『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
鍛冶職人の工房を後にした一党は、夜の帳が下り始めた裏通りを歩いていた。雨は小降りになっていたが、湿った空気は重く、街のあちこちに不穏な気配が沈殿している。
その時、路地裏の突き当たりから、切迫した叫び声が響いた。
「――離してくださいッ!!」
一党が角を曲がると、そこでは数人の男たちが一人の町娘を壁際に追い詰めていた。男たちは一応、冒険者の体をなしているが、その瞳に宿るのは功名心ではなく、濁った欲望だ。
「いいじゃねえか、姉ちゃん。俺たちはこれから北の戦場へ行く『英雄様』だぜ? 出陣前の景気づけだ。少しぐらい付き合えよ。これも世のため人のためだろ?」
男が下卑た笑いを浮かべ、町娘の腕を強引に掴む。北方の戦火を免罪符にして、欲望を正当化しようとする醜悪な振る舞い。
「……最低ね。ゴブリンと同じじゃない」
妖精弓手が怒りに眉を吊り上げ、背負った弓に手をかけた、その瞬間。
「お待ちくだされ、野伏殿! ――何かが、来ます!」
蜥蜴僧侶が鋭い牙を剥き、周囲の「空気の変化」を敏感に察知した。
温度が急激に下がり、大気が震えるような、物理的な重圧が一党を襲う。
路地の奥、深い闇の中から、カラン、カランと規則正しい鉄の音が近づいてきた。
「不浄の臭い……。また、見つけた。ここにも、不浄なゴブリンが……」
闇を裂いて現れたのは、ボロボロの黒いフードを纏った人影。
そして、その頭部に戴いているのは、使い古された、けれど見紛うはずのない「鉄の貌」。
「……かみきり丸と同じ兜に、黒いフード。間違いない、噂の『死神』じゃ」
鉱人道士が低く構え、その異質な姿を注視した。
一見すれば、隣に立つゴブリンスレイヤーの鏡像。だが、そこから放たれているのは、守護のための殺気ではなく、万物を塵に変えんとする「絶対的な拒絶」の波動。
町娘を掴んでいた男たちが、その不気味な姿に怯え、腕を離した。
「な、なんだてめえ……。その格好、さては噂の殺人鬼か!?」
死神の瞳の中で、曼荼羅の紋様が狂おしく回転を始めた。
彼女の視界。
そこに立つ「英雄」を自称する男たちの姿が歪み、緑色の醜悪な小鬼たちの顔へと書き換えられていく。
冒険者崩れの男が、腰の剣を引き抜こうとした――その刹那だった。
死神の右掌が、無造作に、払うように動く。
――ドォォォォォォォォォンッ!!!
爆音。衝撃波は物理的な風となって路地を駆け抜け、男たちの身体を背後の石壁ごと「粉砕」した。悲鳴すら上がらない。そこにあったのは、もはや「死体」ですらなく、ただ壁を汚す赤い飛沫と、ひしゃげた鉄屑だけだった。
「……掃除、完了」
鉄兜の奥で呟き、黒い影は一党に一瞥(いちべつ)もくれず、驚異的な跳躍で建物の屋根へと飛び上がった。
「っ……! 待ちなさい!!」
妖精弓手が叫び、即座に矢を放つ。だが、放たれた矢は死神が空中で軽く手を振っただけで、見えない壁に弾かれるように軌道を逸らされ、夜の闇に消えた。
「追うぞ」
ゴブリンスレイヤーの短い号令。彼は迷うことなく、泥濘の路地を蹴って走り出した。
「あれだけの衝撃を放っておきながら、足音が全くしませんぞ! まるで幽霊を追っているようだ!」
蜥蜴僧侶が巨躯を揺らし、壁を蹴って屋根の上を並走する。
「おまけに魔力の残り香も、精霊のささやきも聞こえやしねえ。あんな出鱈目な業、どんな理屈で動いとるんじゃ!」
鉱人道士が短い脚を必死に動かし、一行に食らいつく。
追跡劇は、入り組んだ第三街区の迷路へと流れ込んだ。
死神は屋根から屋根へと、鳥のような軽やかさで跳び移っていく。その後ろを、ゴブリンスレイヤーが街の構造を熟知した最短ルートで追い詰める。
(……待って。待ってください……!)
最後尾を走る女神官は、心臓が破裂しそうなほどの鼓動を感じていた。
その背中。
黒いマントを翻して逃げる、あの「死神」の背中。
なぜだろう。
恐ろしいはずなのに。街の人を殺している、許されない殺人鬼のはずなのに。
その背中が、泣いているように見えて仕方がない。
「……そこだッ!!」
ゴブリンスレイヤーがスリングから石を放つ。それは死神を狙ったものではなく、彼女が次に着地しようとした煙突の根元を砕くための一撃。
足場を失い、死神のバランスがわずかに崩れる。
「逃がさないわよッ!!」
妖精弓手が三射同時に矢を放ち、逃げ道を塞ぐ。
着地の勢いを殺し、行き止まりの路地へと降り立った死神。
そこへ、一党が壁を背にして包囲を完了した。
激しい雨が再び降り始める中、二つの「鉄兜」が、街の深淵で真っ向から対峙した。