『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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エピローグ:北方戦線 終局編
第101話:魂の共鳴―止まった秒針―


北方戦線、北方軍本陣前。黄金の極光と、空間を裂く漆黒の断層が激しく火花を散らす神域の戦場。その中心で、勇者と深淵守護旅団長が、吸い込まれるような一瞬の「静寂」を共有した。

 

ガギィィィィィィィィィッ!!!

 

聖剣と魔剣『無量大数』が噛み合い、互いの魔力が均衡したまま押し合う。だが、次の攻防へ移るはずの刹那、勇者がわずかに目を見開いた。

 

「…………あ」

 

勇者の視線が、戦っている旅団長を通り越し、遥か南の地平線へと向けられた。

彼女の鋭敏すぎる感覚が、大気を震わせていた「世界の拒絶」が、ふっと消え去るのを捉えたのだ。

 

「……止まった。あの子の悲鳴が、いま、止まったよ。」

 

勇者の声は、戦いの最中とは思えぬほど静かだった。それは、ずっと耳鳴りのように響いていた「世界の終わりへの秒読み」が、断ち切られたことを意味していた。

 

「…………」

 

空間魔剣『無量大数』を低く構えたまま、深淵守護旅団長もまた、動かなかった。

彼には、勇者のような神の共鳴は聞こえない。だが、彼は自身の肌を刺していた「南の拒絶」が霧散したことを、武人としての直感で察知していた。

 

「そうか。……あの『鍵』の娘が、成し遂げたか。」

 

「……え?」

 

「司祭は言っていた。不浄を検知するあの『指針』に、唯一映らぬ空白……無垢なる情愛を持つ娘がいると。……理不尽な死神を、ただの人間の少女へと引き戻す『切り札』。……まさか、本当に機能するとはな。」

 

旅団長はゆっくりと剣を引き、空間の歪みを収束させた。

 

「司祭は、絶望こそが魂の真理だと説いた。……だが、それを不純物と捨てた『温もり』が、奴が二十年かけて積み上げた盤面を、一瞬で溶かしてしまったというわけだ。」

 

「……そうだね。あの子は、死神なんかじゃなかったんだ。」

 

自分が間に合わなかった場所。自分が救えなかった魂。

それを、自分よりもずっと弱くて、小さな冒険者たちが、その命を賭して守り抜いたのだ。

 

「……ボク、分かったよ。あの子が最後に選んだのは、拒絶じゃなくて……『温もり』だったんだ。」

 

南の空に立ち込めていた赤黒い雲が、ゆっくりと晴れていく。

それは、死神が消え、一人の少女が人間として旅立った合図。

 

「南の災厄は消えた。……だが、我が任務は変わらん。……あの子が人間として逝ったというのなら、我ら北方軍に遺された道は一つ。……一兵でも多く、生きてこの地を去ることだ」

 

旅団長の周囲の空間が、バリバリと音を立てて砕け始める。

死神が「掃除」を終えたのではない。死神が「許し」を選んだのだ。

その奇跡に報いるため、旅団長は自らの命を、撤退する味方のための最後の一片の鋼鉄として捧げる決意を固めた。

 

「……来い、勇者。……南の奇跡が本物であったと、貴殿の光を以て証明してみせよ。……この私の命を、一瞬で焼き払うほどの輝きでなッ!!」

 

「…………。うん。わかった」

 

勇者は聖剣を高く掲げた。

南の街で起きた救済。その残り火を絶やさぬよう、北の戦火を今度こそ完全に終わらせるために。

 

――勇者と旅団長が神域の決戦を繰り広げるその傍ら。本陣への突入を狙う剣聖と、後方から支援を試みる賢者の少女の前には、もう一つの「絶望」が立ちはだかっていた。

 

深淵守護旅団・第2守護連隊。

旅団長直属の精鋭であり、混沌の洗礼を生き延びた重装騎士と魔人たちで構成された、北方軍最後の「盾」である。

 

「――ここから先は一歩も通さぬ。旅団長の、そして我らが司令閣下の邪魔はさせんッ!」

 

漆黒の板金鎧に身を固めた第2守護連隊長が、魔力を帯びた大剣を構えて吠える。彼の背後には、一糸乱れぬ陣形を組んだ数百の混沌騎士たちが、鉄の壁となって回廊を封鎖していた。

 

「くっ……! どけッ!!」

 

剣聖が疾風の如き踏み込みから、一瞬で数人の騎士を斬り伏せる。しかし、倒れた先から別の騎士が間髪入れずに隙間を埋め、さらに死したはずの騎士までもが、第2師団の魔術支援によって無理やり立ち上がり、剣を振るってくる。

 

「結界が厚すぎる!これでは勇者の援護に行けん!」

 

「わかっています! ですが……この密度、異常です!」

 

フードを被った賢者の少女は、空中に展開した魔導座標を睨みつけ、焦燥に声を震わせた。

 

「旅団長以外の魔物や混沌騎士たちも、一人一人が凄まじい精鋭です! それに……この連隊全体に、第2師団長が直接編み上げた『絶対死守』の呪印が共有されている……! 精神的な疲労も恐怖も、彼らには存在しません!」

