『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
北方軍本陣前、鉄と魔法が交差する最前線。勇者が空間魔剣と神域の決闘を繰り広げるその傍らで、剣聖と賢者の二人は、深淵守護旅団の分厚い防陣を確実に切り崩し始めていた。
「――雷矢(サンダーボルト)ッ!!!」
フードを目深に被った賢者の少女が指先をかざすと、幾条もの雷光が漆黒の板金鎧を貫いた。その一瞬の怯みを逃さず、剣聖が白銀の軌跡となって戦列に飛び込んだ。
「はあああッ!!」
一太刀で数人の騎士を鎧ごと両断する。剣聖の神速の剣技と、賢者の精密な魔導援護。二人の完璧な連携の前に、北方軍最強の盾であった第二守護連隊は、初めてその陣形を後退させた。
「――っ、第二連隊の損耗が限界です! 防壁が維持できません!!」
「狼狽えるな! 第二連隊は後方へ! 我ら第一守護連隊が代わる!!」
崩れかけた盾列を割り、さらに重厚な装甲を纏った第一守護連隊長が、血気盛んな魔人たちを率いて躍り出た。
彼らは深淵守護旅団の中でも「不動」を義務付けられた最精鋭。倒れた戦友の死体を足場に、一寸の狂いもなく槍を揃え直す。
「クソッ……主力の撤退はまだか!? このままでは我ら守護旅団は全滅だぞ!」
「あんな小娘二人に、旅団の半分が磨り潰されるなど……!」
最前線で盾を砕かれた第二連隊の兵士が、絶望に声を震わせた。勇者の光、剣聖の刃、賢者の魔導。それら全ての重圧を正面から受け続けることは、混沌の加護を受けた魔人でさえ、精神を磨り潰される苦行であった。
そこへ、本陣から一騎の伝令兵が血相を変えて駆け込んできた。
「――報告! 第二師団・第四呪詛旅団が、現時刻を以てこちらへ援軍に向かっています! 数万の死霊軍が、間もなくこの平原を埋め尽くしますッ!!」
「なに……!? あの死霊術師どもが援軍に?」
第一守護連隊長が、意外そうに眉をひそめた。軍内でも忌み嫌われるあの屍肉喰らいたちが、自分たちの盾になるとは。
「聞け、諸君! 屍肉喰らいたちが到着するまで持ちこたえるのだ! 死体が立ち上がれば、数で奴らを圧倒できる。一歩も退くな、命を盾にしろッ!!」
「「「オォォォォォォォォッ!!!」」」
絶望は執念へと変わり、北方軍の防壁は再びその厚みを増した。
その様子を、剣を構え直しながら見ていた剣聖が、忌々しげに顔をしかめた。
「……まずい。今あいつらの『死霊軍』に現れられたら、物量で押し切られる。勇者が旅団長を討つ前に、この戦場が死体で埋め尽くされるぞ。」
「ええ。この数日間、この平原に積み上がった万を超える遺体が、すべて私たちの敵に変わる……。そうなれば、本陣を落とす前に私たちが物量に飲み込まれます」
賢者が、フードの奥で鋭い視線を勇者へと向けた。
「勇者様! 急いでください! 旅団長を討ち、司令部の喉元を叩くのは今しかありません!!」
賢者の悲痛な願い。
その視線の先では、勇者の聖剣と旅団長の魔剣が、最後の一秒を奪い合うための神域の剣戟を繰り広げていた。
「……勇者よ。貴殿の光は、もはやこの世界の理屈を越えているな」
深淵守護旅団長は、深手を負った右腕を強引に魔力で固定し、折れぬ意志を宿した瞳で勇者を見据えた。彼の周囲の空間は、魔剣『無量大数』の反動によって、鏡が粉々に砕けたかのような凄惨な断層に覆われている。
「……あんたの剣も、凄いよ。ボクの聖剣が、さっきから『斬る場所がない』って泣いてるんだ」
