『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
極北の地、永久凍土の上に築かれた巨大な黒鉄の要塞。
四方世界の北限。一年中、分厚い雪雲が太陽を遮り、凍てつく風が石造りの要塞を叩く地。そこには、只人族の王都が数世紀にわたって警戒し続けてきた「組織化された混沌」――北方軍の本営があった。
黒鉄の甲冑に身を包んだ衛兵たちが一分の乱れもなく直立する軍議室。その重厚な扉が開き、軍の中核を担う四人の師団長たちが上座に座す一人の男に向けて跪いた。
北方軍を統べる男――司令は、窓の外で吹き荒れる雪嵐を見つめたまま、低く、威圧感のある声で口を開いた。
「……先ほど、南方の司祭より報告があった。我らが悲願、王都侵攻の要となる『戦略兵器』。その中核となる『素材』をついに確保したとな」
その一言に、室内の空気が一変した。
「……ようやくですか」
沈黙を破ったのは、第一師団の師団長だった。巨躯を揺らし、不快げに鼻を鳴らす。
「司祭という男、我らの提供した屈強な戦士や魔導師をことごとく『純度が足りぬ』と廃棄してきた。今度こそ、我らの軍資金に見合うだけの代物なのでしょうな?」
「左様。理屈はもう聞き飽きました」
第二師団の師団長が、冷徹な理知の瞳を光らせる。
「兵器に必要なのは、確実な殺傷力と安定性だ。司祭が拘泥する『絶望の質』とやらが、どれほどの魔導出力を叩き出すのか。我ら魔導部隊としても、見極めさせてもらう必要がある」
「司令、その素材とは如何なる英雄です?」
第三師団の師団長が、腰の軍刀を鳴らしながら問いかけた。
「空を統べる我が翼竜旅団と共に、王都の城壁を越えるに相応しい傑作なのでしょうな」
司令はゆっくりと振り向き、卓上に広げられた「辺境の街」の地図の一点を指差した。
「……ゴブリンに壊された、白磁等級の小娘だそうだ」
「「「…………何だと?」」」
師団長たちの間に、驚愕と失笑が混じった沈黙が流れた。
次の瞬間、第一師団長の巨躯が震え、怒声が響く。
「……冗談でしょう。ゴブリン如きに後れを取り、玩具にされただけの落伍者だと? そんな泥にまみれた端材が、我が軍の最終兵器になると仰るのか!」
「同感だ」
第三師団長が不敵な、しかし激しい苛立ちを込めて吐き捨てる。
「司祭もついに狂ったか。そんな端材に、我が師団のワイバーン千騎分の予算を浪費したというなら、今すぐあの拠点を焼き払わねばならん。兵弄にも程がある!」
その喧騒の中、唯一沈黙を守っていた第四師団長が、影の中から低く呟いた。
「……成る程。ようやく見つけ出しましたか。奴が以前から構想していた、混沌側の『剣の乙女』を作り出すための依代を」
師団長たちの視線が、第四師団長へと集まる。司令は静かに頷いた。
「左様。奴は十年前の戦いで、あの大司教に最初の試作品を浄化されて以来、病的なまでに対抗心を燃やし続けてきたからな。恐怖を光で覆い隠したのが聖女なら、恐怖を力に変えて全てを拒絶するのが死神……。司祭は、あの大司教と同じ傷を持つ少女を『完成』させることで、王都の信仰そのものを粉砕するつもりなのだ」
「……ですが司令、あの大司教は例外中の例外だ」
第二師団長が、冷徹な理知の瞳を細めて異議を唱えた。
「ゴブリンに壊された女冒険者など掃いて捨てるほどいる。その大半は、そのまま再起不能の廃人として朽ち果てるのが関の山です。白磁等級の小娘一人が、そう上手く大司教の対極たり得る『怪物』に仕上がるものですか?」
「……武術の才は、白磁にしてはかなりのものだった。だが、司祭があの娘を選んだのは、技量ゆえではない。それ以上に、稀に見るほどの高潔な献身を持っていたからだ」
司令の声は、凍てつく風のように冷たく、けれど確信に満ちていた。
「想い人の剣士が目の前で八つ裂きにされ、自らも小鬼に組み伏せられ、蹂躙されるまさにその瞬間にすら……。彼女は出会ったばかりの仲間の少女を逃がすために、自らを盾にし、『逃げろ』と叫び続けていたのだよ」
「…………」
将帥たちの間に、不気味な沈黙が流れた。
軍人である彼らにとって、それは理解しがたい、けれど無視できないほどの「魂の強度」の証明だった。
「……成る程。正義感が強ければ強いほど、それが裏切られた時……世界への拒絶はより深く、激しくなる、ということですか」
影の中から、第四師団長が沈んだ声で言った。
「光が強ければ、影もまた濃い。彼女が信じていた『人を守るための武』が、世界に絶望した瞬間に『全てを拒む衝撃』へと反転する……。司祭は、その莫大なエネルギーの落差を狙っているわけだ」
「相変わらず趣味の悪い男だ」
第三師団長が、自慢の鞭を叩きつけ、吐き捨てるように言った。
「一人の少女を地獄に漬け込み、その悲鳴を研いで刃にするか。混沌の教徒らしい、反吐が出るほどの執念だな」
「その理屈が、戦場でどこまで通用するかだ」
第一師団長が、岩のような拳を握りしめる。
「どれほど高潔だろうと、折れた心で勇者の剣を止められなければ、軍資金の無駄遣いに過ぎん」
「……構わん。司祭にはそのまま、再構築の調整に入らせろ」
司令は立ち上がり、南の空、教団の拠点がある方角を冷酷に見据えた。
「死神が完成するか、あるいはただの肉塊として自壊するか。……司祭に伝えろ。もし期待外れの結果に終われば、その不手際は奴自身の首で支払わせる、とな」
北方の要塞に、司令の冷酷な宣言が響き渡った。
一人の少女の悲鳴が、一国の滅亡を司る「戦略兵器」へと書き換えられていく。
神々の遊戯盤の上で、最も不吉な駒が、静かにその位置を定めた瞬間であった。