩道を渡りながら、彼は相手を目で追い続けた。相手はゆっくりとした歩調で進んだ。クリーニング店の前を通り過ぎた。花屋の前を通り過ぎた。

商店街の外れで、一度だけ振り返った。

 

通りに人が増えていた。昼の時間帯だった。誰も彼のことを見ていなかった。自分だけが、向こうの人影を必死に目で追っている——そのことに、今更気づいた。誰かに見られていれば、おかしな行動に見えただろうと思った。

 

花屋の前でその人影が速度を緩めた瞬間、彼は思った——そこで足が止まるかもしれない。自分なら立ち止まる。切り花が並んでいるのが見えたから。一人暮らしで花を買う習慣はないが、こういう冬の入り口のような日に、何となく目が引き寄せられる。

 

人影は立ち止まらなかった。

 

代わりに、路地を挟んだ先の小さなカフェの前で止まった。

 

先週、駅のポスターで見かけた店だった。今日寄ろうと、家を出るときに決めていた。

 

なぜ知っていたのか、とその瞬間に思った。その店のことを誰にも話していなかった。今日寄ると決めたのは、家を出るときだけだった。自分と同じ歩き方で、同じジャケットを着て、同じカフェを目指していた人間が——なぜここにいるのか。

 

相手がその前で立ち止まった。

 

ガラス戸に手をかけた。

 

中に入った。

 

彼は走った。

 

 

────────────────

 

 

カフェの戸を引いて入ると、コーヒーの匂いと暖房の空気が顔に当たった。

 

カウンターに二人、テーブルに三組。こぢんまりとした店だった。

 

奥の窓際、席に向かって歩く後ろ姿を見つけた。

 

紺のジャケット。

 

人をかき分けて近づいた。足音を立てないようにして、でも速く動いた。なぜそうしたのか、後で考えても分からなかった。気づかれたくないのか、それとも気づいてほしかったのか。自分でも分からないまま、体が動いた。

 

窓際の席の背もたれをつかんで、回り込むようにして正面に立った。

 

相手が顔を上げた。

 

完全に、自分の顔だった。

 

ただ、その顔は——すでに泣いていた。

 

目が充血していた。頬の皮膚が引きつれていた。泣いて乾いて、また泣いた人間の顔だった。今この瞬間泣いているのではなく、ずっと前から泣き続けていて、涙だけが尽きた顔だった。

 

しかしその目に、悲しみはなかった。

 

何かを憐れんでいる目だった。目の前の人間を、あるいはこれからその人間に起きることを——知った上で、どうにもできないと分かって、それでも見ている目だった。

 

その目が彼を見た。

 

認識していた。誰であるか、分かっているようだった。

 

男は一言だけ言った。

 

「逃げて」

 

それだけだった。椅子を引く音もなく、身を翻して歩き出した。カフェの奥に向かって、速足で——薄くなった。

 

人が消えるのではなかった。輪郭が曖昧になり、背後の棚の色と混ざり、店の空気に溶けるように、見えなくなった。足音もなく、扉の開く音もなく。カフェの出口は入ってきた戸だけだ。それは今も閉まったままだった。

 

追おうとしたが、足が動かなかった。客の一人が顔を上げた。「何かお探しですか」と声をかけてきた。

 

奥を指さすと、「トイレは左手です」と言われた。

 

 

────────────────

 

 

しばらく立っていた。

 

他の客たちは彼を見ていなかった。みな自分のカップや本や連れとの会話に向いていた。今起きたことを見ていた人間が、この店の中に一人もいないことが分かった。彼だけが、それを見た。

 

奥のトイレに向かった。ドアをノックした。返事がなかった。開けると、誰もいなかった。タイル張りの小さな空間に、洗面台と個室が一つ。窓はなかった。

 

カフェに出口は一つしかない——入ってきた戸だけだ。

席について、手を見た。

 

掴もうとした背もたれの感触が、まだ手の中にあった。確かに掴んだ。確かに正面に回り込んだ。確かに、あの顔を見た。それだけは確かだった。

 

ただ、その顔が泣いていた理由が——自分には分からなかった。

 

彼は自分の席に戻り、コーヒーを注文した。

 

窓際の席を見た。

 

テーブルの上に、カップが一つ残っていた。コーヒーの。飲みかけで、口紅の跡も何もなかった。カップを持ってみると——まだ温かかった。湯気は出ていなかった。けれど、冷めていなかった。

 

少し前まで、誰かの手の中にあったカップだった。

 

「逃げて」

 

誰から、とは言わなかった。

 

どこへ逃げるのか、も言わなかった。

 

あの顔はなぜ、ずっと泣いていたのか。何を知っていたのか。自分と同じ顔で、自分と同じ体で、自分が足を踏み入れようとしていたカフェに先に入ってきた男は——自分の何を知っていて、その言葉を伝えに来たのか。

 

彼はコーヒーを飲み終えて、店を出た。答えは出なかった。商店街を帰りながら、すれ違う人の後ろ姿を、全員分、確認した。

 

コートの色、肩の形、歩き方。

 

紺のジャケットは、もうどこにもなかった。

 

アーケードを抜けるとき、彼はふと自分の肩の感覚に気づいた。右肩が、いつもより沈んでいた。荷物は持っていなかった。なのに重さがあった。「逃げて」と言われた。なのに歩いている方向は、あのカフェがある側だった。

 

 

────────────────

 

 

記録を終えて、私は九本目の蝋燭を消した。

 

ドッペルゲンガーを見た者は死ぬ——という言葉がある。だが彼は今も生きていて、私の前に現れ、この話を語った。だから私は記録した。

 

「逃げて」という言葉が誰に向けられていたのか、私にも分からない。彼自身に向けられていたのか。あるいは——

 

「あの顔が泣いていたのは」と私は聞いた。「過去のことを後悔していたからだと思いますか。それとも、これから起きることを知っていたからですか」

 

彼は少し考えてから、首を傾けた。

 

「どちらでもある、かもしれません」

 

「その違いは、あなたにとって重要ですか」

 

「分かりません」と彼は言った。「ただ」と続けた後、少し間があった。「あの顔で泣いたことが、自分にも絶対にある気がするんです。思い出せないだけで」

 

私は何も言わなかった。

 

記録しながら、ふと思った。この男が記録された後に、何かが変わるのではないか、と。根拠はなかった。すぐに打ち消した。ただ、打ち消す前にそう思った、という事実だけが残った。

 

帰り道に商店街を歩いたとき、後ろ姿を確認し続けたという話が気になった。全員分確認した、と彼は言っていた。何十人分もの後ろ姿を。それほど長い時間、彼はその商店街を歩き続けたことになる。

 

「どのくらい歩いていましたか」

 

「時計を見ていなかったので——気がついたら暗くなっていました」

 

残りは九十一本。

 

翌週、また、誰かが現れた。

 




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