『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第104話:天秤の決断

北方の平原を覆う暗雲が黄金の輝きに切り裂かれ、かつての「無敵」が「敗残」へと書き換えられていく最中。退却路となる雪原の街道で、二つの影が衝突した。

 

片や、感情を凍結させ、軍律に従い整然と北へ退く第二密偵連隊

片や、不気味な骨の輿を揺らし、数万の死霊を率いて南へと逆走する第四呪詛旅団

 

「――止まれ、第四呪詛旅団長」

 

第二密偵連隊長が、感情を排した冷徹な声で呼び止めた。彼の背後に控える密偵たちは、まるで石像のように動かず、ただ静かに死霊術師たちの「腐臭」を拒絶している。

 

「貴公らの任務は本陣を守る深淵守護旅団の救援のはずだ。軍令を無視しての南下は明白な敵前逃亡と見なされる。直ちに北に引き返せ」

 

「クク……。敵前逃亡だと? 聞き捨てならんな、密偵の小僧」

 

輿の上で、第四呪詛旅団長が骨張った指を組み、醜悪な笑みを浮かべた。

 

「今の北方軍は最早、沈みかけの泥舟よ。一兵卒の意地を張って勇者の光に焼かれるのが貴公らの望みか? だが私は違う。……あの『死神』の死体さえ回収できれば、司祭の術式を我が物とし、歴史上最強の不死の軍勢を創り出せるのだ。そうなれば勇者とて恐るるに足りん。……どうだ? 貴公らも軍などというしがらみを捨て、我らに付かぬか?」

 

「…………断る」

 

第二密偵連隊長は、感情を動かすことなく、ただ事実のみを告げた。

 

「無駄なことはやめろ。……あの娘の遺体からは、既に拒絶の呪いは完全に消滅している。あそこにあるのは、もはや混沌の器でも、ましてや『素材』でもない。……ただの、一人の少女の亡骸だ」

 

「ハハハハハッ!! 愚か者が。感情を殺しすぎて脳まで萎縮したか?」

 

旅団長は、嘲笑と共に杖を激しく叩きつけた。

 

「司祭の術式は魂と不可分! 絶望の底で心臓を貫いたのであれば、その肉体には永遠に消えぬ『拒絶の残り香』が宿るのだ。それこそが、我ら死霊術師にとっての至宝よ。貴様等のような感情の無い『石ころ』に、素材の価値など分かるまい」

 

立ちふさがる第二密偵連隊長を見下ろし、第四呪詛旅団長は、ひび割れた声で嘲笑を重ねた。

 

「クク……。死神の衝撃で第一大隊を丸ごと失った貴様等に、我々を止める力など残っておらん。司令部に報告したければ勝手にするがいい。今頃、あの眩しい勇者の光に焼かれて、司令も、あの分からず屋の師団長たちも、等しく灰塵に帰しているだろうよ」

 

「…………勝手にしろ」

連隊長は、静かに道を空けた。

軍人としての規律よりも、目の前の「屍肉喰らい」たちが辿るであろう末路を、彼は無機質に予見していた。

 

「だが、一つだけ言っておく。あの娘の眠りを妨げようとするならば、その黄金の駒……『勇者』が貴公らを焼き尽くしに現れるぞ」

 

「ハハハッ!!笑わせるな! 王都の腰抜けどもが勇者を南に送るわけがあるまい。忘れたか? 奴らは死神が臨界点を迎える瀬戸際ですら、勇者を派遣しようとはしなかったのだぞ?自分たちの保身を優先して辺境を見捨てたのだ」

 

「…………」

 

「それが只人の、王都の『正解』なのだよ。奴らにとって、ゴブリンに壊された娘一人など……記録に残す価値もない、ただの『端の事』に過ぎんのだ。救う価値も、守る価値も、最初から無いと見捨てられたゴミなのだよ!」

 

旅団長の瞳に、確信に満ちた邪悪な悦びが宿る。

 

「だが、我らにとっては違う。死霊術という至高の叡智にとって、あの娘は神をも超える最高の傑作だ。王都が捨てたゴミを、私が永遠に戦い続ける『王』へと仕立て直してやる。……勇者が来ないあの街は、今や我らのための静かな祭壇よッ!!」

 

狂ったような笑い声が、撤退する兵士たちの沈黙を汚す。

旅団長にとって、この世界は損得と欲望だけで回る巨大な計算盤でしかなかった。

 

しかし。

感情を殺し、ただの「観測者」として辺境の街での終焉を見届けてきた第二密偵連隊長は、鉄兜の下で、静かに、そして冷徹に呟いた。

 

「……そうか。貴公には、そう見えるのだな」

 

「何だと?」

 

「貴公の計算は正しい。軍事的な合理性も、組織としての保身も、全て貴公の言う通りだ。……だが」

 

連隊長は、南の地平線から立ち昇る、微かな、けれどあまりにも澄み切った「祈り」の残響を感じ取っていた。

 

