ひとつの器で六魂共鳴 - 最下層から始まる六人格侵略譚 - 作:z567ug
喉が焼けるように痛かった。
肺に入る空気は薄く、乾いていて、血の匂いが混じっている。地面に膝をついたまま、湊はしばらく顔を上げられなかった。
さっきまで、自分の中で暴れ狂っていた“何か”の残滓が、まだ身体の奥にこびりついている。
腕が重い。脚が痺れる。視界の端が明滅する。
《六道継装》。
あれが自分の固有能力だというのはわかった。だが、わかったことと扱えることは別だ。
使った、ではない。
使われた、のほうが正しい。
「……最悪だ」
吐き捨てるように呟くと、口の中に鉄の味が広がった。頬の内側を切っていたらしい。
青外套の男は倒れている。生きているのか死んでいるのか、今の湊には確認する気力もなかった。
周囲の路地は静まり返っていた。
けれど、その静けさは平和とは程遠い。
この灰土街《アッシュクロウ》では、争いの後に訪れる静寂は、ただ次の不幸を待つための空白にすぎない。
崩れた煉瓦壁。煤けた洗濯布。痩せた犬が、少し離れた場所でこちらを警戒している。建物と建物の隙間からは、誰かの視線だけが覗いていた。
誰も助けに来ない。
誰も関わろうとしない。
それがこの街の“普通”なのだと、もう嫌というほど思い知らされていた。
「……大丈夫?」
か細い声が、すぐ近くで聞こえた。
湊はゆっくりと顔を上げた。
そこにいたのは、灰色の髪の少女だった。
灰色の外套はところどころ擦り切れ、灰色の髪は煤にまみれているはずなのに、不思議と完全には濁りきらず、どこかだけ微かに光を残していた。
痩せてはいるが、目だけは不思議なくらい澄んでいた。
その瞳が、まっすぐに湊を見ている。
恐れていないわけではないはずだ。
だが、逃げてもいない。
「……それ、戦った直後の人間に聞く台詞か?」
「うん。だって、死にそうな顔してるから」
「それは否定できないな……」
湊は苦笑しようとして、失敗した。頬が引きつる。
少女は数歩近づいてくると、しゃがみこんで顔を覗き込んだ。
「立てる?」
「気力なら無理。見栄なら立てる」
「じゃあ見栄で立って」
「容赦ないな君」
だが、その言い方が妙におかしくて、湊は少しだけ肩の力を抜いた。
少女に支えられる形で、どうにか壁にもたれかかる。情けない。前世でラノベ主人公を散々読んできたが、少女に介護される主人公は、さすがにちょっと格好悪い。
いや、逆に新しいのか?
……いや、新しくても格好悪いものは格好悪い。
「水、いる?」
「あるの?」
「少しだけ」
少女は小さな革袋を差し出した。中身は本当にわずかだったが、湊はそれを受け取る前に一瞬ためらった。
「いいのか?」
「うん」
「いや、そういう意味じゃなくて。たぶんこの街じゃ、水って結構貴重だろ」
「貴重だよ」
「じゃあなおさら」
「でも、今のあなたの方が先に死にそう」
あまりにも真顔で言われて、湊は観念した。
「……ありがとう」
喉を潤す程度に一口だけ含む。ぬるい。少し埃っぽい。だが、驚くほど美味かった。
生き返る、とはこういう感覚を言うのかもしれない。
ふう、と息を吐いたそのときだった。
「やっぱり、六ついるんだ」
湊の呼吸が止まった。
「……何が?」
少女は首を傾げる。
「魂」
さらりと言われた一言が、背筋に冷たいものを走らせる。
「あなたの中、六つある。ぐるぐるしてる。今はちょっと疲れて、みんな静かだけど」
湊は思わず黙り込んだ。
知っている。自分の中に六つの魂があることは。
だが、それを他人に看破されるとは思っていなかった。
いや、“普通なら”ありえない。
「……見えるのか?」
「うん。ちゃんとは見えない人も多いけど、私は少しだけ見える。魂の色とか、揺れ方とか」
少女は自分の目元を指さした。
「昔から。気味悪がられるから、あんまり言わないけど」
なるほど、と湊は内心で呟く。
異能持ち。
しかも、こちらの根幹設定を理解できるタイプの能力者。
物語的には“重要人物です”と看板を背負って歩いているようなものだ。
だが同時に、湊の胸の奥には別の感情も湧いていた。
警戒だ。
この世界に来てからまだ日が浅いが、もう理解している。
情報は力であり、弱みでもある。
六魂の秘密を見抜かれたことは、下手をすれば致命傷になりうる。
「……それを誰かに話したか?」
思ったより低い声が出た。
少女は一瞬目を丸くして、それから静かに首を横に振った。
「話してない」
「これからも?」
「話さない」
「どうしてそう言い切れる?」
「言ったら、あなた困るでしょ」
まるで当たり前のことを言うような声音だった。
湊は返答に詰まる。
「……俺を利用しようとは思わないのか?」
「利用?」
「珍しい力を持ってる奴に取り入って、自分が上に行こうとか。そういうの」
この街なら、そういう発想の人間がいてもおかしくない。
いや、この世界そのものがそういう理屈で動いているように思える。
