ひとつの器で六魂共鳴 - 最下層から始まる六人格侵略譚 -   作:z567ug

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第四話 灰の街で、君は笑った

喉が焼けるように痛かった。

肺に入る空気は薄く、乾いていて、血の匂いが混じっている。地面に膝をついたまま、湊はしばらく顔を上げられなかった。

さっきまで、自分の中で暴れ狂っていた“何か”の残滓が、まだ身体の奥にこびりついている。

腕が重い。脚が痺れる。視界の端が明滅する。

《六道継装》。

あれが自分の固有能力だというのはわかった。だが、わかったことと扱えることは別だ。

使った、ではない。

使われた、のほうが正しい。

「……最悪だ」

吐き捨てるように呟くと、口の中に鉄の味が広がった。頬の内側を切っていたらしい。

青外套の男は倒れている。生きているのか死んでいるのか、今の湊には確認する気力もなかった。

周囲の路地は静まり返っていた。

けれど、その静けさは平和とは程遠い。

この灰土街《アッシュクロウ》では、争いの後に訪れる静寂は、ただ次の不幸を待つための空白にすぎない。

崩れた煉瓦壁。煤けた洗濯布。痩せた犬が、少し離れた場所でこちらを警戒している。建物と建物の隙間からは、誰かの視線だけが覗いていた。

誰も助けに来ない。

誰も関わろうとしない。

それがこの街の“普通”なのだと、もう嫌というほど思い知らされていた。

「……大丈夫?」

か細い声が、すぐ近くで聞こえた。

湊はゆっくりと顔を上げた。

そこにいたのは、灰色の髪の少女だった。

灰色の外套はところどころ擦り切れ、灰色の髪は煤にまみれているはずなのに、不思議と完全には濁りきらず、どこかだけ微かに光を残していた。

痩せてはいるが、目だけは不思議なくらい澄んでいた。

その瞳が、まっすぐに湊を見ている。

恐れていないわけではないはずだ。

だが、逃げてもいない。

「……それ、戦った直後の人間に聞く台詞か?」

「うん。だって、死にそうな顔してるから」

「それは否定できないな……」

湊は苦笑しようとして、失敗した。頬が引きつる。

少女は数歩近づいてくると、しゃがみこんで顔を覗き込んだ。

「立てる?」

「気力なら無理。見栄なら立てる」

「じゃあ見栄で立って」

「容赦ないな君」

だが、その言い方が妙におかしくて、湊は少しだけ肩の力を抜いた。

少女に支えられる形で、どうにか壁にもたれかかる。情けない。前世でラノベ主人公を散々読んできたが、少女に介護される主人公は、さすがにちょっと格好悪い。

いや、逆に新しいのか?

