『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第27話:第四次戦闘試験―深淵の邪眼―

重厚な鉄格子の向こうから、不気味な浮遊音と共に、無数の触手と巨大な単眼を持つ異形が姿を現した。深淵の監視者――ビホルダー。 その中央にある巨大な眼球が、闘技場の冷たい空気を舐めるように走査する。

 

観覧席の最上段、魔法障壁に守られた特別席で、教団幹部がその魔物を見下ろして呟いた。

 

「――水の街の事件で、転移の鏡を守っていた魔物ですな。本来なら、単騎で挑むなど自殺行為。あの小鬼殺しの一党も、仲間との連携……そして、粉塵爆発などという小細工を弄して、ようやく仕留めたと聞いております」

 

幹部の言葉には、かつて銀等級の冒険者たちが知恵を絞ってようやく勝利した「難敵」に対する正当な警戒が含まれていた。

更に幹部は、遮蔽物が何一つない平坦な石畳の闘技場を指差した。

 

「場所も最悪です。この遮蔽物のない開けた闘技場では、ビホルダーの放つ『解呪』の邪眼から逃れる術はない」

 

しかし、隣に座る司祭は、細い指で自身の顎をなぞり、吐き捨てるように笑った。

 

「ククク……。小細工、連携、工夫……。そんなものは、弱者が死を先延ばしにするための『あがき』に過ぎんよ。そんなものは、真の『力』ではない」

 

司祭の眼光が、闘技場の中央で独り、感情の消え失せた瞳で立ち尽くす少女へと向けられる。

 

「いいか。……本当の『力』とは、工夫の余地すら与えぬ理不尽そのものだ。知恵を絞って倒すべき強敵を、ただ『不快だ』という感情一つで消し去る。……それが、私の死神の在り方なのだよ」

 

――闘技場。

 

ビホルダーが中央の巨大な眼を見開いた。

瞬間、闘技場全体に『解呪の邪眼』の波動が広がる。精霊の囁きは途絶え、空中に編まれていた術式の残滓が、ガラスが砕けるような音を立てて霧散していく。

 

(……魔術が、消えた……)

 

女武闘家は、肌を刺すような魔力の消失を感じていた。

本来ならば、呪文を唱える術師も、魔導武具を操る戦士も、この「理の否定」の前では無力な肉塊と化すはずだった。

 

だが。

 

『――ククク。無駄なことを』

 

脳内の深淵で【不浄の指針】が狂おしく笑った。

 

『魔術? 法術? 神の奇跡? 依代よ、そんな借り物の力など我らには不要。我らの衝撃は、お前自身の「嫌悪」という名の魂の質量だ。言葉に依らず、神に頼らぬ純粋な拒絶を、あやつは「無効化」などできはせぬ』

 

「…………」

 

女武闘家は一歩、踏み出した。

邪眼から放たれる「解呪の光」を、ただの汚れた風のように浴びながら。

 

彼女の瞳の中で、曼荼羅が逆回転を始める。

彼女にとって、目の前の怪物が放つ「視線」は、あの洞窟で自分を値踏みし、組み伏せようとしたゴブリンたちの下卑た目線と、全く同じ色をしていた。

 

「…………私の前で」

 

彼女が静かに掌を掲げる。

空気の震えが止まり、ビホルダーの巨大な単眼が、驚愕に大きく見開かれた。

全ての理を封じているはずの自分の視線の中で、少女の放つ「存在」が、いささかも削られることなく膨張し続けていたからだ。

 

「…………目を開けないで」

 

死神の宣告が、闘技場の静寂を切り裂いた。

 

「馬鹿な……『解呪』の邪眼が効かぬとは。術式を介さぬ、純粋な意志の衝撃だというのか……!」

 

観覧席でモニターを凝視する教団幹部が、驚愕に声を震わせた。ビホルダーの放つ「魔導を殺す視線」を正面から受けながら、女武闘家は一歩も退かず、その存在感を増し続けている。

 

「……しかし、奴にはまだ『分解』の邪眼があります。魔力中和が効かぬなら、物理的に蒸発させるまで。これまでの近接型の標的とは違い、ビホルダーには多方向からの同時射撃が可能……手数も、殺傷力も、これまでの比ではありませんぞ!」

 

幹部の言葉に応じるように、ビホルダーの周囲で蠢く無数の触手――その先に宿る小眼が一斉に輝きを放った。

 

――シュパパパパパッ!!!

 

空間を断ち切る無数の熱線。

触れたものを分子レベルで焼き切る「分解」の光が、網の目のように女武闘家を包囲し、一斉に収束する。逃げ場のない、光の檻。

 

だが、彼女は瞬き一つしなかった。

彼女の瞳の中で、曼荼羅が不気味に、そして鋭利に回転する。

 

『――不快だな』

 

脳内に響く【不浄の指針】の声は、もはや怒りを超え、絶対的な冷徹さを帯びていた。

 

『見つめる目。舐めるような視線。お前の内側までを覗き込もうとするその醜悪な邪眼……。依代よ、許すな。お前を「観察」しようとするその傲慢さこそが、最大の不浄。ゴブリン共がお前を値踏みした、あの汚らわしい目線そのものだ』

 

「…………消えて」

 

彼女が両腕を水平に広げ、魔力を一切介さぬ「拒絶」を解放した。

 

――――――――ドォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

衝突音ですらない。

放たれた数十本の熱線は、彼女の肌に触れる数センチ手前で、まるで目に見えない巨大な壁に衝突したかのように一瞬で「霧散」した。エネルギーの奔流さえも、彼女の『嫌悪』という概念の前に、存在意義を失ったのだ。

 

「なっ……熱線さえも弾き飛ばしただと!?」

 

驚愕に震えるビホルダーの中央眼が、次なる呪詛を紡ごうと激しく明滅する。

だが、女武闘家はすでにその懐――絶対的な死の領域へと踏み込んでいた。

 

「見ないで……」

 

彼女の胸の奥で、氷のような拒絶が爆発した。

あの日、暗闇の中で自分を執拗に眺め回した、あの無数の濁った瞳。

それらが今、目の前の魔物の視線と完全に重なった。

 

「……見ないでって、言ってるのッ!!!」

 

――――――――ドドドドドドドドォォォォンッ!!!

 

衝撃波が、至近距離からビホルダーの脳天を直撃した。

魔導を無効化するはずの邪眼も、強靭な肉体も、一切の抵抗を許されず、内側から風船のように弾け飛んだ。

触手は千切れ、巨躯は石畳に叩きつけられる衝撃で塵となり、闘技場に不気味な静寂が戻る。

 

「…………、ふぅ……」

 

女武闘家は、返り血一つ浴びていない自らの拳を見つめた。

あの日、小鬼殺したちが命を懸けて、知恵を絞って、ようやく倒したはずの怪物を。

彼女は今、知恵も、連携も、道具も必要とせず、ただ「不快だ」という一言でこの世から消し去った。

 

「素晴らしい……。これぞ『真実』だ」

 

観覧席で司祭が、狂ったような拍手を送る。

 

「小鬼殺しよ。……お前の泥臭い勝利など、私の死神が放つ一振りの拒絶の前では、単なる道化の遊びに過ぎない。知恵も、連携も、工夫も……。私の死神の前では、ただの『不純物』に過ぎん。……見たかね、これが世界の理を上書きする、真実の絶望だ」

 

第四段階、終了。

一人の少女は、知恵を絞って戦う「冒険者」であることを完全にやめ、理不尽を撒き散らす「神の代行者」へと昇華した。

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