「……貴公が『無価値な端役』と切り捨てたあの娘の死が。……いま、王都の理を、そして勇者の聖剣を動かそうとしている。……貴公が信じているその『冷酷な盤面』は、一人の神官の涙によって、既にひっくり返されているのだよ」

 

「……寝言は死体になってから言うがいい、虚無の男め!」

 

旅団長は聞く耳を持たず、馬車を急かした。

 

「行けッ! 勇者が来ぬうちに、あの極上の『肉』を回収するのだ! 世界の主導権は、この私の手に堕ちる!!」

 

屍肉を求めて駆けるハイエナたちの背中を、第二密偵連隊長はただ静かに見送った。

 

「……さらばだ、第四呪詛旅団長。貴公の求めた『死』は、向こうからやってくるぞ」

 

 

 

――王都、至高神の神殿に隣接する作戦会議室。魔導水晶が映し出す北の地平には、長らく続いた暗雲が勇者の光によって切り裂かれ、黄金の夜明けが訪れようとしていた。

 

「……見事であった、大司教。第三密偵連隊の掃討、大儀であったな」

 

国王は、玉座ではなく、大司教の傍らに立ち、満身創痍の市街地を見下ろして低く呟きました。

 

「我が騎士団は既に満身創痍……。もし、そなたの『看破』が無ければ、王都は内側から崩壊していただろう」

 

「……お気になさらず。十年前の、あの魔神王との戦いに比べれば……守るべきものがはっきりとしていただけ、救いがありました」

 

剣の乙女は、黄金の杖を支えにしながら静かに応えた。その目隠しの下、彼女は「魂の不協和音」が王都から完全に消え去ったことを確認していた。

 

「……勇者様たちは? まだ、北に?」

 

傍らで、返り血を拭った令嬢剣士が、祈るように問いかけた。

 

「ああ。未だ、北方軍司令部を護る『深淵守護旅団』と交戦中だ」

 

国王は、北の空に今なお煌めく黄金の残光を見つめ、軍略的な判断を口にした。

 

「だが……感じ取ったのであろう、大司教。……南の空から、あの悍ましい『拒絶』の魔力が消失したのを」

 

「……ええ。あの子は……逝きました。……ようやく、安らかな眠りについたのです」

 

剣の乙女の声は、悲しみの中にも、どこか救われたような響きを帯びていた。かつて自分を見捨てた世界で、自らの意志で幕を引いた少女。その最後の一撃が、この世界の理を繋ぎ止めたことを、彼女は確信していた。

 

「死神が眠りについた今……。王都軍にとっても、北方軍にとっても、追撃と撤退の妨げになるものは最早何もない。……もはやこの戦は、北方軍がどこまで逃げ延び、我らがどこまで追い詰めるか……それだけの『掃除』に過ぎぬ」

 

もはや、世界を揺るがす「理不尽」は消えた。

あとは、残された軍勢を処理し、戦後という名の平穏を再構築するだけ。

 

「――勇者様が、ついに深淵守護旅団長を討ち果たされましたッ!!」

 

宮廷魔導師が、震える歓喜の声を上げた。水晶の中では、空間を断つ魔剣が砕け、北方軍最後の不落の壁が崩れ去る瞬間が刻まれていた。

 

「……やったか。あの魔人の魔剣、理不尽なまでの空間断絶を、ついに勇者様がねじ伏せられたか……!」

 

近衛将軍が、自らの兜を脱ぎ、安堵の溜息と共に椅子に腰を下ろした。

 

「……第四鋼鉄旅団も、完全に後退を始めたようですな。殿としての役割を終えたか、あるいは主人の死を悟ったか」

 

枢機卿が、チェス盤の上の黒い駒が次々と取り除かれるのを見つめ、静かに祈りを捧げる。

 

「ようやく、この戦も終わるのだな。……あまりにも多くの命が、この平原に散ったが……」

 

国王が、窓の外に見える王都の平和な街並みに目を向けた、その時だった。

 

バァァァンッ!!

 

扉が激しく開かれ、血相を変えた伝令兵が、報告書を握りしめたまま転がり込んだ。

 

「――申し上げます! 前線の観測班より、極めて不自然な動きが報告されました! 撤退を開始していたはずの第二師団・第四呪詛旅団が、突如として反転! 独立行動を開始しましたッ!」

 

「……第四呪詛旅団だと? あの、死霊術師たちの部隊か」

 

枢機卿が顔を曇らせる。近衛将軍は、戦術地図に目を落とし、最悪の可能性に戦慄した。

 

「まずいぞ……! 今、王都前の平原には、1ヶ月の激戦で積み上がった数万の死体が溢れかえっている! もし……もし奴らが、主力の撤退を無視してあの屍を一斉に動かし、この王都を襲ったら……!」

 

「……! まさか、北方軍司令部は最初からこれを狙っていたのか!?」

 

宮廷魔導師が、真っ青な顔で叫ぶ。

 

