進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
849年1月19日
中東連合の国境沿いに集結した百万の軍勢が、戦わずして自壊のパニックに陥る、その三日前のことである。
海の向こうの大国・マーレの首都にそびえ立つ、軍参謀本部の最高機密会議室。
数ヶ月前までは、国家の存亡を懸けた絶望と恐怖、そして互いに責任をなすりつけ合う醜い怒号が渦巻いていたこの重厚な空間は、今、ある種の異様で、鼓膜が痛くなるほどの完全な『静寂』に支配されていた。
「……ふむ。ケニー、これは予想外だな」
マーレ軍の最高権力者であるカルヴィ元帥は、いつもと変わらぬ、思考の底が全く読めない無表情な鉄仮面を貼り付けたまま、静かに辺りを見回した。
巨大な世界地図が広げられた、高級なオーク材の円卓。
だが、本来であればその周囲にふんぞり返り、軍の上層部たる将官や高官たちがひしめき合って座っている筈のその席には──────誰も、誰一人として座っていなかったのだ。
ひっくり返された革張りの椅子。 飲みかけのまま放置された高級なブランデーのグラス。
床に散乱した極秘書類の束。
それらが、この部屋にいた者たちがどれほど取り乱し、我先に逃げ出したかを無言のうちに物語っていた。
「ぷっ……ぶははははは!!!」
その異様な静寂を物理的に叩き割るように、会議室の薄暗い角で直立不動の姿勢をとっていた男が、腹の底から湧き上がる衝動に耐えきれず、狂ったように大爆笑を爆発させた。
「こりゃあ傑作だぜ! あの豚共、最後の最後で俺達の予想を斜め上に裏切ってきやがった!」
情報将校のパリッとした制服に身を偽装したケニー・アッカーマンが、笑い涙を拭いながら懐から上質な葉巻を取り出し、あろうことか大国の中枢である円卓の上に、ドカッと土汚れのついた軍靴を乗せた。
「いやぁ、こうなるのも必然だったのかもしれねぇなァ? 俺たちゃァ、なんだかんだ言って無意識の内に、あの豚共の『マーレ軍人としての誇り』ってやつを過大評価しちまってたんだよ。
……よくよく考えりゃ、沈みゆく泥舟から一番最初に保身に走って逃げ出すのは、ああいう無能なネズミ共だって相場が決まってんのになァ!」
本来の計画であれば、数日後に迫ったマーレの「無条件降伏宣言」の直前に、カルヴィを除く軍上層部を特務兵団の手引きで一斉に捕縛し、武力で制圧する手筈になっていた。
だが、中東連合の侵攻が間近に迫り、その脅威に完全に心をへし折られていた幹部たちは、あろうことか降伏宣言を待たずして、国の威信も軍の指揮権もすべて投げ出し、己の命と財産だけを抱えて夜逃げを敢行したのである。
「ケニー」
カルヴィは、葉巻の煙を燻らせて腹を抱える暗殺者に対し、椅子に深く座り込み、豪奢なシャンデリアが下がる天井を静かに見上げながら、淡々と口を開いた。
「流石に今、奴らに散り散りに逃げられては困る。諸外国に亡命でもされて余計な情報を漏らされては、今後の降伏手続きと領土分割の盤面にノイズが生じる。
……捕縛出来るか?」
それは、すでに世界中に蜘蛛の子を散らすように逃亡を図ったであろう軍の高官たちを、この土壇場で全員捕らえろという、普通に考えれば無茶苦茶なお願いであった。
だが。
「あぁ? あー、心配すんな」
ケニーは、咥えていた葉巻の煙を紫色の細い糸のように吐き出しながら、何事も無いかのように口の端をニィッと歪めた。
「あの豚共には、常に俺の可愛い部下たちが影のように張り付いてるからなァ。
今頃はもう、家族ごと簀巻きにされて、郊外にある廃墟の工場だかにまとめてぶち込まれてると思うぜ?」
彼のその言葉には、一切の誇張やハッタリはなかった。
ただただ、自らが手塩にかけて鍛え上げ、共に地下街の泥水を啜り、今は特務兵団の対人立体機動部隊として暗躍する『部下たち』に対する、絶対的な信頼と、出来て当然だという揺るぎない確信だけが滲み出ていた。
