『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第99話:不浄の精算

女武闘家が光の中に消え、廃邸の最奥に静寂が戻ったその瞬間。

重なり合う瓦礫の山がガラガラと崩れ、その影から、血に汚れた白い礼服を纏った男が這い出してきた。

 

ヴァンパイアロード。

二万あった命のストックを全て削り取られ、いまやその魂に灯る火は、風前の灯火となった最後の一機のみ。だが、その醜悪な自尊心だけは、霧散することなくそこに留まっていた。

 

「……クハハ。よくやったな、冒険者共。礼を言わねばならんな」

 

吸血鬼は、折れた脚を魔力で強引に繋ぎ合わせながら、よろよろと立ち上がった。その赤い瞳には、一人の少女が命を懸けて守り抜いた尊厳への敬意など、一片も存在しなかった。

 

「……おかげで、この私も首の皮一枚で繋がった。あのまま死神に掃除され続けていれば、今頃は私の千年の歴史も、ただの塵として消え去っていたところだ。実に愉快だよ、愛だの絆だのという不純物が、これほどまでに役に立つとはな」

 

彼は、女神官の腕の中で物言わぬ骸となった女武闘家を一瞥し、不快げに鼻を鳴らした。

 

「……フン、この街もしばらくは家畜小屋には使えんな。死神の衝撃で半分が更地になり、残った連中も恐怖で味を落としている。……去るとしよう。どこか別の、まだ『絶望』を知らぬ平和な街を……新たな獲物として選び直さねばならん」

 

吸血鬼は、自らの身体を霧に変え、夜明けの空へと逃げ延びようとした。

彼にとって、この一週間の惨劇も、司祭の執念も、そして女武闘家の死も。

すべては、自分が生き延びるための「都合の良い余興」に過ぎなかったのだ。

 

「……待て」

 

低く、地を這うような声が、吸血鬼の足を止めた。

 

鉄兜を被り直し、再び「小鬼殺し」としての貌を取り戻した男が、血に濡れた短剣を手に、静かに立ち上がっていた。

その隣では、妖精弓手が弓を引き絞り、鉱人道士が呪文の触媒を握りしめ、蜥蜴僧侶が竜牙刀を抜き放っていた。

 

「…………何だ? まだ何か用か、下等な人間よ。命を救ってやったのだ、そのままそこで泣きじゃくっているがいい」

 

「……お前の命は、あと、いくつだ」

 

ゴブリンスレイヤーの問いに、吸血鬼は嘲笑いながら答えた。

 

「……ッ、ハハ! まさか、この私を討つなどと冗談を言うつもりじゃなかろうな?」

 

ヴァンパイアロードは、足を止めて嘲笑った。

 

「身の程を知れ! 如何に残り一機とは言え、私は数世紀を生きる真祖だぞ! 七人の金等級を喰らい、死の理を統べるこの私を、お前たち如きのなまくら刀で殺せると思っているのかッ!!」

 

「……二万は無理だ」

 

ゴブリンスレイヤーが、低く、無機質な声を響かせた。

 

「だが。……一回なら、殺せる」

 

「……何だと?」

 

「あいつが、二万回殺して、お前をそこまで引き摺り下ろした。……あいつが掃除し残した最後の『ゴブリン』……」

 

ゴブリンスレイヤーが、銀の短剣を逆手に構えた。

 

「……俺たちが、片付ける」

 

「……クク、馬鹿め。死神との戦いで力を使い果たしたのはお互い様だ! 残り一機? それで十分よ。満身創痍の貴様ら『雑魚』など、指先一つでひねり潰して――」

 

「――そうは問屋が卸さないぜ、吸血鬼さんよ」

 

軽薄だが、確かな殺意を孕んだ声が静寂を切り裂いた。

 

「なっ……!?」

 

吸血鬼が振り向くより早く、一本の銀の長槍が風を切り、彼の足元の石畳を深く穿った。

 

「ゴブリンスレイヤー、随分と派手にやったじゃねえか。街の半分が更地だぜ」

 

瓦礫の山を飛び越え、不敵な笑みを浮かべて現れたのは槍使いだった。その背後には、大剣を肩に担いだ重戦士、凛とした佇まいの女騎士、そして煙管をくゆらせながら虚空を見つめる魔女が続いていた。

 

「……お前たちまで」

 

ゴブリンスレイヤーが短く応える。重戦士は吸血鬼を威圧するように一歩前に出た。

 

「受付嬢から聞いたぜ。もし、お前達が死神を止めることができたら……その後に這い出してくる『ゴブリン』にトドメを刺してくれ、とな。あいつ、泣きそうな顔で頼んできやがってな。断れるわけねえだろ」

 

「遅くなってすまない、ゴブリンスレイヤー」

 

女騎士が盾を構え、吸血鬼の退路を塞ぐように展開する。

「街道や街の各所に放たれた眷属どもの掃討に時間を取られた。……だが、これで最後の一匹のようだな」

 

「…………夜は、明けたわ」

 

魔女が煙管を仕舞い、その指先から白銀の魔力火花を散らせる。

「貴方の……隠れるための闇は……もう、どこにも、ない……」

 

