『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
死神の物語はもう少しだけ続きます
天上の、さらに高み。
四方世界の運命を弄ぶ「神々の遊戯場」には、今日もダイスの転がる乾いた音だけが響いていた。
盤面を囲むのは、光の側に座す「宿命」と、闇の側に座す「混沌」。
彼らの前には、かつて黒く塗り潰され、世界を食い散らす毒として再投入された【死神】の駒が置かれていた。
しかし、その駒に異変が起きていた。
司祭が塗り込めたはずの、漆黒の呪いの塗料が、端からパラパラと剥がれ落ちていく。衝撃波を放っていた掌の造形は柔らかな指先に戻り、曼荼羅が刻まれていた瞳からは禍々しい光が消え去った。
やがて、その駒から完全に闇が消え、一点の曇りもない純白の輝き――【白磁の冒険者】としての姿が露わになった。
「……ほう」
混沌の神が、細い指先でその駒を拾い上げる。
かつてゴミ箱から拾い上げたときのような「汚れ」は、もうどこにもない。それどころか、神の手の中でも、その駒は温かな熱を持ち続けていた。
「相変わらず、私の予想を裏切ってくれる。……勇者に討たれて終わると思っていたけど、こんな決着になるとはね」
混沌の神は、盤面の一角に目を向けた。
そこには、死神を抱きしめ、奇跡を起こした小さな【女神官】の駒と、その傍らで静かに佇む【小鬼殺し】の駒がある。
『……勇者の聖剣ですら、あの「拒絶」の檻を壊せば、中の魂まで砕いていたはずだ。まさか、「ただ抱きしめる」という行動が、私の用意した数万の軍勢や司祭の秘術よりも、盤面を大きく変えるとは』
宿命の神が、新たなダイスを手の中で転がしながら言った。その声には、敗北感よりも、未知の出目を目撃したことへの淡い感興が混じっている。
「絶望は力になるが、情愛は理そのものを書き換える、か。……くく、これだからこの遊びはやめられない」
混沌の神は、掌の中の純白の駒を見つめた。
この駒はもう、戦うことはない。ダイスを振って移動させる必要もない。
神は、その駒をそっと、ゴミ箱でも盤上でもない、「黄金の光が差し込む特別な場所」へと置いた。
そこには、以前に盤面から取り除かれた「青年剣士」や「女魔法使い」、そして彼女の「父親」の駒が、穏やかに寄り添うように並べられていた。
「おやすみ、私の可愛い死神。……いや、勇敢な冒険者の女の子。君の冒険は、これでおしまいだ。ここから先は、神様でも邪魔できない安らぎの時間だよ」
混沌の神がふっと息を吹きかけると、その場所は雲に包まれて見えなくなった。
混沌の神は、黄金の光の中へ送り届けた「白磁の武闘家」の駒から指を離すと、今度は盤面の北側――いまだ激しい火花が散る極北の戦場へと視線を移した。
「……さて、あちらもそろそろ大詰めだね」
盤上の景色は凄惨だった。
かつて十二万を誇った黒鉄の軍勢も、それを受け止めた六万の白銀の騎士たちも、いまやその大半が横倒しになり、欠け、ひび割れている。盤面を覆う白い粉雪は、砕け散った駒たちの無念の破片のようでもあった。
その混乱の極致、北方軍本陣の目前で、二つの駒が異常な輝きを放ちながら激突を繰り返している。
一つは、周囲を遍く照らす黄金の駒。【勇者】。
もう一つは、空間そのものを切り裂く不気味な黒の駒。【深淵守護旅団長】。
『……あの魔人の剣士、よく持たせているな。白金等級を相手に、これほど長い時間、盤面を「停止」させるとは』
宿命の神が感心したように呟く。勇者の駒が聖剣を振り下ろすたびに、魔人剣士の駒が『無量大数』で空間を断ち切り、決定的な一撃を逸らし続けていた。それは、理不尽な光と、それを拒絶する技の、究極の均衡だった。
だが。
混沌の神の目は、その華やかな決闘の影で、不気味に蠢き始めた「小さな駒の群れ」を捉えていた。
「おや……? 予定にない動きだね」
混沌の神の指先が、盤面の端、撤退路を確保していたはずの【死霊術師】たちの駒に触れた。
本来なら主力の撤退を支え、自らも北へ退くはずのその駒たちが、司令官の命令を無視するように、不自然に回頭を始めていた。
彼らが向かう先は、戦火の消えゆく「北」ではない。
先ほどまで『死神』が立っていた、あの「南」の街。
『……死霊術師たちが、戦列を離れたか。主君を見捨ててまで、彼らは一体何を求めているのだ?』
混沌の神は、口端を大きく歪めて笑った。
「決まっているじゃないか。彼らは『死体』を愛でる専門家だ。神話の邪竜を葬り、世界を滅ぼす領域にまで達した『究極の素体』……その抜け殻が手に入ると踏んだのだろう。欲をかいたねぇ」
神の指先が、再びダイスを握る。
「さて、この『強欲』という名の不純物。盤面をさらに汚すか、それとも勇者の怒りに触れて一掃されるか……」
ダイスが振られる。
天上の卓を転がる硬質な音と共に、死霊術師たちの駒は、安らぎを得たはずの少女の亡骸を目指し、不浄な行進を開始した。
エピローグ:北方戦線・終局編へ続く