勇者は、聖剣を両手で真っ直ぐに正した。彼女の背後に広がる光の翼は、いまや地平線の端から端までを黄金に染め上げている。
「でも、もう終わりにする。あの子が……南の街のあの子が、自分の命を賭けて『拒絶』を止めたんだ。……ボクがここで、いつまでもあんたと踊っているわけにはいかない」
「左様か。……ならば受けて立つ。我が武の全て、この一振りに凝縮せん!!」
旅団長が魔剣を上段に構える。
その瞬間、周囲の空間が吸い込まれるように黒い一点へと収束した。
「――『無量大数』……終焉・無次元葬送!!」
放たれたのは、斬撃ですらない。
旅団長の前方すべて、空も、大地も、大気も、因果さえもが、数千、数万の「断絶」によって瞬時に細切れにされ、無へと還される絶対消滅の波動。
それに対し、勇者はただ一歩、その「消滅」の渦中へと踏み込んだ。
「――ボクが『斬る』と決めたら、そこには必ず『理』が生まれるんだ」
勇者の瞳が黄金に燃え上がる。
彼女が聖剣を振り下ろした瞬間、放たれたのは破壊の力ではなかった。
それは、切り裂かれた空間、バラバラに解体された世界を、光の力で強引に繋ぎ止め、「あるべき姿に固定する」という、神の創造にも等しい理不尽なまでの肯定。
「――『黄金の裁定』!!!」
――――――――ガギィィィィィィィィィィィィィィィンッッ!!!
空間を断つ魔刃と、空間を繋ぐ聖剣が真っ向から激突した。
漆黒の断層が黄金の光に焼き潰され、因果の逆流が旅団長の『無量大数』を襲う。
魔剣が、持ち主の驚愕と共に悲鳴を上げた。
斬っても、斬っても、勇者の光が瞬時に世界を「修復」してしまう。
切断という理屈が、存在という暴力に塗り潰されていく。
「……く、は……。……空間を……修復……、した、か……」
パリン、と。
数世紀の間、一度として欠けることのなかった『無量大数』の刀身が、根元から砕け散った。
旅団長の胸部を、聖剣の切っ先が深々と貫く。
光の奔流が彼の魔人の肉体を内側から浄化し、漆黒の鎧が白銀の粒子へと変わっていく。
「…………見事なり。……勇者」
旅団長は、自らの血を吐きながらも、満足げに微笑んだ。
崩れ落ちる膝。だが、彼は最期まで勇者の瞳を逸らさなかった。
「……あの娘の……南の奇跡が……、無駄ではなかったと……貴殿が……証明したな……」
「……あんたの剣、忘れないよ。……北方軍の誇り高き剣士さん」
勇者が剣を抜くと、旅団長の身体は光の雪となって、北の空へと舞い上がった。
空間のひび割れは塞がり、戦場にはかつてないほどの、穏やかで残酷な静寂が訪れた。
「そんな……旅団長が……」
「北方軍最強の剣士が……」
信じがたい現実を前に、深淵守護旅団の兵士たちは武器を握る力さえ失い、立ち尽くしていた。彼らにとって旅団長は、勇者という理不尽を唯一押し留めることのできる「神」に等しい存在だったからだ。
「――狼狽えるなッ!!」
沈黙を破り、第一守護連隊長が血を吐きながら叫んだ。
「閣下は自らの命を賭して、司令部の退路を護り抜かれたのだ! 我らがここで崩れて、その遺志を無駄にするつもりか! 槍を構えろ! 一兵も通すなッ!!」
連隊長の声に、兵士たちが本能的に陣形を立て直そうとする。
しかし、その絶望的な抵抗を、勇者の放つ圧倒的な輝きが遮った。
「ううん。これで終わりだよ」
勇者は、静かに、けれど逃れようのない決定的な声を響かせた。
彼女が聖剣を地面に突き立てると、旅団長が斬り刻んでいた空間の断層が黄金の光で塗り潰され、不自然な亀裂が完全に修復されていく。
