『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第29話:第五次戦闘試験―不可視の冥王―(前編)

女武闘家が司祭に拾われる五年前

邪教団の地下監獄。魔法封印の鎖が重く響く暗がりに、かつて「第四師団の至宝」と謳われた男が繋がれていた。鉄格子の向こう側から、司祭の静かな、けれど底冷えするような声が届く。

 

「……やあ、冥王。軍法会議での死刑判決が確定したようだね。驚いたよ。これまで私情を挟まず、冷徹に任務を遂行してきた君が……何故、このような無益な真似をしたのかね? 軍の機密を盗み、あまつさえ我らが聖業を妨害しようなどと」

 

司祭は楽しげに、拘束された冥王の瞳を覗き込んだ。冥王は、肉体を苛む呪いの痛みに耐えながら、低く、呪うような声を絞り出した。

 

「……貴様らの、ふざけた計画は……。死神を産み落とそうなどというその妄執は……。いずれあの二十年前の『災厄』を上回る悲劇を、この四方世界に引き起こすことになる」

 

「悲劇かね? 私は『救済』と呼んでいるがね」

 

「笑わせるな……! 絶望を衝撃に変え、不浄を掃除する装置だと? 貴様が造ろうとしているのは兵器ですらない。……世界そのものに対する、末期の『毒』だ。一度解き放たれれば、光も闇も、我らも貴様も……すべてが飲み込まれて消えるぞ」

 

冥王の脳裏には、二十年前、自分が訓練生だった頃に見たあの「災厄」の地獄が焼き付いていた。物理的な破壊ならまだいい。だが、司祭が目指しているのは「存在そのものの否定」。それは、この世のルールを根底から壊す禁忌だった。

 

「……だからこそ、君が必要なのだよ、冥王。死刑台に送るには、君の『無』の技はあまりに惜しい」

 

司祭は懐から、禍々しく脈動する混沌の術式の核を取り出した。

 

「君がその身を捧げ、最初の礎となれ。君のその『気配を消す技術』を、混沌の術式で概念にまで高めてあげよう。……君は世界から消え、完璧な『透明な死』へと至るのだ。……君が最も恐れる『死神』が完成するまでの、最高の障害としてね」

 

「……きさま……っ……」

 

「安心したまえ。君が失敗作になっても、第二、第三の検体が君の屍を超えていくだけだ。……君の言う通り、世界が滅びるほどの絶望を、私が丹精込めて育ててあげよう」

 

五年前の忌まわしい記憶が、司祭の脳裏で甘い毒のように溶けて消える。

現在の地下調整室。女武闘家は、先ほどまで闘技場の上層で北方軍の将帥たちと密談を交わしていた司祭の背中に、感情の起伏の乏しい声を投げかけた。

 

「……司祭様。先ほど、北の軍の偉い人たちと話をされていましたね。……一体、何の話だったのでしょうか」

 

司祭は振り返らず、魔法の触媒が並ぶ棚を整理しながら、事もなげに答えた。

 

「何、ただの『納品』の打ち合わせだよ。彼らは君を待っているのだよ。王都を、そして至高神の欺瞞を粉砕する真の『死神』の誕生をね。……だが、それにはまだ君の『指針』の精度が足りない」

 

司祭は指を鳴らし、闘技場へと続く重厚な鉄の扉を指し示した。

 

「これから君が対峙するのは、以前話した……再構築の施術を乗り越えた『五人』のうちの一人だ」

 

「……五人。私以外に、他にも……」

 

「そうだ。私の術式に耐え、異能を定着させた選ばれし者たち。だが、君ほど完璧ではなかった。……彼らは特定の分野においてのみ『極致』に達した失敗作。いわば、君が完成するための踏み台だよ」

 

司祭の言葉と共に、闘技場から「音」が消えた。

風の鳴る音も、地下水の滴る音も、自分の呼吸音さえも。

 

「五人の先駆者の一人。……かつて北方軍で最強の暗殺者と呼ばれ、私の手で『存在の消失』へと作り変えられた男。試作第二号――【不可視の冥王】だ」

 

「…………」

 

「姿も見えず、音もせず、殺気すらも無い。……この『無』を捉え、拒絶してみせろ。さもなくば、君の心臓は彼に触れられた瞬間に止まるだろう」

 

女武闘家はゆっくりと立ち上がり、静寂が支配する闘技場へと足を踏み入れた。

そこには異様なまでの「静寂」が訪れた。風の音も、水の滴る音も、自分の心音さえも遠くに感じるほどの不自然な空白。

 

闘技場の中央で立ち尽くす女武闘家の脳裏に、網膜を焼くような強烈な紋様の明滅と共に、あの重なり合う禍々しい声が響いた。

 

『――気を引き締めろ、依代よ。今度の不浄は、これまでの雑魚とは訳が違うぞ』

 

【不浄の指針】の声には、これまでになかった鋭い「警戒」が混じっていた。

 

「……わかっているわ。何も見えない。聞こえない……何もいないのに、そこに『穴』が開いているみたい。気持ち悪いほどの、冷たい虚無が……」

 

『然り。奴はお前の視覚にも、聴覚にも、嗅覚にも映らぬ。……だが、奴が「殺そう」と決めた瞬間、その心臓の奥底には、決して隠し通せぬ「汚れ」が産まれる。……それだけが、奴を捉える唯一の道標だ』

 

不浄の指針が、彼女の脳内に赤い火花を散らす。

彼女の視界の中で、何もないはずの空間の一角が、ドロリとした黒い煤のような色に染まり始めた。

 

「……あそこね」

 

『来るぞ。触れられれば、その瞬間に心臓を止められる。……一度でも後ろを取られれば、お前の冒険はそこで終わりだ』

 

「二度と……後ろなんて取らせない!!」

 

彼女は掌を、その「空白の座標」へと向けた。

神々の遊戯盤の上で、最も捉えがたい暗殺者の「無」と、全てを拒絶する少女の「衝撃」が、音もなく激突しようとしていた。

 

 

 

 

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