 

第2連隊の戦い方は、もはや軍隊のそれではなく、一つの巨大な「拒絶の塊」だった。

彼らにとって自分たちの命は、旅団長が勇者を足止めするための「時間」を稼ぐための、ただの消耗品に過ぎない。

 

「――《深淵の闇よ、不浄なる光を拒め》ッ!!」

 

連隊長が命じると、騎士たちの盾から漆黒の霧が噴き出し、剣聖の視界を、そして賢者の探知を強引に遮断していく。

 

「面白い……! 勇者の光が届かぬこの影の中こそが、我ら守護旅団の墓場に相応しいッ! 来い、王国の英雄ども! 我ら五百の命、全てを削り取ってでも、ここを死の静寂に変えてくれるわ!!」

 

「…………っ、なんてしぶとい連中だ!」

 

剣聖の刃が黒鉄を叩き、賢者の魔弾が闇を穿つ。

だが、連隊の壁は、崩れるどころか、さらに深く、重く、一行の行く手を阻み続けた。

 

北方の司令部が北へと消えゆくための、血塗られたカウントダウン。

守護旅団は、その全存在を「盾」として捧げ、勇者一党という名の太陽が本陣を焼き尽くすのを、死に物狂いで拒み続けていた。

 

――王都の地下遺構。勇者一党が『深淵守護旅団』と神域の激突を繰り広げているその裏側で、王都内部の不浄を刈り取る最後の掃討戦が繰り広げられていた。

 

相手は、北方軍第四師団第三密偵連隊。

対象の外見だけでなく、魔力波形や微かな記憶の断片すらも模倣する『変化』の魔物たちで構成された、欺瞞の精鋭部隊。

 

「――無駄な足掻きはやめなさい」

 

剣の乙女が黄金の杖を掲げると、聖なる光が地下の闇を焼き払う。逃げ惑う衛兵や貴族の姿をした工作員たちが、その光に晒された瞬間に悲鳴を上げ、ドロドロとした異形の正体を現していった。

 

その傍らで、細剣を振るい、確実に魔物の核を貫いていく令嬢剣士の姿があった。

 

「……大司教様、これで最後の一群です。彼らは死の恐怖に耐えかねて、術式が乱れています。これなら、騎士団だけでも――」

 

「…………っ」

 

彼女は黄金の杖を握りしめたまま、天秤を支える手が微かに震える。目隠しの下、彼女の「心眼」が捉えていたのは、目の前の敵ではなく、遥か南の空から届いた、魂を揺さぶるような「断絶」の瞬間だった。

 

「大司教様? どうかされましたか!?」

 

令嬢剣士が彼女の異変に気づいて駆け寄る。

剣の乙女の頬を、一筋の温かな涙が伝い、目隠しの下へと吸い込まれていった。

 

「……あの子が。……あの子が今、逝きました」

 

「えっ……。では、間に合わなかったのですか!?」

 

令嬢剣士が絶望に声を震わせる。臨界点を迎え、辺境の街が消滅したのか。だが、剣の乙女は、優しく首を振った。

 

「いいえ。……あの子は、死神として世界を呪いながら死んだのではありません。……自分を取り戻し、一人の人間として、安らぎの中で旅立ったのです」

 

「…………!!」

 

「……あの方たちが、奇跡を起こしました。……神々が盤面に敷いた絶望を、一人の少女の『温もり』が、力ずくで書き換えてしまったのです」

 

剣の乙女の声には、誇らしさと、そして遠く離れた「彼」への深い慈しみが宿っていた。

勇者の聖剣でも、王国の軍勢でも届かなかった深淵。

そこに、ただの銀等級の冒険者と、一人の神官の娘が手を伸ばし、魂を救い上げた。

 

「……そう、ですか。……よかった」

 

令嬢剣士は、自らの首元にある「あの日」の傷跡に触れ、静かに微笑んだ。

救われた命が、また別の命を救った。その連鎖こそが、自分たちが冒険者として戦う理由なのだと、彼女は改めて確信した。

 

「――仕上げをいたしましょう。あの子が繋いだこの光を、この都で絶やすわけにはいきません」

 

「……クク、貴様らも気づいたようだな。我らにも先程、南方の第二連隊から報告があった」

 

追い詰められた第三密偵連隊の生き残り

その中心に立つ連隊長は、幾重にも重なる変身の術式が解け、ドロドロとした不定形の肉体に漆黒の魔導装束を纏った、異形の姿を晒していた。

 

「あの『鍵の娘』が……。司令部の計算をすべて踏み倒して、死神の懐に辿り着いた。……武力でも、知略でも、恐怖でもない。ただの『抱擁』が、あの完成された拒絶を溶かした……。我らの勝利の種火は、いま、たった一人の小娘の涙で消し止められたのだ」

 

「ええ。届いたのですよ。……絶望に凍りついていたあの子の心に、一番欲しかった温もりが。……司祭が『不純物』と切り捨てた愛こそが、貴方たちが築き上げた偽りの盤面を、根底から覆したのです」

