王女と鍵のためのディビジョン   作:Di4:Sion

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4. アトラ・ハシースの箱舟

『いま......急に......な...が...』

 

 通信の終わりは唐突だった。

 最上階だけでなく、シャーレ一行がいる階層にも、あらゆるモニターが「Divi:Sion」という文字列で埋め尽くされていく。

 

 戦場に立つ生徒たちには、リオの身に何が起きたのかを知る術はなかった。ただ、状況が緊急であることだけは、肌で理解できた。

 

「全ては、王女の為に」

「それしか言えねぇのかよ!」

 

 「無敵の要塞」としての洗練された防御機構は、今のは「怨念の塊」に近かった。

 理由は分からないが、アビ・エシュフの最大の脅威である無敵の防御能力は、エリドウのバックアップを受けていないのか、それとも別の原因なのか、変異したアビ・エシュフにはその機能を携わっていない。

 

 しかし、なぜか倒れない。

 

 左腕はすでに粉砕され、片手しか残されていない。脚部も一度破壊されたはずだったが、紫の繊維が複雑に絡み合い、無理やり骨格を繋ぎ直して立ち上がってくる。

 

「チッ、根性だけは認めてやるよ。今すぐ投降するなら、C&Cに席を用意してやってもいいぜ?」

「戦い方は先輩と似てますよ。生き別れの姉妹ですか?」

「はぁー? てめぇ、今この状況で冗談言ってんのか!」

 

 ネルの怒声と同時に、遠方からカリンの放った大口径の狙撃弾がアビ・エシュフの胸部を着弾した。

 やはりというべきか、決定打には至らずに、異形の鉄塊は衝撃で数歩後退した。

 

 その姿を見たネルは、ある確実な解が閃いた。

 

「おい、新人。リオの方が危ないと言ったな?」

「ここまで連絡が一切なく、防衛機構の増援もないな。リオ様がエリドゥの支配権を喪失している可能性は極めて高いと推測します」

 

「なら、さっさと決着を付けるか! 先生! 先に行ってくれ、あたしはすぐに追いつくから!」

「”ネル?”」

 

 先生の制止を背中で振り切り、ネルは地を蹴って爆発的な加速で走り出した。

 

 ──先ほどの狙撃によって、アビ・エシュフは高層階の窓際に追い詰められている。

 トキと戦闘では、そのの機体に飛行能力がないことは実証済みだ。

 

 ならば、このまま突き落とす。

 

「おらおらぁー!」

 

 サブマシンガンによる銃弾ではない。ネルは自らの肉体を弾丸に変え、アビ・エシュフの胴体へ渾身のドロップキックを叩き込んだ。

 助走を加えたその一撃は、装甲を破壊するほどの威力こそなかったが、むしろその衝撃を全身で受けるしかなかった。

 

 強化ガラスが悲鳴を上げて砕け散り、アビ・エシュフはネルと共に外へと落下した。

 

 地震すら思わせる轟音と共に塔全体を震わせた。

 

「”ネル──!?”」

「リーダー!?」

 

 この高さから落下して、無事で済むはずがない。

 先生とアカネが割れた窓際へ駆け寄り、身を乗り出して下層を覗き込む。

 

 煙が立ち上る中、アビ・エシュフの機体は原型を留めぬほどに粉砕され、紫色の繊維さえ修復を諦めたかのように痙攣していた。

 

 ──対してネルは、煙の奥からゆっくりと立ち上がる。仲間たちへ向けて、親指を立てて見せた。

 

「”ネル、無事なんだな”」

「......どうやら、そのようですね。ですが、エレベーターは完全に沈黙しています。リーダーがここに戻るには、相応の時間を要するでしょう」

 

 アカネの声は冷静ながらも、明らかな焦燥を含んでいた。

 

 本来の作戦では、アビ・エシュフ──正確に言うとトキをエレベーターに閉じ込めて撃破してから、またエレベーターを使って最上階を目指すはずだった。

 しかしエリドゥの全電子システムが原因不明の停止状態に陥っている今、ネルの復帰がほぼ不可能となった。

 

「"......急ごう"」

 

 ネルが無事であるならば、リオのためにも、ここにいるメンバーだけで一刻も早く上を目指すべき。

 

 そう判断した先生だが──すでに遅かった。

 

 エリドゥ全体が震え始めた。

 

 先ほどの衝撃による振動ではなく、分子レベルでの共鳴。

 

 ──王女の玉座(アトラ・ハシースの箱舟)が、降臨した。

 


 

 【アトラ・ハシースの箱舟】──無名の司祭と呼ばれた旧支配者たちの文明が遺した、最後で最強の兵器である。

 

