王女と鍵のためのディビジョン 作:Di4:Sion
要塞都市エリドゥ。その中心である塔。
学園都市キヴォトスにおいて、人間を殺害する手段は極めて限定的である。その術を調べること自体が禁忌であり、たとえ理論を確立したとしても、実行には困難が伴う。
だが、世界を守るために他者の命を秤にかける覚悟を固めた女――ミレニアムのビッグシスター、調月リオはその禁忌の深淵を既に覗き込んでいた。
しかし合理主義を自称する彼女の本質は、冷徹でありながらも、どこか優しく、脆い。
殺害の決意を固めていても、その対象への「苦しみ」もまた非合理的だと判断した。
そのため、銃弾による執拗な破壊や、溺死といった苦痛を介在させることは許さなかった。
必要なのは、一撃。
エリドゥの全電力を一点に収束させ、ヘイローそのものを消滅させる。名もなき神々の王女──AL-1Sには、苦痛なき死という慈悲に満ちた終焉を与える。
それは彼女の計画だった。
そのために、時間が必要だった。
装置の物理的な制約ゆえか。あるいは、引き金を引く指を躊躇わせる「誰かに止めてほしい」という、合理性の皮を被った彼女の祈りゆえだったのか。
その隙間を突いたのは、シャーレの先生とミレニアムの生徒たちであった。
彼女らは別の世界を守る術を持っていたわけでも、リオを敵として憎んでいたわけでも、世界を滅ぼさんと願っていたわけでもない。
ただ、友であり、生徒である天童アリスの死を、ただただ回避するために。
リオから王女を奪い返そうと、ただそれだけのために力を合わせ、孤独な救世主に対し、絆という不確かな力で追い詰めていた。
「トキ! 主砲の使用を許可するわ!」
「イエス、マム」
要塞都市エリドゥの演算支援によって、未来予知に近い予測精度と、あらゆる攻撃を到達するまで叩き落とせる無敵の防御能力をもつ【アビ・エシュフ】の前に、ミレニアム最強と誇る美甘ネルですら、その権能の前では無力であるはずだった。
だが、リオは直感していた。このままでは、「何か」に届かない。
彼女は合理的な推測を飛び越え、アビ・エシュフの切り札を解放する。
『中央タワーに電力が集まってる! みんな、気をつけ...』
ヴェリタスの副部長、各務チヒロの警告が終わる前に、ソレは解き放たれた。
──閃光。
視線を埋め尽くす程の白光。網膜ですら焼き切れると錯覚するほどの熱量。
ミレニアムの先端技術をもってしても稀に見るレーザー兵器が、シャーレ側の戦力を一瞬で薙ぎ払った。
これで、勝負は決まった。と、リオはそう思った。
そう、あの主砲を使用したという決定をした瞬間、この戦いの勝者は決まった。
しかし。その結末は、リオの、そしてシャーレの敗北という、誰も予想し得なかった形でもたらされる。
最初に異変を察したのは、調月リオだった。
間違いなくシャーレを壊滅できた一撃だと確信しても、彼女は決して油断しなかった。
ゆえに、いち早くそれを察知できた。
「ッ!?」
要塞都市エリドゥの最上層に立ち込めたのは、物理法則をあざ笑うかのような、耳を刺すような「数百万人の祈りと呪詛が混ざり合った残響」だった。
名もなき神々の王女のヘイローを破壊するための電力は、侵入者であるシャーレたちに向けられたのは確かに計画外の出来事だった。しかし、ここで排除さえ成せば、再充填までの時間を待てばよい──リオはそう考えていた。
しかし、まるで狙い澄ましたように、ソレは現れた。
「リオ様?」
次に異変を察したのは、主砲を使った直後の飛鳥馬トキ。
戦果を確認する間もなく、彼女の心臓を、根源的な恐怖が突き刺す。
そして彼女は、「ソレ」を感じた。
アビ・エシュフは、名もなき神々に対抗するため、皮肉にも彼らと同じ理を利用して造られた機体である。
当然、対策は万全だった。たとえ王女であろうとも、アビ・エシュフへの強制干渉は不可能であるはずだった。
だが、リオすら知らなかった。
アビ・エシュフは、名もなき神々に関連する力への探知能力を有していた。
本来、それは見えざる敵を索敵するための利点。しかしこの瞬間、それは呪いと化した。
「――ザ、ザザッ――」
「全ては──」
アビ・エシュフは、人の手によってのみ操縦されることを前提とした機体だった。
自律AIなど一切搭載されず、エリドゥからの演算すら、意識の芽生えを完全に排除していた。
それはリオが、名もなき神と、もう一つの超常現象を備えるための対策であった。
しかしそのアビ・エシュフが、リンクするトキにだけ聞こえる「声」で囁いた。
「全ては、王女の為に」
「ッ!?」
トキは迷いはなかった。リオの悪戯であるはずがない。アビ・エシュフに、何かが「入り込んだ」。
もう一つの超常現象に対して、トキはあまり内容を知らされていなかった。しかし、こういう可能性自体リオは想定し、その対応方法を教えていた。
彼女は目の前の敵を放置するリスクを承知で、即座に武装解除を実行。パワードスーツから脱出し、かつての半身であった鋼鉄へと銃口を向けた。
「全ては、王女の為に」
スピーカーが搭載されていないにもかかわらず、アビ・エシュフがもう一度その内容を繰り返した。空気の振動による「声」ではなく、直接魂まで届くような、狂信者の祈り。
「リオ様! アビ・エシュフに異常発生。今すぐ自爆プロトコルを実行してください」
トキは、リオからはその機能の説明を受けていなかった。
しかし、リオならこうした場面のため──あるいは自分が裏切る時を備えて、自爆機能を仕込んでいると。ほぼ確信に近い信頼があった、
だが通信の向こうからは、何の返事もなかった。
「クソ、どうなってるんだ!?」
「"トキ? 大丈夫?"」
アビ・エシュフの主砲の直撃を受けたのに、未だに意識を保つネルと、その指揮者である先生もまたその異変を感知した。
リオのやり方を認めなかったからこそ敵対しただけで、そこに悪意も殺意もなかった。
しかし、目の前のソレは違う。
誰もそのことを理解した。
「......先生、それと先輩たち。リオ様に何か起きたと思います。おこがましいのは承知ですが──」
「"分かった、どうすればいい?"」
「即答かよ......おい新人、まずは状況を説明しろ。あれはお前の機体じゃねぇのかよ」
「先ほどまではそうでした。おそらく他の勢力が介入した。先生たちの仕業ならよかったですが、どうやらそうでもないらしいですね」
『......アビ・エシュフは完全にネットから切り離したシステムです、私たち、いえ、ヒマリ部長がいるとしてもハッキングなど不可能のはず』
チヒロの通信を聞いた先生は、ある存在の事を思い出した。あの時も、電源を破壊してもその侵入を阻止できなかった、今の状況とかなり似ている。
「"デカグラマトン?"」
「この歪んだ世界の理へと適応しよう。全ては、王女の為に」
その瞬間、アビ・エシュフの背後に、あってはならない「奇跡」が顕現した。
「ヘイロー!?」
神に至るための威光にして、現世界の理。
兵士と司祭たちが決して触れてはならない神秘。
今や忘れられた神々の、冒涜的な象徴になりつつある「ヘイロー」が、アビ・エシュフに宿った。