 

その傍らで、令嬢剣士が細剣を構え、周囲を包囲する工作員たちの動きを警戒する。

 

「もう逃げ場はありません……投降しなさい連隊長。北の本隊は敗走し、南の死神は安らぎの中で逝きました。……貴方たちがここで流す血には、もはや何の戦略的価値もありません」

 

「クク……。投降、だと? 女商人。我ら影蝕密偵師団に、その言葉は存在せん」

 

連隊長が、折れた黒い剣をゆっくりと正眼に構えた。

彼の周囲にいた数十名の工作員たちも、一斉に武器を抜き、一切の迷いがない、死を覚悟した「無」の境地へと沈んでいく。

 

「任務は失敗だ。王都の門を開く機も、南からの援護も、すべては潰えた。……だが我らは第四師団。影に生き、影に消えるのが定め。……主君の退路を守るため、そして、あの娘を『人間』へと引き戻した貴様らの光に、一矢報いるため……」

 

連隊長の瞳が、どす黒い混沌の炎を宿した。

 

「――我らはただでは死なんぞッ!! 影蝕密偵師団の恐怖、その魂に刻み込んで果てるがいい!!」

 

その叫びを合図に、残された数十名の工作員たちが、一斉に自らの肉体を「変化」させ始めた。

バキバキと骨が砕け、皮膚が緑色に濁り、耳が長く裂けていく。

彼らが選んだのは、偽の貴族でも、偽の衛兵でもない。

 

――ゴブリン

 

剣の乙女の魂に刻まれた、生涯消えることのない最悪のトラウマ。その貌を、彼らは最期の悪足掻きとして、自らの肉体で再現したのだ。

 

「ギギッ! ギガァッ!!」

「ギャアアハハハハッ!!!」

 

数十匹の「ゴブリン」たちが、下卑た笑い声を上げ、四つん這いになって剣の乙女へと殺到する。

 

しかし。

迫りくる緑色の波を前に、剣の乙女は一歩も引かなかった。

彼女の唇には、かつての自分であれば有り得なかった、静かで、峻厳な微笑すら浮かんでいた。

 

「……無駄です。……私には、もう見えています」

 

彼女が杖を地面に突き立てた瞬間、地下遺構の全てを白く塗りつぶすほどの、圧倒的な黄金の輝きが爆発した。

 

「……私にはあの子のような勇気はありません。……今でも、ゴブリンが怖い。……震えが止まらず、誰かに助けてほしいと叫び出したくなるほどに。……私は、あの子のように強くはなれませんでした」

 

彼女は一歩、前へ踏み出した。

 

「……しかし。あの方が、そしてあの子が守り抜いたこの『光』を、貴方たちのような不浄に汚させるわけにはいかないのです!」

 

「――その通りよ! 私たちだって、もう『あの日』のままじゃない!」

 

剣の乙女の背後から、令嬢剣士が剣を掲げて躍り出た。彼女もまた、小鬼の姿に一瞬目を背けそうになりながらも、未来を守るために言葉を紡ぐ。

 

「トニトルス(雷電)――オリエンス(発生)――ヤクタ(投射)ッ!!!」

 

「――『稲妻(ライトニング)』!!!」

 

至近距離から放たれた極大の雷撃が、襲いかかっていた小鬼たちの先鋒を真っ向から貫き、焼き払った。

 

「おのれェ……ッ!!」

 

怯んだ工作員たちの頭上に、さらなる断罪の光が降り注ぐ。剣の乙女が天を仰ぎ、全霊の祈りを込めて祝詞を唱える。

 

「《裁きの司、つるぎの君、天秤の者よ、諸力を示し候え》……ッ!!!」

 

「――『聖撃(ホーリースマイト)』!!!」

 

地下広間全体を黄金の爆辞が包み込んだ。

ゴブリンの真似事をしていた第三密偵連隊の精鋭たちは、自らの卑劣な策が聖なる光に呑み込まれていくのをその瞳に映しながら、一兵残らず消滅した。

 

「……貴方たちは、ゴブリンではありません。……ただの、哀れな敗北者の残響に過ぎないのです」

 

静寂が戻った地下室。

焦げた石畳の上には、もはや不浄の気配すら残っていなかった。

 

「……終わりましたね、大司教様」

 

令嬢剣士が肩で息をしながら呟く。剣の乙女は杖を杖代わりにして立ち、南の空から届く、どこまでも清らかな風の音を聴いていた。

 

「……ええ。……さようなら、影の住人たち。貴方たちの執念も、いま……光の中に消えました」

 

剣の乙女は、南の空に向けて一度だけ深く頭を垂れた。

死神を救ったあの子たちへ。

そして、自分を救ってくれた、あの鉄兜の男へ。

感謝の祈りを捧げ、彼女は一度も振り返ることなく、光の射す地上へと歩み出した。

 

王都を内側から腐らせようとした影の軍勢は、ここに玉砕・全滅した

南方の「奇跡」の報せが、北方戦線の最終局面に最後の火を灯しつつあった。

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