王女と鍵のためのディビジョン 作:Di4:Sion
アビ・エシュフ──あの無敵の要塞機体が、ただの機械の殻を超えた何かに変貌しつつある。
不気味な紫色の繊維が機体の表面を這い回り、鋼鉄の装甲を内側から押し広げるように脈動する。背中からは同じ紫色の金属触手が、無理やりけ接げるように生え、蠢きながら虚空を掻き毟っていた。
「これって、ヴェリタスの部室で見たタコとちょっと似てる?」
ミドリはアビ・エシュフの変貌を、アリスが暴走するきっかけである謎のロボットと連想できた。あの時のロボットも現文明のロボットと全く違うデザインで、深海魚のような不気味な見た目をしてるから。
「つまり、名もなき神々の王女が目覚めた? リオ様が危ない!」
「王女って、アリスの事? アリスはこんな気持ち悪いやつを使わないよ!」
いち早く推測をしたトキに対して、モモイはアビ・エシュフの変貌とアリスの関連性を否定した。どっちも正しくて、どっちも真実まで辿り着いてない。名もなき神々の王女はまだ目覚めていないが、この異変を引き起こしたのはその部下であった。
「考察は後だ、とりあえずそいつをスクラップにしたらいいんだろ? おらお前ら、行くぞ!」
すでに「満身創痍」という単語でも描写しきれないほどの傷を負っていたはずのネルは、なぜか倒れない倒せない。
むしろ、相手が明確の敵であるなら、手加減しなくでいいと彼女は戦意を燃やしていた。
「"絶対に、アリスを助ける"」
キヴォトスの理を侵食する異形であろうと、やることは変わらない。まだ戦う余地がある限り、友と生徒を守るという目的は、決して揺るがない。
要塞都市エリドゥの中央タワー、その最上層。
アビ・エシュフの変貌とヘイローの顕現。
それらはいずれも、即座に対応すべき絶体絶命の危機だった。
しかし、通信を断絶された調月リオには、それを知る術も、知る余裕もなかった。
「......そこから離れてちょうだい」
ここは、要塞の心臓部であった。壁一面に張り巡らされたモニターは、エリドゥの全システムを映し出して、そこですべてを管理、指揮するための場所。
そしてその奥には、名もなき神々の王女──
リオは他人を信用しない。
名もなき神々の王女をカメラでの監視や、他人に任せるなどの選択肢は最初から存在し得なかった。自分で見て、自分で手を下すという結論は唯一の解。
その苛烈なまでの責任感が、「ソレ」が名もなき神々の王女に接触する前に発見することができた。
視界に捉えるだけで、脳がそれを認識するのを拒否するように雑音が走り、記憶が抜け落ちるような感覚に襲われる。
しかしリオは、迷わず愛銃を抜いた。
相手が何であれ、世界を滅ぼし得る兵器たる名もなき神々の王女を、渡すわけにはいかない。
「――全ては、王女の為に」
空気が、重い。耳の奥で、数百万の声が同時に囁く残響が、脳を直接震わせる。
「ッ!」
リオは、即座に引き金を引いた。
相手は誰であろう、その言葉を聞いても目的が分からないほど、リオは鈍くはない。
銃声が連続して響く。射撃が苦手なリオであっても、この至近距離で外すはずがない。
弾丸は雑音の壁に直撃し、火花を散らして弾かれた。
アビ・エシュフの無敵とはまた違って、攻撃は間違いなく通ったが、効果がなかった。
そして、衝撃。
吹き飛ばされて、壁にぶつけたリオは、自分はどんな攻撃を受けたのすら認識できていない
後頭部が強打を受けた、しかし、致命的ではない。
そう判断したリオは、立て直そうとしたとき、相手の方が先に変化した。
体に纏ってる雑音は消去し、ソレの正体をようやく目に、脳に捉えることができた。
リオの攻撃が効いた訳ではなく、彼女を抹殺するために変化でもない。
王女の御前で武装など、失礼に当たる。
それが理由だった。
「王女よ、お迎えに上がります」
そこにいるのは、漆黒の外套を纏った、一人の少女。
灰色の髪に隠された左目は眼球がなく、ただの虚ろな空洞。右目には、不気味な紫色の瞳が二つ、縦に並んで輝いていた。
少女は片膝を地につけ、名もなき神々の王女に向かって、最大の敬意を捧げるように頭を垂れた。
「......王女の表層人格は今、内部データベースの深層部に隔離されています」
名もなき神々の王女の体が、微かに反応した。開かれた両目は宝石のような赤に染まり、その声は感情を削ぎ落とした機械的な冷たさを帯びている。天童アリスの姿をしながらも、そこには彼女の面影など一片も残っていない。
「今は王女ではなく、従者である
リオの息が止まる。相手はわざと自分に演技を見せるとは思わない、つまり、ヴェリタスで暴走したのは名もなき神々の王女──天童アリスではなく、この鍵と呼ばれた存在。
なら、自分の覚悟と決断とは?