槍使いが槍を抜き取り、穂先を吸血鬼の喉元へピタリと向けた。

 

「おい、ゴブリンスレイヤー。こいつのストック、あと『一機』なんだろ?」

 

ゴブリンスレイヤーは、血に濡れた鉄兜を一度だけ揺らした。

 

「……ああ。あと一回殺せば、二度と起き上がらない」

 

「なら決まりだ。……二万回もあの子に殺されて、まだ学習してねえのかよ。銀等級がこれだけ揃って、お前みたいな手負いの害獣を逃がすとでも思ったか?」

 

「…………ッ、貴様らァ!!」

 

ヴァンパイアロードの顔が、初めて恐怖と屈辱で歪んだ。

目の前にいるのは、彼が「家畜」と見下していた人間たち。しかし、彼らは一人一人がこの街の平和を背負う、歴戦の銀等級冒険者。

 

死神という名の天災によって、二万の命を全て削られ、防護の術式を剥ぎ取られた今。

彼が対峙しているのは、もはや「捕食される弱者」ではなく、「最後の一片を掃除しに来た処刑人」の群れであった。

 

「――愚かなッ! この私が本気で逃げられぬと思っているのか! 追えるものなら追ってみよ!!」

 

ヴァンパイアロードが叫び、その肉体が瞬時に輪郭を失う。物理攻撃を一切無効化し、隙間を縫って街の外へと逃走するための最終手段――『霧化』。

 

「……逃がさない」

 

背後で死神を抱いていた女神官が、震える足で立ち上がった。彼女の瞳には、友の命を弄ぼうとした怪物への、静かな、けれど決して揺るがない断罪の意志が宿っていた。

 

女神官は聖杖を高く掲げ、暁の空に届かんばかりの祈りを捧げる。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください》!!!」

 

「――『聖光(ホーリーライト)』!!!」

 

――――――――カッ!!!!!!

 

廃邸を埋め尽くした黄金の爆辞を上書きするように、一点の穢れもない純白の閃光が放たれた。地母神の奇跡は、逃げようとした不浄な霧を隅々まで焼き払い、吸血鬼の術を根底から強制解除させる。

 

「ぎ、あぁぁぁぁぁぁッ!? 目が、身体が……焼ける……ッ!!」

 

光に焼かれ、霧から実体へと無理やり引きずり戻されたヴァンパイアロード。

もはや、彼を守る命も、逃げるための影も、どこにも残されてはいなかった。

 

「――仕留めるぞッ!!」

 

重戦士の怒号が響く。

 

「《粘糸(スパイダーウェブ》!」

魔女の呪文が吸血鬼の四肢を粘着性の糸で縛り上げ。

「《石弾(ストーンブラスト)》!」

鉱人道士の放った石弾が吸血鬼の膝を砕く。

 

「これでおさらばよ、化け物ッ!!」

「拙僧の道、これにて不浄を断つ!」

 

妖精弓手の矢が左目を貫き、蜥蜴僧侶の竜牙刀が右腕を斬り飛ばす。

さらに女騎士の盾による強烈な一撃が吸血鬼の姿勢を崩し、そこへ槍使いの神速の連撃が胸部をズタズタに切り刻んだ。

 

「が、はっ……、ぁ……。な……ぜ……。この、私が……!!」

 

ヴァンパイアロードが膝を突き、崩れ落ちる。

その喉元へ、一歩、音もなく近づいたのは鉄兜の男だった。

 

ゴブリンスレイヤーは、吸血鬼が二万回の死を経て最後に行き着いたその絶望を、慈悲もなく見下ろした。

 

「……二万一回目だ。……あいつの掃除、これで終わりだ」

 

銀の短剣が、吸血鬼の心臓を、寸分の狂いもなく貫通した。

 

「…………ガッ…………!!!」

 

ヴァンパイアロードは断末魔を上げる暇もなく、その肉体を灰へと変え、夜明けの風に吹かれて霧散していった。

百年以上にわたり王国の影で君臨し、数多の英雄を喰らってきた伝説の怪物の、あまりにも徹底した、無機質な「精算」の瞬間であった。

 

静寂。

戦いの熱気が去った後、廃邸の向こうから本物の太陽が顔を出した。

黄金の陽光が、ボロボロになった銀等級の冒険者たちを、そして静かに眠る一人の少女を、優しく照らし出す。

 

「……終わったわね」

 

妖精弓手がポツリと呟いた。

槍使いや重戦士たちは、言葉を交わすことなく、ただその朝陽を眩しそうに見つめていた。

 

ゴブリンスレイヤーは血のついた短剣を拭い、鞘に収めた。

それから、女神官の元へと歩み寄り、彼女の肩をそっと叩いた。

 

「……行くぞ。……あいつを、連れて帰る」

 

「…………はい。…………はい!」

 

女神官は涙を拭い、微笑んだ。

不浄は消え、世界は再び「日常」という名の遊戯を開始しようとしていた。

 

一人の少女が守り抜いた、このあまりにも不器用で、美しい朝。

冒険者の誇りを胸に、彼らは一歩、安らぎの待つ場所へと歩み出した。

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