上位は下位を踏み、強者は弱者を使う。
価値があるなら搾り取る。なければ捨てる。
湊自身、さっきまでの出来事でその現実を骨まで理解させられたばかりだ。
しかし少女は、少し考えるように視線を落としてから、ぽつりと言った。
「そういうの、よくわかんない」
「わかんない?か……」
風が吹いた。灰が舞った。
遠くで誰かが怒鳴り、どこかの窓が勢いよく閉まる音がした。
それでも、少女の声は不思議なくらいはっきりと届いた。
「利用するとか、裏切るとか、そういうのは嫌」
あまりに真っ直ぐで、湊は目を逸らした。
そういう言葉は、弱い。
いや、違う。
今の自分には、効きすぎるのだ。
前世でだってそうだった。人の善意というものを、物語の中では綺麗に信じられても、現実では少し距離を置いて見てしまう癖があった。
傷つきたくないからだ。
期待して裏切られるのが怖いからだ。
それなのに、この少女は躊躇いなくそこへ触れてくる。
「……変な奴だな」
「よく言われる」
「この街でそれはたぶん褒め言葉だ」
「なら、嬉しい」
ふっと、少女が笑った。
その笑顔は、この灰だらけの街にはあまりにも似つかわしくなかった。
だからこそ、眩しかった。
湊は少しだけ空を見上げた。
アッシュクロウの空はいつだって鈍色だ。煙と煤で濁りきり、晴天というものを知らない空。
路地の入口では、痩せた老人が倒れた男の懐を探り、何も見つからなかったのか舌打ちして去っていった。向こうの通りでは、首輪をつけられた子どもたちが荷車を引かされている。パン屋の前では、上位区画から来たらしい装いの男女が、余ったパンくずを犬に投げるように下層民へ放っていた。
誰もそれを止めない。
止められない。
人として扱われないことに、慣れきってしまっているから。
「……ひでぇ街だな」
思わず漏れた本音に、少女は首を傾げた。
「初めて見たの?」
「まあ、似たようなもんは知識としてはあったけど……ここまで露骨なのはな」
「露骨?」
「隠す気がない差別ってこと」
少女はしばらく黙ってから、小さく言った。
「ここでは普通だから」
「普通、か」
「うん。上の人は下の人を踏んでいいし、下の人はもっと下の人を踏んでいい。そうしないと、自分が踏まれるから」
その口調は淡々としていた。
悲しんでいるというより、すでに諦めている声音。
それが、湊にはやけに重かった。
「……君は違うんだな」
「え?」
「差別意識がない」
少女は少し困ったように笑った。
「ないんじゃなくて、わかんないだけかも」
「どういうこと?」
「魂は、みんな同じように光って見えるから」
その答えに、湊は言葉を失った。
なるほど。
この少女にとって人の価値は、生まれた階層でも、服の綺麗さでも、首輪の有無でもない。
魂の揺れ方で見ているのだ。
だから、この世界の常識と噛み合わない。
だから、異質なのだ。
そして――だからこそ。
この世界をひっくり返す旅に、必要な人間だと直感した。
「……あのさ」
「なに?」
「行くあてはあるか?」
少女は一度だけ目を伏せ、それから首を横に振った。
「ないよ。寝る場所は日によって違うし、ごはんも拾えたらって感じ」
「家族は?」
「いない」
短い返答だった。
けれど、それ以上聞く気にはなれなかった。
聞けば、たぶんいくらでも辛い話が出てくる。
この街では、それが特別なことじゃないと分かってしまうのが嫌だった。
湊は壁に背を預けたまま、長く息を吐く。
今の自分はボロボロだ。余裕なんてない。今日生き延びるだけでも綱渡りだ。
それでも。
ここで彼女を手放したら、たぶん後悔する。
打算もある。
魂の光が見える存在は、戦力面でも情報面でも有用な可能性がある。
だが、それだけじゃない。
この世界で最初に出会った“差別しない人間”が彼女なのだ。
そんな相手を、ただ路地裏に置いていけるほど、湊はもう冷たくなれなかった。
「……よし」
「?」
「一緒に来るか?」
リーネが瞬きをした。
「一緒に?」
「そう。一時的でもいい。俺もこの街に詳しいわけじゃないし、たぶん色々危なっかしい。君はこの街のことを知ってる。俺は……まあ、多少は戦える」
「多少?」
「今は全身筋肉痛みたいなもんだけどな」
「それは多少じゃないと思う」
「うるさいな」
軽口のあと、ほんの少しだけ間が空く。
リーネは、何かを確かめるように湊を見つめてから口を開いた。
「……ねえ」
「ん?」
「お名前、聞いてもいい?」
ああ、そういえば――と湊は気づく。
ここまで来て、お互い名も知らないままだった。
「天瀬湊。……湊でいい」
「アマセ……ミナト」
少女はゆっくりと口に出して、確かめるように頷いた。
「私は、リーネ。リーネ・ヴァルカ」
「リーネ、か」
名前を呼ぶと、少女は少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「うん」
その仕草が妙に人間らしくて、湊は少しだけ肩の力を抜く。