カルヴィもまた、長年マーレの暗部を支配してきたこの男の実力を熟知しているが故に、もはやその人間離れした手際にも完全に慣れきっていた。
「……そうか」
カルヴィが短く、安堵ともつかない相槌を返した、その直後だった。
コン、コン、コン。
重厚な扉を叩く、極めて規則正しく、無駄のない三回のノック音。
「入れ」
カルヴィが応じると、音もなく扉が開き、マーレ軍将校の軍服に完璧に身を包んだ一人の男が、滑るような足取りで会議室へと入ってきた。 ケニーの直属の部下である。
「失礼します。隊長。……逃亡を図った軍上層部およびその親族、計四十二名の確保、ならびに身柄の拘束、全員完了致しました。抵抗による死者はゼロです」
男は直立不動のまま、感情の全くこもっていない機械的な声で状況を報告した。
大国の軍事トップ数十名の逃亡劇を、まるで路地裏の野良犬を捕まえるかのような手軽さで完遂してのけたのだ。
「おう、良くやった。怪我はねぇか」
ケニーが短く労うと、部下は「問題ありません」と微かに顎を引いた。
「で? 豚共の身包みはキッチリ剥いできたか? これから俺たちが、奴らに『成り代わる』ために使えるからなァ」
「はい。制服、階級章、身分証、および逃走資金として持ち出そうとしていた金品に至るまで、全て回収済みです。いつでも偽装工作に使用可能です」
完璧すぎる仕事ぶりだった。 これなら、マーレ軍上層部が健在であるように見せかけつつ、裏でカルヴィが全権を掌握し、降伏の準備を進めるという計画に一切の支障は出ない。
その部下のあまりにも有能すぎる報告を聞いていたカルヴィが、いつもの無表情な鉄仮面を僅かに崩し、どこかその声音に『期待』を弾ませるようにしてケニーに問いかけた。
「素晴らしい手際だ。……ケニー、これからの煩雑な事後処理にも、引き続き君のその優秀な部下たちを使えるのか?」
これほど頼りになる手駒がいれば、崩壊していくマーレ国内の治安維持や、残党の処理も劇的にスムーズに進むだろう。
老将カルヴィの瞳の奥に、少しだけ甘えたような期待の光が宿る。
だが。
「馬鹿言え」
ケニーは、葉巻を灰皿に押し付けながら、心底呆れたように、そして一切の容赦なくカルヴィの期待を両断した。
「俺の可愛い部下たちは、この沈みゆく国よりもずっと貴重なんだよ。あいつらには、さっさと安全な島に帰って休んでもらわねぇとな。
安心しな。代わりに、エルヴィンの野郎が直々に手配した、特務兵団のエリート工作員どもが、もうじきここにたっぷりと派遣されてくる手筈になってる。そいつらを、馬車馬のようにこき使ってやれ」
「…………そうか」
ケニーからの冷酷な拒絶に、カルヴィは目に見えて肩を落とし、深く、本当に深く、分かりやすい溜息をついた。
「……いい歳したおっさんが、何あからさまにへこんでやがんだ。気色悪ィ……」
ケニーは、マーレの最高権力者が部下を貸してもらえずにショボくれている姿を視界に入れ、額に青筋を浮かべながら辛辣極まりない毒舌を投げつけた。
気がつけば、報告を終えたケニーの部下は、まるで最初からそこに存在していなかったかのように、音もなく会議室から姿を消していた。
彼らは彼らの仕事に戻ったのだ。
再び会議室には、カルヴィとケニーの二人だけが取り残された。
「んで」 ケニーは、新しく取り出した葉巻を咥え、マッチで火を点けてゆっくりと煙を吐き出しながら、なし崩し的にマーレの『全権限』を一人で握ることとなったカルヴィに対して問いかけた。
「これからが本番だろ。……この後は、どうするつもりだ」
マーレの無条件降伏、そして国家の解体。 百年間続いた世界のパワーバランスが根底から覆る、歴史的瞬間の始まりだ。
カルヴィは、組んでいた両手を机の上に置き、冷徹な為政者としての顔つきを取り戻して淡々と語り始めた。