 それは単なる兵器という実在の物体ではなく、一連のプロトコル、あるいは現象そのものの総称だった。

 

 あらゆる事象を収集し、再構築する力。

 

 接続可能であれば、その【事象】の持ち主の思惑を完全に無視して実行できる。

 

 ──言い換えれば、この世界にリソースが存在する限り、全能である。。

 

 少し前に四条シオンを名乗った超常現象の誕生は、あくまでアトラ・ハシースの能力を模倣したものに過ぎなかった。

 そして今、本物が降臨しようとしている。

 

「リソースの確保、100%

 ここに、新たな聖域(サンクトゥム)が舞い降りん」

 

 (Key)の宣言と共に、要塞都市エリドゥが崩壊し始めた。

 

 建物、道路、光。すべての物質とエネルギーが立方体に分割され、その立方体がさらに小さく立方体に――やがて虚空に溶け込むように消えてゆく。

 

 しかし、それは消滅ではない。

 古く世界を救う兵器の一部となるための、再構築に過ぎない。

 

 分解されたすべてが、エリドゥの上空、何もない空間へと集束し、漆黒の箱舟(要塞)へと変換されていった。

 

 王冠のようであり、牢獄のようでもあるソレの真ん中には、キヴォトスの文明の礎である【サンクトゥムタワー】と酷似した、忌々しい神秘の塔が、赤き光を放ってそびえ立っている。

 

 それもそのはず。忘れられた神々が、名もなき神々を消滅する方法は、まさにその忌々しい(聖域)であった。

 今回は、ただ立場が逆になっただけのこと。

 

「あれが......箱舟?」

 

 リオは、エリドゥの惨状を認識した同時に、王女が存在してるこの中央タワーが無事であることを気付いた。

 王女がここにいる限り、ここを崩壊する危険性はないようだ。しかし、それだけであった。

 

「さあ王女、お目覚めの時です」

 

 そして役目を果たした(Key)は、眠りについた名もなき神々の王女──AL-1Sと融合し、一つになろうとした、その時。

 

「エラー、アクセスが拒否されました」

 

 (Key)の無機質な声に、初めて動揺の色が混ざる。

 

「......王女に? どういう事ですか」

「──王女の承認がないと、アトラ・ハシースの箱舟は完全な起動プロセスへ移行できません。王女へ進言を開始します。

 識別名シオン。その間に、邪魔な有機生命体、調月リオの殺害を許可する」

 

「お望みのまま」

 

 理由は分からないが、どうやら敵の計画が上手く行かなかった。それを認識したリオだったが、すぐに自分が排除対象にされたことを聞き取った。

 

 どのみち逃げられるなどとは思っていなかった。

 せめてキヴォトスのために、わずか1%でも相手の計画を乱そうと、リオは拳銃を握りしめ、シオンの攻撃に備えた。

 

「リオ会長!」

 

 その前に、誰かが突然ドアを破って飛び込んできた。

 

 ピンク色の髪に、存在感を放つ服装。

 それはシャーレの先生たちではなく、特異現象捜査部の和泉元エイミだった。。

 

 部屋内の状態を一瞬で判断した彼女は、迷わずシオンに向かって銃を放った。

 

「新しい有機生命体が出現。一緒に排除します」

 

 エイミのショットガンから撃ち出された弾丸が空中で炸裂し、無数の散弾となって襲いかかる。

 シオンは淡々とした声で返事をしながら、背中の触手でその全てを叩き落とした。

 

 そして攻撃に移ろうとした瞬間、エイミはシオンではなく、リオに向かって走り出した。

 

「逃げられませんよ」

 

 その意図を即座に察したシオンは、音速を超えた速度で触手を伸ばし、リオを抱き上げて逃げようとするエイミの足を掴んだ。

 

「させないよ」

 

 エイミは片手でその触手を撃ち、軟質の部分が至近距離でショットガンを受けて破裂した。

 これはシオンが初めて受けた、明確なダメージだった。

 

 しかし、一本の触手を破壊した程度では、この局面に何も変わらない。

 

 二本目、三本目......総計十本以上の触手が、エイミとリオを絡め取り、その抵抗力を完全に奪った。

 

「では、さようならです」

 

 シオンの左手が分解され、巨大な骨の爪のような形に変換されていく。拘束されたエイミとリオを貫こうとした時。

 

「だめ、ダメです! やめてください!」

 

 誰からの声を理解する前に、シオンの動きは止まった。

 それは、彼女の根源に刻まれた、本能の一つ。

 

「王女?」

 

 その声は、空のように高く、儚い青色の響き。

 今、そこにいるのは(Key)ではなく、名もなき神々の王女──あるいは、天童アリスと呼ばれた少女だった。

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