『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
邪教団の拠点から数里離れた、荒れ果てた旧街道。そこを見下ろす断崖の上に、司祭と教団の幹部たちが陣取っていた。眼下の街道では、黒いフードを深く被った少女が、一人で立ち尽くしている。
「……死神の初陣の相手は、あの連中ですか」
教団幹部が、遠眼鏡を覗きながら声を潜めた。その視線の先には、街道を塞ぐようにたむろする数十人の武装集団――『鉄鴉盗賊団』の姿があった。
「廃砦を拠点に、近隣の街道や町を十年に渡り恐怖に陥れた、約四十人の悪名高い盗賊団。熟練の冒険者や騎士団の討伐隊も幾度となく切り抜けてきた連中です。……本来なら、白磁上がりの小娘が手に負える相手ではありませんな」
幹部の言葉には、実力者への正当な評価と、実験体への疑念が混じっていた。しかし、傍らで水晶球を弄ぶ司祭は、喉を鳴らして不気味に笑うだけだった。
「ククク……。だからこそ、最高の『試験紙』なのだよ。不浄を定義し、排除する……その初動を見せてもらおうか」
――街道。
「……チッ。何だ、貴族の馬車が通るってのはガセかよ」
盗賊団の首領が、地面に唾を吐き捨てた。待ち伏せしていた獲物の代わりに現れたのは、ボロボロの服を纏った女が一人。
「……期待させやがって。だが、まあいい。服はボロだが、中々いい女ですぜ、お頭。王都の奴隷商に売る前に、俺たちでたっぷり可愛がってやりましょうや」
下卑た笑みを浮かべた団員たちが、獲物を取り囲むように距離を詰める。彼らの瞳に宿るのは、一方的な暴力への渇望と、女の尊厳を泥に塗ろうとする「劣情」。
女武闘家は、鉄兜を被る前の剥き出しの瞳で彼らを見つめていた。
彼女の脳内で、曼荼羅の模様が激しく回転を始める。
彼らが発するドロドロとした欲望の臭い。それは、彼女の記憶の底にある「あの洞窟」の悪臭と完全に一致した。
(……汚い。……ああ、まただ。また、あの目が私を見てる……)
彼女の視界の中で、人間の男たちの貌が歪む。
卑しい笑い声が、キィキィという小鬼の鳴き声へと上書きされていく。
「…………ゴブリン、見つけた」
「あぁ? 何言ってやがる、この――」
首領が手を伸ばそうとした、その瞬間。
――――――――ドォォォォォォォォォォォンッ!!!
空気が爆発した。
女武闘家が右掌を無造作に薙いだだけで、扇状に広がった不可視の衝撃が、最前列の五人を石壁に叩きつけられたトマトのように粉砕した。
「な、何だ!? 魔法か!?」
「逃がさない……。ゴブリンは、一匹残らず……!」
彼女がさらに一歩踏み出し、掌を虚空に向けるたびに、物理法則を無視した『拒絶』が炸裂する。
斬りかかろうとした剣は根元から折れ、放たれた矢は逆流して射手の眼窩を貫く。
逃げ惑う四十人の盗賊たちは、自分が何に殺されているのかも理解できぬまま、一分と経たぬうちに全員が原型を留めぬ肉の礫へと変えられた。
静寂が戻った街道。
女武闘家は、返り血一つ浴びていない無垢な掌を見つめ、感情の消えた瞳で独り言ちた。
「……掃除、完了」
断崖の上で、それを見ていた教団幹部は戦慄し、司祭は狂喜に肩を震わせた。
「よくやったね。十年間、この街道の病根であった毒虫共が、君の掌によって一掃されたよ」
司祭は、崖の上から降りてくると、恍惚とした表情で女武闘家の背中に歩み寄った。
「これでもう、この周辺の町の人々も、怯えることなく夜を越せる。……君は今日、多くの人々を救った『聖女』なのだよ」
司祭が満足げに頷き、その醜悪な笑みを彼女へと向ける。
女武闘家は、司祭の言葉を一つ一つ、乾いた砂が水を吸うように心に染み込ませていった。
(……司祭様は、褒めてくれた。……私の拳は、間違っていなかったんだ。……お父さんの教え通り、私は……私の拳で、たくさんの人を救えたんだ……)
彼女の中に残る、かつての「冒険者」としての記憶が、その歪んだ評価を必死に肯定しようとする。
だが、その安堵を切り裂くように、脳髄の奥底で曼荼羅が不快な鳴動を上げた。
『――笑わせるな。虫唾が走るわ』
「……っ!? また、貴方ね……」
脳内に響く【不浄の指針】の声。それは、先ほどまでの司祭の甘い言葉を、根底から切り裂くような冷徹な響きだった。
『聖女だと? 救世主だと? ……依代よ、お前はどこまでおめでたいのだ。その男の言葉に耳を貸すな。それは、お前を「便利な刃」として研ぎ続けるための、ただの潤滑油に過ぎん』
「やめて……。司祭様は、私を助けてくれたの。居場所をくれたのよ」
『居場所? クク……よく見てみろ。不浄を視るための我らの「眼」で、その男の魂を。……そして、今しがたお前が塵に変えた、あの盗賊どもの残骸をな』
曼荼羅が高速で回転し、彼女の視界を強制的に「看破」の状態へと引き上げる。
司祭の背後から立ち昇る、不気味に揺らめく黒い「色」。それは、対象を自分の所有物として弄び、自らの私怨のために使い潰そうとする、歪んだ執着の色。
『……気付かないか? 奴の魂の「色」は、さっきお前が殺した盗賊共が、女を組み伏せようとした時の色と……全く同じ色をしているぞ。どちらも等しく、他者を己の欲を満たすための「肉」としか見ていない不浄だ』
「…………ッ!!」
彼女の呼吸が止まる。指針が示す「真実」によれば、目の前で優しく自分を労わってくれるこの男もまた、掃除すべき「ゴブリン」の同類だという。
「どうしたのかね? 疲れが出たかな」
心配そうに顔を覗き込む司祭。だが、その瞳の奥には、彼女という「素材」の耐久値を推し量るような、冷たい計算の光が宿っていた。
女武闘家は、司祭の手から逃げるように僅かに身を引いた。
『そうだ、それでいい。信じられるのは、お前自身の「拒絶」だけだ。……さあ、次の檻へ向かおう。この男が用意する全ての「不浄」を食らい尽くし、最後にはこの飼い主ごと掃除してやるのだ』
指針の囁きが、彼女の心に消えない不信の種を植え付けた。
司祭が説く偽りの「聖女」への道。
指針が誘う真実の「死神」への道。
一人の少女の魂は、二つの巨悪の狭間で、より深く、より救いのない絶望へと研ぎ澄まされていった。