……いや、新しくても格好悪いものは格好悪い。

「水、いる?」

「あるの?」

「少しだけ」

少女は小さな革袋を差し出した。中身は本当にわずかだったが、湊はそれを受け取る前に一瞬ためらった。

「いいのか?」

「うん」

「いや、そういう意味じゃなくて。たぶんこの街じゃ、水って結構貴重だろ」

「貴重だよ」

「じゃあなおさら」

「でも、今のあなたの方が先に死にそう」

あまりにも真顔で言われて、湊は観念した。

「……ありがとう」

喉を潤す程度に一口だけ含む。ぬるい。少し埃っぽい。だが、驚くほど美味かった。

生き返る、とはこういう感覚を言うのかもしれない。

ふう、と息を吐いたそのときだった。

「やっぱり、六ついるんだ」

湊の呼吸が止まった。

「……何が?」

少女は首を傾げる。

「魂」

さらりと言われた一言が、背筋に冷たいものを走らせる。

「あなたの中、六つある。ぐるぐるしてる。今はちょっと疲れて、みんな静かだけど」

湊は思わず黙り込んだ。

知っている。自分の中に六つの魂があることは。

だが、それを他人に看破されるとは思っていなかった。

いや、“普通なら”ありえない。

「……見えるのか?」

「うん。ちゃんとは見えない人も多いけど、私は少しだけ見える。魂の色とか、揺れ方とか」

少女は自分の目元を指さした。

「昔から。気味悪がられるから、あんまり言わないけど」

なるほど、と湊は内心で呟く。

異能持ち。

しかも、こちらの根幹設定を理解できるタイプの能力者。

物語的には“重要人物です”と看板を背負って歩いているようなものだ。

だが同時に、湊の胸の奥には別の感情も湧いていた。

警戒だ。

この世界に来てからまだ日が浅いが、もう理解している。

情報は力であり、弱みでもある。

六魂の秘密を見抜かれたことは、下手をすれば致命傷になりうる。

「……それを誰かに話したか?」

思ったより低い声が出た。

少女は一瞬目を丸くして、それから静かに首を横に振った。

「話してない」

「これからも?」

「話さない」

「どうしてそう言い切れる?」

「言ったら、あなた困るでしょ」

まるで当たり前のことを言うような声音だった。

湊は返答に詰まる。

「……俺を利用しようとは思わないのか?」

「利用?」

「珍しい力を持ってる奴に取り入って、自分が上に行こうとか。そういうの」

この街なら、そういう発想の人間がいてもおかしくない。

いや、この世界そのものがそういう理屈で動いているように思える。

上位は下位を踏み、強者は弱者を使う。

価値があるなら搾り取る。なければ捨てる。

湊自身、さっきまでの出来事でその現実を骨まで理解させられたばかりだ。

しかし少女は、少し考えるように視線を落としてから、ぽつりと言った。

「そういうの、よくわかんない」

「わかんない?か……」

風が吹いた。灰が舞った。

遠くで誰かが怒鳴り、どこかの窓が勢いよく閉まる音がした。

それでも、少女の声は不思議なくらいはっきりと届いた。

「利用するとか、裏切るとか、そういうのは嫌」

あまりに真っ直ぐで、湊は目を逸らした。

そういう言葉は、弱い。

いや、違う。

今の自分には、効きすぎるのだ。

前世でだってそうだった。人の善意というものを、物語の中では綺麗に信じられても、現実では少し距離を置いて見てしまう癖があった。

傷つきたくないからだ。

期待して裏切られるのが怖いからだ。

それなのに、この少女は躊躇いなくそこへ触れてくる。

「……変な奴だな」

「よく言われる」

「この街でそれはたぶん褒め言葉だ」

「なら、嬉しい」

ふっと、少女が笑った。

その笑顔は、この灰だらけの街にはあまりにも似つかわしくなかった。

だからこそ、眩しかった。

湊は少しだけ空を見上げた。

アッシュクロウの空はいつだって鈍色だ。煙と煤で濁りきり、晴天というものを知らない空。

路地の入口では、痩せた老人が倒れた男の懐を探り、何も見つからなかったのか舌打ちして去っていった。向こうの通りでは、首輪をつけられた子どもたちが荷車を引かされている。パン屋の前では、上位区画から来たらしい装いの男女が、余ったパンくずを犬に投げるように下層民へ放っていた。

