『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
冷たい石造りの円形広場に、一人の男が悠然と立っていた。漆黒の軽装鎧を纏い、腰には業物と思わしき長剣。混沌陣営でその名を知られた闇人の傭兵である。
「……ふん。魔神王が勇者に倒されたせいで、俺たちのような傭兵稼業もあがったりだと思っていたがな。まさか、こんな白磁上がりの小娘の遊び相手をさせられるとは……教団も、よほど金が余っていると見える」
闇人は自嘲気味に吐き捨て、ゆっくりと剣を引き抜いた。
その瞬間、空気が変わった。
男がただ剣を構えただけで、闘技場の中心に鋭利な「死の間合い」が形成される。
(……強い。構えに隙がない。相当に練り上げられた剣技だわ)
彼女は、父から教わった武道の知見を総動員して相手を測る。あの男の剣の間合いに踏み込めば、一瞬で首を撥ねられる。今の彼女にとって、直接的な身体の接触――「肉弾戦」は、精神が拒絶する禁忌であった。
(……無駄に近づく必要はない。剣の間合いの外から、この『拒絶掌』で確実に仕留める。……触れさせない。近づけさせない。それが私の戦い方だから)
彼女の右掌に、周囲の空気を歪ませるほどの高密度な衝撃が収束していく。
闇人は、彼女が放とうとしている「不可視の打撃」の正体を知りながら、あえて剣を抜くことさえせず、挑発的に一歩踏み出した。
「来るがいい小娘。その掌に込めた理不尽を、俺に見せてみろ」
不浄の指針が、男の纏う「余裕という名の傲慢」を捉え、最大出力へと跳ね上がる。
女武闘家が放った渾身の『拒絶掌』。空間をねじ切るような衝撃が闇人の傭兵を捉える――はずだった。しかし、その衝撃波は彼の数センチ手前で、まるで水面に投げられた石が跳ねるように不自然な軌道を描き、虚しく背後の石壁を砕いた。
「…………なっ!?」
彼女は目を見開く。もう一度放つが、結果は同じだった。放たれた衝撃は、意志を持っているかのように男を避けていく。
「無駄だ。この『矢避けの加護』の前では、お前の放つ飛来する打撃など届きはしない」
闇人は一歩、また一歩と、抜き放った漆黒の剣を提げて近づいてくる。
――観覧席。
「……閣下、やはり相性が悪すぎますな」
教団幹部が、苦々しく戦況を分析する。
「彼女の『拒絶掌』が、大気を伝わり標的へ飛ぶ『衝撃の弾丸』である限り、神の理である加護を突き破ることは不可能です。ゴブリンへの接触恐怖から肉弾戦を捨て、遠距離攻撃に特化したことが、ここでは裏目に出た。……これは、文字通りの詰みです」
幹部の言葉は冷徹な事実だった。近づけば斬られ、離れれば当たらない。武闘家でありながら「触れる」ことを禁じられた彼女にとって、この闇人は最悪の天敵といえた。
しかし、その隣で司祭は、狂気すら感じさせる静かな愉悦を瞳に宿していた。
「ククク……。相性? 詰み? 凡夫の物差しで測るなと言ったはずだ。これは彼女が『冒険者』という皮を脱ぎ捨て、真の神へと至るための脱皮なのだよ」
司祭は、闘技場で絶望の淵に立ち、震える右掌を見つめる少女を愛おしそうに見下ろした。
「彼女はいま、己の限界に直面している。そして、その限界を作っているのは、神の加護ではなく『彼女自身の認識』なのだ。衝撃を『飛ばしている』と思っている限り、それは矢と同じカテゴリーに留まる」
司祭の指先が、空中で円を描く。
「見ていたまえ。彼女が己の力を『武器』ではなく、不浄を排除するための絶対的な『概念』だと悟ったとき……奇跡も、理も、すべては不純物として消え去るだろう。……さあ、目覚めるがいい。理不尽を、理不尽で塗り潰すのだ」
――闘技場。
(……逸らされた。私の衝撃が、届かない……)
初めて自分の「拒絶」が真っ向から否定された。
動揺が走り、足元がわずかに揺らぐ。だが、その意識の深淵で、瞳の曼荼羅――【不浄の指針】が冷徹な声を響かせた。
『――依代よ。何を戸惑う。あの小鬼殺しが、かつて同様の加護を持つ不浄をどう仕留めたか、忘れたか?』
「……え?」
指針が見せるのは、辺境街の収穫祭の夜。矢避けの加護を纏った闇人(ダークエルフ)に対し、小鬼殺しが短剣を投げつけた瞬間の記録。
脳髄に直接流し込まれる指針の知恵。
『奴は言った。「矢避けと言うならばこれは短剣という扱いだ」とな。……理屈ではない。対象をどう定義し、どう世界に押し付けるかだ。お前が放つそれは、果たして「飛び道具」なのか?』
「定義……」
闇人が距離を詰め、剣を振り下ろす。
「終わりだ! その貧弱な掌と一緒に、真っ二つになれッ!」
女武闘家は、真っ直ぐに闇人の瞳を見据えた。
彼女の掌に集束するのは、もはや単なる物理的なエネルギーではない。それは、自分の領域に踏み込もうとする「不浄」を、存在そのものから否定しようとする純粋な「拒絶の意志」。
「……いいえ。これは飛ばす打撃なんかじゃない」
彼女が静かに、闇人の心臓に向けて掌を突き出した。
「これは、私が貴方を『嫌だ』と願う心そのもの。……拒絶は、矢ではないわ」
――ドォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
空気が鳴動した。
闇人の「矢避けの加護」は、沈黙した。
加護の術式は、飛来する物理質量を避けるように設計されていた。だが、彼女が放ったのは、空間そのものが対象を「そこに在ってはならないもの」として排斥する概念の衝撃。
「な……ッ、加護が……効か……な……!?」
絶対の防御を誇っていた闇人の身体が、内側から押し潰されるようにひしゃげ、後方の岩壁へとめり込んだ。加護の術式は、持ち主を守ることもできず、ガラスのように砕け散る。
「…………」
女武闘家は、冷たくなった自らの掌を見つめた。
小鬼殺しの戦術を、混沌の術式で極限まで歪めて再現した一撃
司祭は、闘技場の中央で立ち尽くす女武闘家へと呼びかけた。
「よくやった、私の死神よ。君は今、冒険者という矮小な枠組みを捨て、真の断罪者へと至る階段を一段飛ばしで駆け上がった。」
「……ありがとうございます、司祭様」
女武闘家は膝をつき、恭しく頭を垂れた。その声には以前よりもさらに感情の起伏がなくなり、ただ冷たい使命感だけが宿っている。
「ククク……。では、四番目の試練を与えよう。……次は『魔』だ。理屈をこねくり回す魔導の末裔が、いかに無力であるかを証明したまえ」