『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
空を覆い尽くさんとしていた死霊の瘴気が、勇者の放つ黄金の聖気によって一瞬で押し戻された。その光景を、黒い馬車の上から見ていた第二死霊連隊長は、杖を落としそうなほどの衝撃に身を震わせた。
「ば、馬鹿なッ!! 勇者だと……!? 貴様は北の最果てで、我が軍の本陣を叩いているはずだろう! 深淵守護旅団長を討ち倒したとしても、こちらへ対応できるまでには、最短でもあと三日はかかる計算だったはずだ!! なぜ、今ここにいる!?」
「……あり得ません!」
隣で観測水晶を抱える受付嬢も、驚愕に声を上げた。
「王都軍の本部からの連絡では、北方の残党を掃討し、こちらへ回れるのは数日後になると……。どうして、こんなに早く……!」
宙に浮かぶ黄金の少女――勇者は、手にした聖剣を低く構え、静かに、けれど毅然とした声を響かせた。
「……皆が、送り出してくれたんだ」
勇者の背後には、同じく北の戦場から駆けつけた剣聖と賢者が、不敵な構えで降り立った。
「国王陛下も、大司教様も、王都の騎士団の人たちも。……『北の勝利を確定させることよりも、いま、南の少女の安らぎを守ることの方が、この国にとって大切なはずだ』って」
「正気の沙汰ではないな……!」
第一死霊連隊長が、理解不能といった様子で絶叫した。
「北方軍司令部の首を獲る絶好の機会を捨ててまで、たった一人の、それも既に死んだ白磁の娘の遺体を守りに来ただと!? 貴様ら、自分たちが何をしているか分かっているのか!」
「全くだ。国王も焼きが回ったか」
中心に鎮座する第四呪詛旅団長が、嘲笑と共に毒を吐く。
「王都を守るために流された、あの数万の騎士たちの犠牲を、ただの感傷のために無駄にしようとは。実に愚か、実に無能よ!!至高神の徒は、揃いも揃って異常者の集まりか!!」
その言葉を、抜刀の風と共に剣聖が切り捨てた。
「――どの口が言う」
剣聖の瞳には、冷たい殺意が宿っている。
「自分の戦友を見捨てて、死体漁りに駆けずり回るハイエナが名誉や犠牲を語るな。汚らわしい」
「……計算高い合理的判断のつもりでしょうが、見下げ果てましたね」
賢者の少女も、フードの奥から氷のような蔑みの視線を向けた。
「他者の尊厳を数値でしか測れない者に、この『光』の意味は理解できない。貴方たちは、自分たちが踏みにじった『心』という名の重力に、これから磨り潰されるだけです」
勇者が一党を振り返り、優しく微笑んだ。
「……あとは、ボクたちに任せて。もう誰も、彼女に触れさせたりしないから」
「……勇者様……っ」
女神官は、友の遺体を抱きしめ、溢れる涙を拭った。
「ありがとうございます……。ありがとうございます……!!」
ゴブリンスレイヤーは、聖剣の輝きをその鉄兜に反射させ、短く答えた。
「……すまん。助かる」
それは、自分一人では決して守りきれなかった「安らぎ」を託す、男の信頼の言葉。
勇者が聖剣を正面に掲げる。
その瞬間、戦場全体の重力が増したかのような圧迫感が、死霊軍を襲った。
「ボクは、聖剣に選ばれた時から決めてるんだ。……神様のダイスの出目じゃなくて、ボク自身の心で、守るべきものを決めるって」
聖剣が眩い白銀の熱を発し始める。
「あの子を……武闘家さんをこれ以上一歩も、あんたたちみたいな不浄に近づかせないッ!!」
不浄なる死の軍勢と、世界最強の三人の英雄。
墓標を背にした最後の防衛戦が、いま、光の奔流と共に爆発した。
「――全大隊! 一歩も退くな、屍兵を突撃させよ!」
第一死霊連隊長が、狂ったように指揮杖を振るう。
「敵はたったの三人!数だ! 数で我らは勝てるのだ! 勇者の光が尽きるまで、死の波を止めさせるなッ!!」
第二死霊連隊長もまた、死霊術師たちの魔力を強引に束ね、戦場にどす黒い瘴気を充満させていった。
数万の骨の兵、腐敗した巨獣、そして宙を舞う怨霊の群れが、黄金の光を食い殺さんと殺到する。
「……あんな大軍。勇者様たち、たった三人で……」
女神官が、友の眠る土を汚されまいと錫杖を握りしめ、不安げに声を漏らした。だが、隣に立つ妖精弓手は、その圧倒的な数の暴力を見下ろしながら、不敵に口角を上げた。
「大丈夫よ、……あれが世界を救うために選ばれた、本物の『光』なんだから」
「左様。あれはもはや軍略の範疇にございませぬな」
蜥蜴僧侶が数珠を鳴らし、驚嘆を込めて眼下の輝きを見つめた。
「不浄の波が、光に触れた瞬間に……まるで夏の雪のように溶けて消えていく。あれこそが神の寵愛を受けた、真の救世の御力」
「……土の精霊たちが、あの子の足取りに合わせて歌っておるわい」
鉱人道士が、地面から伝わる聖なる鳴動を感じ取り、感心したように髭を揺らした。
「……見事なものじゃ。儂らの石礫が必要になる場面など、一秒もなさそうじゃな」