誰もそれを止めない。

止められない。

人として扱われないことに、慣れきってしまっているから。

「……ひでぇ街だな」

思わず漏れた本音に、少女は首を傾げた。

「初めて見たの?」

「まあ、似たようなもんは知識としてはあったけど……ここまで露骨なのはな」

「露骨?」

「隠す気がない差別ってこと」

少女はしばらく黙ってから、小さく言った。

「ここでは普通だから」

「普通、か」

「うん。上の人は下の人を踏んでいいし、下の人はもっと下の人を踏んでいい。そうしないと、自分が踏まれるから」

その口調は淡々としていた。

悲しんでいるというより、すでに諦めている声音。

それが、湊にはやけに重かった。

「……君は違うんだな」

「え?」

「差別意識がない」

少女は少し困ったように笑った。

「ないんじゃなくて、わかんないだけかも」

「どういうこと?」

「魂は、みんな同じように光って見えるから」

その答えに、湊は言葉を失った。

なるほど。

この少女にとって人の価値は、生まれた階層でも、服の綺麗さでも、首輪の有無でもない。

魂の揺れ方で見ているのだ。

だから、この世界の常識と噛み合わない。

だから、異質なのだ。

そして――だからこそ。

この世界をひっくり返す旅に、必要な人間だと直感した。

「……あのさ」

「なに?」

「行くあてはあるか?」

少女は一度だけ目を伏せ、それから首を横に振った。

「ないよ。寝る場所は日によって違うし、ごはんも拾えたらって感じ」

「家族は?」

「いない」

短い返答だった。

けれど、それ以上聞く気にはなれなかった。

聞けば、たぶんいくらでも辛い話が出てくる。

この街では、それが特別なことじゃないと分かってしまうのが嫌だった。

湊は壁に背を預けたまま、長く息を吐く。

今の自分はボロボロだ。余裕なんてない。今日生き延びるだけでも綱渡りだ。

それでも。

ここで彼女を手放したら、たぶん後悔する。

打算もある。

魂の光が見える存在は、戦力面でも情報面でも有用な可能性がある。

だが、それだけじゃない。

この世界で最初に出会った“差別しない人間”が彼女なのだ。

そんな相手を、ただ路地裏に置いていけるほど、湊はもう冷たくなれなかった。

「……よし」

「?」

「一緒に来るか?」

リーネが瞬きをした。

「一緒に?」

「そう。一時的でもいい。俺もこの街に詳しいわけじゃないし、たぶん色々危なっかしい。君はこの街のことを知ってる。俺は……まあ、多少は戦える」

「多少?」

「今は全身筋肉痛みたいなもんだけどな」

「それは多少じゃないと思う」

「うるさいな」

軽口のあと、ほんの少しだけ間が空く。

リーネは、何かを確かめるように湊を見つめてから口を開いた。

「……ねえ」

「ん?」

「お名前、聞いてもいい?」

ああ、そういえば――と湊は気づく。

ここまで来て、お互い名も知らないままだった。

「天瀬湊。……湊でいい」

「アマセ……ミナト」

少女はゆっくりと口に出して、確かめるように頷いた。

「私は、リーネ。リーネ・ヴァルカ」

「リーネ、か」

名前を呼ぶと、少女は少しだけ嬉しそうに目を細めた。

「うん」

その仕草が妙に人間らしくて、湊は少しだけ肩の力を抜く。

「じゃあ改めてだな、リーネ」

「うん」

「一緒に来るか?」

彼女は真面目な顔になる。

「でも、私と一緒にいると、面倒増えるよ」

「すでに五人分面倒見てるから、今さら一人増えても誤差だ」

「……五人分?」

しまった、と思ったが遅い。

リーネは少しだけ呆れたように、けれど楽しそうに目を細めた。

「自分で言うんだ」

「口が滑った」

「ほんとに賑やかなんだね、あなたの中」

「賑やかどころじゃない。たまに内輪揉めで会議が崩壊する」

「なにそれ」

「俺も知らん」

言いながら、湊はほんの少し救われた気がした。

六魂という異常。

それは本来なら、恐れられ、忌避される秘密だ。

だがリーネは、それを“怖いもの”ではなく“賑やかなもの”として受け止めている。

その事実が、胸の奥にじわりと染みた。

「じゃあ、条件がある」

リーネが言った。

「条件?」

「無茶しすぎないこと」

「うっ」

「さっきみたいに、いきなり倒れそうになるの、だめ」

「いや、あれは俺も予定してなかったというか」

「あと、ひとりで抱え込まないこと」

「……」

「六つもいるなら、なおさら」

湊は思わず笑ってしまった。

「仲間になる前から説教が上手いな」

「仲間になるから言ってる」

その一言で、空気が止まる。

湊は目を見開いた。

「……いいのか?」

「うん」

「即決?」

「秘密知っちゃったし。それに」

リーネは、少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。

「みなとといると、たぶん退屈しなさそう」

「そこ理由なんだ」

「大事だよ」

「まあ、それは否定しない」

気づけば、湊の口元にも自然と笑みが浮かんでいた。

こんな灰だらけの街で。

たった今まで死にかけていたのに。

それでも、少しだけ前を向ける気がする。

たぶんこれが、“救い”というやつなのだろう。

「じゃあ改めて。天瀬湊だ」

「リーネ・ヴァルカ」

二人は短く名乗り合う。

握手でもする流れかと思ったが、どちらもそんな上等な作法を知る暮らしではなかったらしい。少し気まずくなって、結局ふたり同時に苦笑した。

そのとき。

リーネの表情が、ふっと消えた。

「……みなと」

「ん?」

「静かに」

声色が変わった。

さっきまでの柔らかさが消え、魔力視を持つ者としての緊張が滲む。

湊も反射的に息を潜める。

「どうした」

「来る」

「誰が」

「さっきの人たちとは違う。もっと……嫌な感じ」

リーネは路地の奥、建物の影をじっと見つめていた。

「魂の色が、揃いすぎてる」

「揃いすぎてる?」

「訓練された人たち。殺すことに慣れてる色」

その言葉に、湊の背筋が冷える。

青外套の男がただのチンピラではなかったとしたら。

そして、その背後に組織があるのだとしたら。

面倒どころの話ではない。

湊は重い身体を無理やり起こした。まだまともに戦える状態じゃない。だが、ここで立たなければ終わる。

その瞬間、脳裏の奥で声が響く。

『……敵影接近。数は複数だ』

『隠密行動に移るべきだな』

『無理はするな、小僧』

『次はもっと上手くやれる』

『診る限り、今のお前はあと一回が限界だ』

『でも、逃げるだけじゃ終わらないよね?』

六つの魂が、再びざわめき始める。

湊は口の端を吊り上げた。

「仲間になった初日からハードモードかよ」

「ハードモード?」

「こっちの話だ。――リーネ、走れるか?」

「うん」

「じゃあまずは生き延びる。作戦会議はそのあとだ」

「了解」

その返事と同時に、路地の入口に影が差した。

灰の街に、黒い足音が満ちていく。

そして、先頭に立つ一人が、低く告げた。

「いたぞ。“器”を回収しろ」

湊の目が細くなる。

――器。

その呼び方を知っているということは。

こいつらは、偶然来た敵じゃない。

最初から、自分を狙っている。

灰土街の鈍色の空の下。

六つの魂が脈打つ。

最初の仲間を得たその日に、

天瀬湊はようやく理解した。

この世界は、自分が思っていたよりずっと早く、

自分を“物語の中心”へ引きずり込もうとしているのだと。




第4話まで読んでいただきありがとうございます!

ついにリーネが仲間入りしました。
この子、かなり重要ポジションなので今後もちょくちょく活躍します。

今回は戦闘後の話ということで、
ちょっとだけ落ち着いた回になっていますが、
その分「湊の状態」と「二人の距離感」を意識して書いてみました。

あと、灰土街の空気感も少しでも伝わっていれば嬉しいです。
この世界、だいぶ治安終わってます。

そしてラストで不穏な連中が登場しましたが、
ここからは一気に動きます。

次回は
・逃げる
・追われる
・初の連携っぽいことやる
みたいな流れになります。

少しずつですが、六魂の使い方も見せていく予定です。

面白いと思っていただけたら、
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それでは第5話で!
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