「予定通りだ。……既に、我々が裏で手を回していた広大なマーレの『植民地地域』では、現地時間に合わせて一斉蜂起が始まっている」
カルヴィの脳裏には、綿密に張り巡らされた世界規模の導火線に火が点いた光景が浮かんでいた。
「世界各地に点在するマーレ軍の駐屯基地の大部分には、パラディ島から派遣された工作員と、私が匿っていた『エルディア復権派』の精鋭たちをすでに忍ばせてある。
彼らが内部から通信設備と武器庫を制圧するため、殆どの基地は流血を伴わずに、無血で掌握出来るだろう。
……一部の狂信的な将校が反発し、多少の血が流れる事になるだろうが、それは新しい国家を生み出すための陣痛だ。致し方ない」
カルヴィの口から語られるのは、戦争の作戦ではない。 もはや、完全に計算し尽くされた『敗戦処理』の事務連絡であった。
「明日には、事前に我々が裏で選出しておいた各植民地の『独立代表』たちが、極秘裏にこの首都へと到着する。
そこで、具体的な領域の制定やら、旧植民地連合国としての国家承認やら……我々マーレが、新エルディア帝国の傘下としてすべてを明け渡すための、面倒な条約の手続きを済ませることになるだろう」
「はっ。書類仕事の嵐ってわけか。お偉いさんってのは、国が滅ぶ時までペンを走らせなきゃならねぇから因果な商売だぜ」
ケニーは皮肉めいた笑いを零し、椅子をギシッと鳴らして背もたれに寄りかかった。
「……それより」
カルヴィは、ふっと窓の外──遥か遠く、海の方角へと視線を向け、その無機質な瞳に微かな熱を宿して言葉を継いだ。
「レベリオ収容区の港には、そろそろ『彼ら』が上陸してくる筈だ。
……ヴィリー様も、珍しくどこか浮き足立っておられたよ。
あの方が長年、書簡と密偵越しにしかやり取りをしてこなかった、そして心の底から尊敬してやまない、あの超帝国の『天才』と、ついに対面出来るのだからな」
新エルディア帝国から派遣される、真の全権大使。 エルヴィン・スミスその人であり、これまでの悪魔的な盤面操作とインフラ革命を支えてきた頭脳である。
「くっくっく……そりゃあ、レベリオの奴らが心底羨ましいぜ」
ケニーは、鍔広の帽子を少し押し上げ、三白眼をニヤリと細めた。
「なんせ、これからあの港で……文字通り、世界を創り変えた『生きた神話』を、直に見れるんだからなァ?」
ケニーの言う『神話』。 それは単なる比喩ではない。 パラディ島に君臨し、指先一つで大地の地形を変え、数日で世界を更地にできる理外の巨人アトラス。
そして、その神を溺愛し、一個旅団規模を単騎で殲滅する人類最強の鬼神、リーシェ・ベニア。
さらに、すべてのエルディア人の祖である始祖ユミル。
彼女たちが、このマーレの大地に直接足を踏み入れるというのだ。
「……ふっ。私は、心底恐ろしいよ」
カルヴィは、かつてないほどに深く、重い息を吐き出しながら。 しかしその表情には、恐怖を通り越した圧倒的な畏敬と、これから始まる新しい世界への抗いがたい期待が入り交じった、微かな、本当に微かな『笑み』が漏れていた。
遂に、世界を根底からひっくり返す、神と人間たちによる壮大な計画が始動した。
百年間の憎しみと欺瞞の歴史に終止符を打つ、運命の巨大な歯車が、今、マーレ帝国の心臓部から、大きく、力強い音を立てて回り始めたのだった。
いつも本作を読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
長期連載となった今でも、更新のたびに読みに来てくださる方々がいること、とてもありがたく思っています。
シルバーウィーク期間についても特に更新ペースを変更する予定はなく、いつも通り週3投稿で進めていきます。
また、現在続いている世界情勢については、あと4話でひとまず一区切りとなる予定です。
その先も物語は続きますので、今後とも気長にお付き合いいただければ幸いです。