「じゃあ改めてだな、リーネ」
「うん」
「一緒に来るか?」
彼女は真面目な顔になる。
「でも、私と一緒にいると、面倒増えるよ」
「すでに五人分面倒見てるから、今さら一人増えても誤差だ」
「……五人分?」
しまった、と思ったが遅い。
リーネは少しだけ呆れたように、けれど楽しそうに目を細めた。
「自分で言うんだ」
「口が滑った」
「ほんとに賑やかなんだね、あなたの中」
「賑やかどころじゃない。たまに内輪揉めで会議が崩壊する」
「なにそれ」
「俺も知らん」
言いながら、湊はほんの少し救われた気がした。
六魂という異常。
それは本来なら、恐れられ、忌避される秘密だ。
だがリーネは、それを“怖いもの”ではなく“賑やかなもの”として受け止めている。
その事実が、胸の奥にじわりと染みた。
「じゃあ、条件がある」
リーネが言った。
「条件?」
「無茶しすぎないこと」
「うっ」
「さっきみたいに、いきなり倒れそうになるの、だめ」
「いや、あれは俺も予定してなかったというか」
「あと、ひとりで抱え込まないこと」
「……」
「六つもいるなら、なおさら」
湊は思わず笑ってしまった。
「仲間になる前から説教が上手いな」
「仲間になるから言ってる」
その一言で、空気が止まる。
湊は目を見開いた。
「……いいのか?」
「うん」
「即決?」
「秘密知っちゃったし。それに」
リーネは、少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「みなとといると、たぶん退屈しなさそう」
「そこ理由なんだ」
「大事だよ」
「まあ、それは否定しない」
気づけば、湊の口元にも自然と笑みが浮かんでいた。
こんな灰だらけの街で。
たった今まで死にかけていたのに。
それでも、少しだけ前を向ける気がする。
たぶんこれが、“救い”というやつなのだろう。
「じゃあ改めて。天瀬湊だ」
「リーネ・ヴァルカ」
二人は短く名乗り合う。
握手でもする流れかと思ったが、どちらもそんな上等な作法を知る暮らしではなかったらしい。少し気まずくなって、結局ふたり同時に苦笑した。
そのとき。
リーネの表情が、ふっと消えた。
「……みなと」
「ん?」
「静かに」
声色が変わった。
さっきまでの柔らかさが消え、魔力視を持つ者としての緊張が滲む。
湊も反射的に息を潜める。
「どうした」
「来る」
「誰が」
「さっきの人たちとは違う。もっと……嫌な感じ」
リーネは路地の奥、建物の影をじっと見つめていた。
「魂の色が、揃いすぎてる」
「揃いすぎてる?」
「訓練された人たち。殺すことに慣れてる色」
その言葉に、湊の背筋が冷える。
青外套の男がただのチンピラではなかったとしたら。
そして、その背後に組織があるのだとしたら。
面倒どころの話ではない。
湊は重い身体を無理やり起こした。まだまともに戦える状態じゃない。だが、ここで立たなければ終わる。
その瞬間、脳裏の奥で声が響く。
『……敵影接近。数は複数だ』
『隠密行動に移るべきだな』
『無理はするな、小僧』
『次はもっと上手くやれる』
『診る限り、今のお前はあと一回が限界だ』
『でも、逃げるだけじゃ終わらないよね?』
六つの魂が、再びざわめき始める。
湊は口の端を吊り上げた。
「仲間になった初日からハードモードかよ」
「ハードモード?」
「こっちの話だ。――リーネ、走れるか?」
「うん」
「じゃあまずは生き延びる。作戦会議はそのあとだ」
「了解」
その返事と同時に、路地の入口に影が差した。
灰の街に、黒い足音が満ちていく。
そして、先頭に立つ一人が、低く告げた。
「いたぞ。“器”を回収しろ」
湊の目が細くなる。
――器。
その呼び方を知っているということは。
こいつらは、偶然来た敵じゃない。
最初から、自分を狙っている。
灰土街の鈍色の空の下。
六つの魂が脈打つ。
最初の仲間を得たその日に、
天瀬湊はようやく理解した。
この世界は、自分が思っていたよりずっと早く、
自分を“物語の中心”へ引きずり込もうとしているのだと。
第4話まで読んでいただきありがとうございます!
ついにリーネが仲間入りしました。
この子、かなり重要ポジションなので今後もちょくちょく活躍します。
今回は戦闘後の話ということで、
ちょっとだけ落ち着いた回になっていますが、
その分「湊の状態」と「二人の距離感」を意識して書いてみました。
あと、灰土街の空気感も少しでも伝わっていれば嬉しいです。
この世界、だいぶ治安終わってます。
そしてラストで不穏な連中が登場しましたが、
ここからは一気に動きます。
次回は
・逃げる
・追われる
・初の連携っぽいことやる
みたいな流れになります。
少しずつですが、六魂の使い方も見せていく予定です。
面白いと思っていただけたら、
お気に入りや評価してもらえるとめちゃくちゃ励みになります!
それでは第5話で!