王女と鍵のためのディビジョン 作:Di4:Sion
真紅に染め抜かれた、血のような部屋の中心。
巨大な円卓を囲むように、四つの異形が静かに佇んでいた。
「──『箱舟』が、観測されました」
最初に沈黙を破ったのは、黒服だった。
漆黒のスーツに身を包み、頭部の亀裂から漏れ出る白光を細めるその姿は、どこか愉悦に浸っているようにも見える。
「このままでは、キヴォトスは滅ぶでしょう」
「不勉強で申し訳ありませんが......結局、箱舟とは何のことでしょうか?」
問いかけたのは、額縁の中に後ろ向きの頭部を描かれた男、ゴルコンダ。
彼を持っているデカルコマニーの肉体は首を欠いているが、ゴルコンダが代わりに喋らせていた。
「あれはあらゆる事象を持つ抽象的な存在......いえ、講義を垂れ流す場合ではありませんでしたね。
過去の記録にも完全な顕現例はなく、私ですらその全容を把握してはいませんが......このまま進めば、キヴォトスは全く別の理へと塗り替えられるでしょう」
「だが、それは同時に、純粋な神秘へと回帰するプロセスを特等席で観測できるということだ。それこそが、我々が求める『崇高』への、新たなる一歩となる」
双頭の人形のような奇怪な姿を持つマエストロが、陶酔したように声を震わせる。
「そういうこったぁ!!」
今度は、首のないデカルコマニーの体が、異様に興奮している声を上げた。
「であれば、我々が今すぐ干渉する必要はありません。幸いなことに、マダムの領地が失われた今、この世界がどう作り替えられようとも、我々の探求に損失はない」
「......」
黒服の言葉に、真紅の肌に純白のドレスを纏った──ベアトリーチェは剥き出しの不快感を隠そうともしなかった。
「失礼、マダム。貴女を糾弾するつもりはありません、誰しもミスを犯すことがあります。カイザーに任せて砂漠で箱舟を探すという無意味の行為をした私もまた、大変なミスを犯しています。クックック......」
「黒服よ。領地の喪失など些事だ。マダムには、もっと聞くべきことがあるはずだ」
「クックック......もちろん覚えていますよ、マエストロ。【色彩】の件ですね」
「【色彩】がここを発見しまった。ベアトリーチェ、貴女が独断で行ったあの『儀式』のせいでな」
マエストロの声に、明確な怒りが宿る。
「マダムはその力を利用するつもりでしたが、アレ呼び寄せるつもりはありませんのはず」
「ええ、全てはシャーレの先生が現れてから起きた事。
あの存在が、すべての元凶であるということは、皆さんもよく存じているでしょう」
「......マダム」
ベアトリーチェのために発言したゴルコンダだが、彼女はまったく気にせず、ただ先生への執着心を見せた。
「もし色彩が到来したら、シャーレも、名もなき神も、箱舟もすべて消え失せる。これが最も確実な方法かと」
「この世界もまた破壊される、我々の探求のために──」
「探求などは、どうでもいい! 私はすでに崇高へ至る方法を見つけた!」
「色彩に魅了されたか、なんという体たらく」
「......ベアトリーチェ、あなたはゲマトリアとしての資格を失いました」
ある種の狂信的な錯乱を見せたベアトリーチェに対して、黒服は静かに彼女から「資格」を奪った。
「口の慎みなさい。私にはあなたたちが恐れている色彩の力を宿っているのよ?」
「そのようですね。ゴルコンダ、彼女を送り届けてください」
「!?」
ベアトリーチェの体が、突然虚空に開いた歪んだ空洞へと吸い込まれていく。
「我々は色彩への対抗手段がないと思っていたのですか?」
「──────!」
音にならない絶叫と共に、赤き女の姿は虚空へと吸い込まれ、完全に消失した。
残された三つの異形――あるいは四つと呼ぶべきか。まるで何事もなかったかのように、会議を再開した。
「完全に覚醒した名もなき神々の王女と色彩、一体どっちが崇高に近いでしょう。クックック......」