「…………」
ゴブリンスレイヤーは、聖剣の光に照らされる自分の手の汚れを見つめ、それから勇者の背中を見た。彼にとって彼女は、自分には決して到達できない「反対側の極致」に立つ者。だが、いまその力が、かつて救った少女の安らぎを守るために振るわれていることに、静かな安心を覚えていた。
「すごい……」
隣で牛飼娘が、祈るように両手を組み、その光景を瞳に焼き付けていた。その隣に立つ受付嬢もまた、記録用のペンを握るのを忘れ、ただその「正義の具現」を瞳に焼き付けていた。
「あれが、勇者様……。本当にお伽話から抜け出してきたみたい……」
勇者が聖剣を軽く一閃させるたびに、黄金の波が数千の怨霊を光の粒子に変えていく
その背後では、剣聖が目にも留まらぬ速さで術師たちの首を刈り取り、賢者が展開した幾何学模様の陣から放たれる雷鳴が、連隊旗を次々と粉砕していく。
「駄目だ!!止まらない!!」
第二死霊連隊長の悲鳴が響き渡る。
数万の死霊軍が、接触すら許されぬまま、ただ一方的に「消去」されていく。
「……おしまいだよ。死者に鞭打つ、不浄な人たち」
勇者の瞳が、敵の本陣――第四呪詛旅団長が潜む漆黒の馬車を捉えた。
「あんたたちが積み上げたその死体の山……。ボクの光で、全部『安らぎ』に変えてあげる!」
「――怯むなッ! 全大隊、方陣を組め! 勇者の足を止めろッ!!」
第一死霊連隊長が、震える手で指揮刀を振り上げる。
「旅団長、お逃げください! ここは我ら二つの連隊が命に代えても食い止めます!」
「死霊術師の意地を見せろ! 旅団長を守れ!」
第二死霊連隊長が叫び、自らの魔力を振り絞って防護結界を張ろうとした、その時。
「……クハ、クハハハハハッ!!! 素晴らしい! 実に素晴らしいぞ!!これが魔神王を屠り、北方軍を敗走させた白金等級の力か! 観測データなど、この輝きの前ではゴミ同然ではないか! 聖なる魔力が、物理法則を書き換えながら溢れ出している……!」
第四呪詛旅団長が不気味な哄笑を上げた。その瞳には、敗走の恐怖ではなくドロドロとした欲望の炎が宿っていた。
「気に入ったぞ、 司祭の造った『死神』に加え……貴様という『光』も、我がコレクションに加えてやろう! 聖剣を握ったままの貴様の死体をアンデッドとして再起動させた時、私は神をも支配する真の王となれるのだッ!!」
「……え?」
連隊長たちが振り返った瞬間、旅団長が掲げた骨の杖が、どす黒い波動を放つ。
「――術式展開。」
その一言と共に、第四呪詛旅団に所属する五千人の死霊術師たちが、突如として自らの体に異変を感じ、悲鳴を上げ始めた。
「な、なんだ……!? 体が、溶ける……っ!?」
「り、旅団長! これは一体どういうことですか!! 」
第一死霊連隊長が、自らの腕が赤黒い泥のように崩れ落ちるのを見て絶叫した。隣では第二死霊連隊長が、地面に吸い込まれるようにして上半身を失いかけている。
「た、助け……旅団長! 我らは貴方の忠実な――」
「黙れ」
旅団長は、自らの部下たちが「肉」となって自分へと流れ込んでくる光景を、恍惚とした表情で見つめた。
「どうせ貴様らが束になった所で、あの聖剣の光の前では一秒も保たぬ雑兵よ。無駄死にするくらいならば、我が至高の傑作を支える『建材』として役に立て! 光栄に思え、貴様らの魂は、この私が永遠に繋ぎ止めてやる!!」
「「「ぎゃああああああああああああああッ!!!」」」
五千人の悲鳴が重なり合い、一つの巨大な「音」となって丘の麓を震わせる。
崩れ落ちた魔術師たちの肉体、そして彼らが操っていた数万のアンデッド。それら全てが磁石に吸い寄せられるように旅団長の元へと集まり、混ざり合い、脈動しながら巨大な塔のようにそびえ立ち始めた。
「……っ、何てことを」
剣聖が、吐き気を催すようなその光景に顔をしかめた。
「自分の部下たちを……迷いなく生贄にするなんて。貴様、それでも軍人か!」
「……違います。あれは、ただの死霊術ではありません」
賢者の少女が、フードの奥の瞳を鋭く光らせ、魔力の流れを解析する。
「……アンデッドと、死霊術師の肉体が……融合しています。怨念を物理的な質量に変えて、一つの『巨大な個体』を再構築しようとしている!」
グチャリ、ドロリと、肉と骨が混ざり合う嫌な音が響き渡る。
崩れ落ちた旅団員たちの残骸は、巨大な「肉の泥流」となり、旅団長を核にして、天を突くほどの巨像へと膨れ上がっていった。
それは、表面に無数の顔が浮き出し、絶え間なく悲鳴を上げ続ける、悍ましき屍肉の要塞。
「さあ……見せてやろう。これこそが、司祭さえも成し得なかった、死霊術の真髄よッ!!」
要塞の心臓部から響く旅団長の声は、幾重にも重なった死者の呻きとなって丘を震わせた。
一人の少女の安らぎを守るための戦いは、神話の怪物さえ凌駕する、最悪の「不純物」との激突へと突入した。