「自分たちの司令部すらも囮にして、勇者様たちを北の果てまで引き離し……手薄になった王都を、死者の軍勢で食い破る策だったのかッ!!」

 

「……急げ! 直ちに勇者様たちを呼び戻せ! 司令部など追っている場合ではない! 王都が、都が飲み込まれるぞ!!」

 

「――い、いいえ!! 違います!!」

 

伝令兵が、叫ぶように報告を続ける。

 

「第四呪詛旅団は……王都には向かっておりません! 奴らは主戦場を完全に無視し、進路を反転させ……全速力で南方へと向かっています!!」

 

「……何だと?」

 

国王が、聞き返した。

 

「南だと……? 南には、あの子たちのいる辺境の街しかないはずだ。……なぜ、いまさら奴らがそんな場所へ……」

 

沈黙。

その答えを、誰よりも早く看破た者がいた。

会議室の隅で、南の空を見つめていた剣の乙女が、目隠しの下で静かに、けれど激しい怒りに唇を震わせた。

 

「……あの子の。……あの子の亡骸です」

 

「大司教……?」

 

「第四呪詛旅団長は、自軍の勝利も、王都の陥落も……もはや興味など無いのでしょう。……あの男は、あの子が遺した、神をも拒絶する『最強の素体』を……その強欲のために、回収しに向かったのです」

 

剣の乙女の黄金の杖が、怒りに呼応して鋭く鳴る。

 

「……救いようのない、不浄……。死してなお、あの子の眠りを妨げようというのですか……ッ!」

 

勇者が北を平らげたその裏で、最も醜悪な執念が、安らぎを得たばかりの少女の元へと牙を剥いだ。

 

「……もしも、あの『死神』の遺体が奴らの手に落ちれば、取り返しのつかないことになる」

 

国王が、絞り出すような声で呟いた。彼の脳裏には、神話の邪竜をも粉砕したあの子の『拒絶』の力が、もし「死ぬことのない意志」として再起動してしまった時の、最悪の情景が浮かんでいた。

 

「直ちに、直ちに騎士団を南へ派遣しましょう! 多少の無理を承知で、辺境の街まで全速力で――」

 

宮廷魔導師が上奏するが、近衛将軍がその言葉を遮り、重く首を振った。

 

「……無理だ。1ヶ月に及ぶ不眠不休の激戦。どの騎士団も疲弊しきっておる。馬は潰れ、兵の足は鉛のように重い。今から辺境の街まで全速で駆け、五千の死霊術師を相手にする余力など……我らには無いのだ」

 

「ならば……!」

 

剣の乙女が、黄金の杖を強く握りしめ、国王の前に進み出た。

 

「陛下。……今こそ、勇者様を南方へ転進させるべきです」

 

「な……ッ!? 大司教、何を仰る!」

 

その言葉に、枢機卿が激昂して叫んだ。

 

「ならん! 断じてならんぞ! 今の戦況を見よ。勇者様が深淵守護旅団長を討ち取り、北方軍の司令部を落とすまで、あとほんの一押し、まさにチェックメイトの寸前なのですぞ! ここで奴らを取り逃がせば、数年後には再び軍勢を立て直し、この国に牙を向くのは明白……。今こそ、根を絶やすべき時だ!!」

 

「……ええ。司令部を逃がせば、戦の火種は残るでしょう」

 

剣の乙女は、目隠しの下で静かに枢機卿の方へと顔を向けた。

 

「ですが……もし、あの子が最強のアンデッドとして第四呪詛旅団の傀儡にされれば。その時こそ、王国は……この世界は、本当の終わりを迎えます。聖剣ですら断ち切れぬ『拒絶の死者』を、誰が止めるというのですか?」

 

「…………っ」

 

「その時、世界に『数年後の未来』など存在しません。彼女の放つ無制限の衝撃は、この王都の城壁も、貴方の祈りも、北方の軍勢さえも……すべてを一瞬で塵に還すでしょう……勇者様が司令部を追っている『今』この瞬間も、死神の亡骸は無防備なまま晒されているのですッ!!」

 

剣の乙女は一歩、国王の前へと進み出た。

 

「北方軍司令部の首を獲り、軍事的勝利を飾ること。……あるいは、あの子の安らぎを守り、世界の破滅を未然に防ぐこと。……陛下。貴方はどちらを、至高神の天秤にかけられますか?」

 

国王は目を閉じ、深く、重い決断の沈黙に沈んだ。

北の勝利か。南の安らぎか。

 

「…………宮廷魔導師。勇者一党へ、緊急魔導通信を繋げ」

 

国王が目を開いた時、そこには一国の主としての、全てを背負う覚悟が宿っていた。

 

「司令部攻略の任務を解除する。……勇者よ、今すぐ南へ走れ。……一人の少女の眠りを、全霊を以て死守せよ」

 

王都の命令が、北方の空を翔ける。

神々の遊戯盤の上で、黄金の駒が、歴史上最も「非合理的」で、最も「正しい」逆走を開始しようとしていた。

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