破壊すべきは、友好的な仮面を被りながらも世界を害する天童アリスではなく、この二つの未知の存在だったのか?
今、この体を使っているのなら、王女を破壊すれば共に排除できるのか? それとも中に入れた何かは肉体に縛られず、天童アリスだけが死ぬ事になる?
「それより、あなたは......なんですか? 追従者の気配を感じましたが、本質は混ざった感覚」
「私は四条シオン。私達は、一つになったがゆえに」
リオの葛藤など全く意に介さず、二者は会話を続けた。
乱入した未知の存在の名は、四条シオン。
鍵にとっても計算外の存在だったようだが、その態度から、二者が争う気配は微塵も感じられなかった。
「スキャン開始、データを照合......理解しました。あなた方は、自らの『可能性』を代償に、この歪んだ世界の法則に適応したのですね」
「我々の世界を救うために、王女を助けるために」
「率直に申し上げます。あなたの存在という『感覚』は、不快です。名前という記号に魂を縛り付けたその姿は、王女の隣には相応しくない」
「......」
「ですが、その忠誠は大義でありました。新しい聖域にあなた方の居場所はありませんが、その献身は、永遠に記録されるでしょう」
「光栄です、Key様」
「今、我々を妨害していた攻撃が止まったことを確認しました。只今よりエラーを修正し、本来あるべき玉座に『王女』を導かせていただきます。
AL-1Sに接続された利用可能リソースを確報するために、全体検索を実行」
画面の中央には、ただ一つの文字だけが浮かび上がる。
──Divi:Sion
「リソースの領域拡大。
リソース名、要塞都市『エリドゥ』の全体リソース──1万エクサバイトのデータを確認」
──エリドゥがハッキングされた。
その事実に気づいたリオは必死に端末を操作するが、防衛システムはもはや彼女の命令を聞かない。
しかし、その努力は無駄だった。
エリドゥ全体のシステムは、まるで明星ヒマリが報告した特異現象のように、根底から書き換えられつつあった。
「現時刻をもって、プロトコルATRAHASIS稼働。
コード名『アトラ・ハシースの箱舟』起動プロセスを開始します」
「...! アトラ・ハシース」
その名は、リオが最も警戒していた禁忌のオーパーツ。
名もなき神々が遺した、
それが実行されたら、どのような未来が訪れるのか、リオですら計算できなかった。
ただ一つだけ、確実に起こる事象は分かっていた。
──この世界に、終焉が訪れる。
「プロセスサポートの為、
「お望みのままです」
淡々とプロトコルを進んでいた
無数のマシンガンが、一斉に火を噴く。
「......忘れられた神よ、抵抗は無駄です」
四条シオンと名乗った存在の背中から、無数の紫色の金属触手が奔流のように出現した。
「計画の不確定要素を排除するため、先に有機生命体をすべて抹殺しますか?」
「否定。調月リオの脅威は、無視できるレベルまで降下しています。『アトラ・ハシースの箱船』の呼び出しを最優先する。王女の体を守るのがあなたの仕事です、私から離れないでください」
「承知しました」
「王女は鍵を手に入れ、箱舟は用意された
無名の司祭の要請により、この地に新しい【サンクトゥム】を設立する
その到来で初めて、すべての神秘はアーカイブ化され」