「あんたたちの誇りも、執念も……ボクは全部受け取った。だから、もうこれ以上、誰も死ななくていいんだ」
勇者の言葉と共に放たれた光の波動が、兵士たちの戦意を物理的に霧散させた。
「……勇者様の仰る通りです。道は開けました」
フードの下、賢者の少女が冷静に魔晶石を操作し、敵本陣までの最短経路を指し示す。もはや、そこを塞ぐ空間の壁は存在しない。
「――御苦労。あとは私たちが引き受けよう」
剣聖が、愛刀を抜き放ち、前方の「空白」へと一歩を踏み出した。
「無念を抱えたまま散っていった仲間のため。……そして、南で絶望を終わらせたあの子のため。……本陣へ突入する。一気に司令の首を獲る!」
剣聖の合図と共に、勇者一行が黄金の残光となって回廊を駆け抜ける。
背後に残されたのは、戦う理由を失い、ただ呆然と立ち尽くす北方軍の精鋭たちの影。
北方の最終防衛線は、いま、名実ともに崩壊した。
一行の視線の先には、北方軍司令が座す最後の大天幕が、沈みゆく夕闇の中に静かに佇んでいた。
――北方軍総司令部
「申し上げますッ!! 勇者との一騎打ちの末、深淵守護旅団長閣下……戦死!!」
血まみれの伝令兵が叫ぶように報告し、その場に崩れ落ちた。静寂が天幕を支配する。最強の魔人の死。それは北方軍にとって物理的な「守護」が完全に消失したことを意味していた。
「……何ということだ。あの守護旅団長までもが……」
第二師団長が、震える手で魔導通信機を叩いた。
「それよりもだ! 守護旅団の救援に向かわせたはずの、第四呪詛旅団からの応答が一切ない! 奴らは今、どこで何をやっている!?」
「――報告いたします」
影の中から第四師団長が、冷徹な、けれどどこか自嘲気味な声を響かせた。
「撤退中の第二密偵連隊より緊急入電。……第四呪詛旅団は、軍令を完全に無視。戦線を離脱し、全速力で『南方』へと向かっています」
「……この期に及んで敵前逃亡かッ! あの腰抜け共が!!」
第一迅雷旅団長が怒りに顔を歪めたが、第三鋼鉄旅団長が、静かに、そして軽蔑を込めて首を振った。
「違うな。……奴らは逃げたのではない。……狙いは、あの娘の遺体だ」
「…………!!」
「司祭さえ制御しきれなかった、あの神話級の破壊エネルギー。その抜け殻を、自分たちの『最高級の素材』にするために……あやつらは、軍の全滅を囮にして宝探しに向かったのだよ」
「…………馬鹿共が」
それまで沈黙を守っていた北方軍司令が、短く吐き捨てた。その声には怒りすらなく、ただ救いようのない愚かさへの落胆だけが混じっていた。
「……戦友が逃げる時間を死守している守護旅団を捨て駒にしてまで……。手に入るはずもない『過去の幻影』を追いに行ったか。……身の程を知らぬ強欲は、ゴブリンと何ら変わりはないな」
「――閣下! 勇者一党、最終防衛線を突破ッ!!」
参謀が、狂ったように点滅する魔導水晶を指差した。
「予想到達時刻は……一時間後。いや、四十五分を切りました! もはや迎撃は不可能です!!」
「…………。十分だ」
司令はゆっくりと立ち上がり、自らの軍帽を正した。
「全員、戦闘準備。……残存する全ての機密書類を焼却しろ。王都の連中には、灰の一片も渡さん。……我ら北方軍、最後の一刻まで『軍隊』として、あの光の化物を迎え撃つぞ」
「「「はっ!!」」」
北方の地に、最後の戦闘配置の角笛が鳴り響く。
一人の少女を地獄へ落とし、世界を終わらせようとした十二万の軍勢。
その最後の一秒が、黄金の雷鳴と共に訪れようとしていた。