『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
辺境の街、冒険者ギルド。
朝の陽光が差し込む喧騒の中、冒険者たちの視線は一点に注がれていた。壁に貼り出された、北の混沌の軍勢との大戦の最新報告だ。
「……ほう、北方戦線の最新戦況報告か」
重戦士が腕を組み、羊皮紙を睨みつける。隣に立つ女騎士が、重厚な甲冑を鳴らしながら深く頷いた。
「一時は王都陥落寸前にまで陥ったが、勇者一党の戦線到着で流れがガラリと変わったようだな。流石は白金等級、といったところか」
「このまま押し返して、一気に混沌の軍勢を追い払えるといいんだけどな!」
興奮気味に声を上げたのは、少年斥候だ。その楽観的な言葉を、相方の少女巫術師が冷静にたしなめる。
「甘いですよ。報告によれば、北の軍にはまだ十分な余力があります。勇者様がどれだけ強くても、戦いはまだ長期化するでしょうね……」
そんな世界の命運を左右するニュースを余所に、掲示板の隅、いつもと同じ場所に陣取る一団があった。
「……信じられない。今日もこれだけ?」
掲示板を凝視していた妖精弓手(ハイエルフ)が、耳をぴくつかせながら不満げに声を上げた。彼女の指がさす先には、数枚の依頼書が力なく揺れている。その大半は、ドブさらいや荷運びといった雑用ばかりだ。
「最近やけにゴブリン退治の依頼が減ったわね。この一週間、まともな群れの話を聞かないわよ」
「被害が少なくなるのは、良いことじゃないですか」
隣で女神官が苦笑しながら、聖印を指先でなぞる。しかし、彼女の表情にもどこか不安の色が混じっていた。
「いや、不自然だ」
鉄兜の奥から、低く、湿った声が響く。ゴブリンスレイヤーは、掲示板の隅から隅までを検分するように見つめていた。
「ゴブリンは増える。奴らが自ら姿を消すことはない。巣が一つ潰れれば、生き残りが別の場所へ移る。それが全くないというのは、おかしい」
「ふむ、確かに。小鬼共が反省して山に引きこもるわけもなし。わしらの知らないところで、別の銀等級が荒稼ぎでもしておるのかのう?」
鉱人道士(ドワーフ)が酒袋を揺らしながら髭をひねる。蜥蜴僧侶(リザードマン)も、長く重厚な尾を床に叩きつけ、深く頷いた。
「拙僧も同感にございます。生態系のバランスが崩れたような……妙な静けさを感じますな。まるで、巨大な捕食者が辺りを一掃したかのような気配を感じます」
蜥蜴僧侶が数珠を鳴らし、低く唸る。
「山に小鬼がおらんのは、嵐の前の静けさというやつじゃ。何かが起きる前触れかもしれんぞ。酒の味が落ちるわい」
鉱人道士が酒袋を揺らしながら、白い髭をひねった。
その時、近くのテーブルで話し込んでいた若い冒険者たちの会話が、女神官の耳に飛び込んできた。
「……おい、聞いたか? 第3街区でまた殺人があったんだとよ」
新米戦士が顔を寄せ、声を潜めて語る。
「ええ、聞いたわ。今週でもう3人目じゃない。しかも、殺され方が普通じゃないって……」
見習い聖女が、恐怖を堪えるように自らの肩を抱いた。
(殺人……? この街で、一週間に3人も……?)
ギルド内に漂う重苦しい空気。掲示板に残された数少ない依頼書が、隙間風に揺れて乾いた音を立てる。
「北の戦争に、街での殺人事件……。ゴブリンがいなくなったからって、平和になったわけじゃないんですよね」
女神官がポツリと漏らした言葉に、仲間たちが静かに応じた。
「左様。小鬼(ゴブリン)の濁った気配が消え、代わりに『虚無』が街を包み込んでいるようにございますな。これは安寧ではなく、死の静寂にございます」
蜥蜴僧侶が数珠を強く握りしめ、冷たい空気を吸い込む。
「土の精霊も怯えておるわい。奴らが逃げ出したのではない。何かに『存在ごと食いつぶされた』ような嫌な静けさじゃ。かみきり丸、お主も感じておるんじゃろう?」
鉱人道士がゴブリンスレイヤーの鉄兜を覗き込むが、男は沈黙したまま、ただ無機質な覗き窓の奥で思考を巡らせていた。
「――もう! そんな辛気臭い話はやめなさいよ!」
耐えかねたように妖精弓手が声を張り上げ、ゴブリンスレイヤーの肩を小突いた。
「いい機会じゃない。ゴブリンがいなくなったんなら、前から誘ってた遺跡探索に付き合いなさいよ、オルクボルグ! たまには本物の『冒険』をさせてよね!」
「…………」
「無視すんな! ……あ、受付嬢、そっちも暇なんでしょ? この小鬼殺しに、もう仕事がないって引導を渡してやって!」
呼ばれた受付嬢は、カウンターの奥から沈痛な面持ちで歩み寄ってきた。その手には、しわくちゃになった一枚の依頼書が握られている。
「……ゴブリンスレイヤーさん。これが、最後の一つの依頼です」
彼女の声は微かに震えていた。
「現在、ギルドに報告されているこの街周辺での小鬼の目撃情報は、もうこれしかありません。場所は街北西にある村付近の洞窟。周辺の巣穴がことごとく『無人』になっている中、ここだけが残されています」
「…………」
ゴブリンスレイヤーは、受付嬢から依頼書をひったくるように受け取った。
「オルクボルグ……まさか行くつもり?」
妖精弓手の呆れ顔を余所に、ゴブリンスレイヤーは踵(きびす)を返し、出口へと歩き出す。
「……行くぞ。何が起きているか、この目で確かめる」
その背中には、いつもの執念とは異なる、底冷えするような警戒心が張り付いていた。