「この局面に至って、観測者である我々が出来る事はもうないでしょう。あとは、主人公達の活躍を見届くべき」
「そういうこったぁ!」
「な、何ですかこの反応!?」
鋼鉄大陸、預言者マルクトの製造所。
三人の白い子供――アイン、ソフ、オウルが、突然の反応に慌ただしく対応を急いでいた。
「これほど純粋な名もなき神々の力が、キヴォトスに発生するのはあり得ません!」
「ゆ、唯一の可能性は。名もなき神々の王女が、覚醒しました......お姉様とあの方にとって、あってはならない事象です」
禁断の知識を持った彼女達は、過去の遺物である名もなき神の力をある程度理解し、自らのものとしていた。
しかし、その「過去の存在」が直接的に現れる事態は、計画には存在しなかった。
「ビナーちゃんと、ケセドちゃんもなんか落ち着かないようです」
あの存在に深い因縁を持つ預言者――ビナーとケセドも、それぞれ違う理由で動揺を隠せずにいた。
「どちらにせよ、私達の敵であることは変らないです」
「でも、今の私達が持ってる戦力では、アレを排除するのは難しいです」
彼女たちが信仰していた対象はすでに消え、これから頼れる存在も未完成。
まさに最も弱まっている時期に、名もなき神々の王女と直接対決するなど、敗北の未来しか見えなかった。
「......データと資源の収集を一度中止し、預言者達を鋼鉄大陸に避難するようにお願いしましょう。ここにも名もなき神々の力があるから、すぐには影響を受けないはず」
オウルは考えた末、予定より早めに預言者たちを集めることを決めた。あの方が存在する時、預言者は基本的にバラバラに動いているが、そのままでは各個撃破され、最悪の場合、養分にされる可能性すらある。
とはいえ彼女たちには預言者に命令する権力はなく、あくまで「要請」でしかできない。どれだけ聞き入れられるかは、未知数だった。
「その間に、お姉様を呼び起こすのか?」
「ひぃん、い、今呼び起こしたら、完成度は予定の6割しかありません」
ソフの提案に対し、アインが問題点を指摘した。
本来の予定では、資材の収集と名もなき神の力の検証を重ねてから「お姉様」を呼び起こすはずだった。
今すぐ実行することは可能だが、その場合、予定より遥かに弱い状態で、あの方の計画を遂行できるかはわからない。
「でも、何もしなかったらそのままこの世界が滅ぶよ? あの方は、今の世界を救うのが目的でしたので......その前に世界が滅んだら意味ないですよ」
彼女達の目的は、極めて俗っぽい言い方で説明すると、世界征服のようなこと。
征服すべき世界そのものが滅び、または別の世界として作り変えられたら、当然目的が達成できなくなる。
「それに、一時的隠せるとしても、もしネツァクも発見されたら......認めたくないですが、向こうは本家ならそう長くは持たないと思う」
「わ、分かりました! えへへ、この考えはいけないのわかりますが、少し早めにお姉様と会えるなら、ちょっと嬉しい」
「それはみんな同じよ......でも、その前に。お姉様が目覚める前にキヴォトスが滅ぶと困る。あんまり気が進まないけど、少しだけ手伝えますか」
「えっ? 人間を、ですか?」
「人間の言葉で言うと......愉悦同舟? 楽しく船を乗る意味?」
「絶対違うと思いますよ」
「ほう......大変なことになったのう」
「これは困ったものじゃな。妾の見た未来に、これほどの『ノイズ』は混じっておらなんだ」
「妾はここを動くわけにはいかぬが......ふむ、少しばかりの助力を送るとしようか」
「お主らの活躍を期待しておるぞ、シャーレの先生、トリニティの預言者。運命を覆すのが、お主の役目じゃからのう」
『先生、大丈夫ですか? かなり疲れているはずなのに......』
「"大丈夫だよ、ARONA"」
『わかりました、では全力でサポートいたします。招集を応じた生徒たちはすでに集合しましたので、私たちも向かえましょう』
「"......行こう"」