『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第36話:北方の落日(後編)

空は昏い紫に染まり、大地は絶え間ない地鳴りに震えていた。

北方軍の主要拠点が次々と灰塵に帰す中、生き残った魔導師たちと、血に濡れた巨兵たちが、滅びの淵で最期の「足掻き」を見せようとしていた。

 

「――術式接続! 精神を同調させろ! 一人たりとも欠けることは許さんッ!!」

 

当時の第二師団長が、鼻から血を流しながら叫んだ。

彼の周囲には、数百人の魔導師たちが円陣を組み、自らの生命力を直接魔力へと変換する禁忌の儀式を行っていた。彼らの瞳は白濁し、詠唱を続ける口からは絶え間なく血が溢れ出している。

 

「邪竜の因果は強大すぎる……! 普通の封印では弾かれるぞ! 我らの魂を触媒にしろ! 『永劫氷界』、起動まであと五分!!」

 

これは魔術ではなく、心中だった。

一人、また一人と魔力枯渇で倒れ、灰となって崩れていく魔導師たち。彼らが繋ぎ止めているのは、空中に浮かび上がる巨大な、幾何学模様の「鎖」であった。

 

――最前線

その儀式の時間を稼ぐため、ただ独り、山のような邪竜の前に立ちはだかる男がいた。

当時の第一師団第一旅団長。若き日の現北方軍司令である。

 

彼の背後にいたはずの八千の巨兵たちは、今や雪原を汚す肉塊と化していた。彼の手にある魔鋼の戦斧も半ばから折れ、自慢の装甲は邪竜の放つ毒気に当てられてボロボロと剥がれ落ちている。

 

「……ハァ、ハァ……。来い、神話の化け物め……」

 

旅団長は、口内の血を吐き捨て、折れた斧を構え直した。

邪竜がその四つの眼で、足元の「羽虫」を捉える。竜が顎を開き、空気がねじ切れるほどの魔力が収束していく。万物を更地にする『混沌の息吹(ケイオス・ブレス)』。

 

「――応えろ、鋼鉄の魂ッ!! 我が身が砕けようとも、一歩も、一寸も退かぬッ!!!」

 

旅団長は、逃げるのではなく、死の奔流に向かって真っ向から突撃した。

直後、凄まじい衝撃が彼を襲う。

装甲が蒸発し、皮膚が焼け、骨が軋む。邪竜の鋭い爪が、彼の胸元を鎧ごと深く切り裂いた。

 

だが、彼は止まらなかった。

死の淵で研ぎ澄まされた意志が、折れた斧の先を邪竜の魔力核――逆鱗の奥へと突き立てた。

 

「……今だッ! 第二師団ッ!! 撃てェェェェェェッッ!!!」

 

旅団長の絶叫に呼応し、後方の魔導師たちが最後の一滴まで命を振り絞った。

 

天から降り注いだのは、光ではない。絶対零度の「虚無」の杭。

旅団長が邪竜を縫い止めたその座標に、数千人の魂を糧とした究極の封印術式が炸裂した。

 

邪竜の咆哮が、氷結の音にかき消されていく。

巨大な翼も、腐食の吐息も、神話の暴力も。すべてが永久凍土の深淵へと引きずり込まれ、一帯は音のない「氷の墓場」へと塗り替えられた。

 

数刻後。

静まり返った廃墟の中で、一人の男が雪の上に倒れていた。

胸から大量の血を流し、意識を失いかけている旅団長。彼の周りには、封印の代償として事切れた数百の魔導師たちの骸が、静かに横たわっている。

 

彼は辛うじて生き延びた。

だが、この日失ったものは、あまりにも大きすぎた。

愛する部下たち、誇り高き師団、そして北方軍の未来。

 

「……いつか……。いつか、支配してやる……。こんな……理不尽な、絶望など……」

 

薄れゆく意識の中で、彼は空を見上げた。

そこには、神々が気まぐれに振ったダイスの跡のような、冷たい星空が広がっていた。

 

邪竜の封印には成功したものの、その代償は一国の存亡を揺るがすほどに重く、平原には数えきれないほどの兵士たちの遺品が、雪に埋もれることもなく散乱していた。

 

当時の北方軍司令は、自らの血に染まったマントを握りしめ、かつての精鋭たちが肉片へと変わった平原を凝視した。

 

「軍の拠点は殆どが壊滅……。兵員は、まだ初陣も終えていない訓練生を含めて、半数以上を失った。……今後二十年の間、北方軍が組織的な軍事作戦を行うことは二度とないだろう」

 

司令は、地平線の向こうに消えた邪竜の残光を呪うように吐き捨てた。

 

「たった一つの実験の失敗にしては……あまりにも、あまりにも大きな痛手だ。我々は、神の怒りを買ったのかもしれんな」

 

その凄惨な光景を、数キロ離れた暗い塔の屋上から、無数の使い魔の目を通じて観察している者たちがいた。

魔神王軍の研究魔導顧問団である。

 

「北方軍の実験は惨憺たる結果に終わったそうだな……。おかげで我々の貴重なサンプルを無駄にしてくれたものだ」

 

研究主任の魔導師が、水晶球から目を離し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。そして、その傍らで熱心に数値を記録し続けていた、一人の若い研究員に目を向けた。

 

「……おい、新入り。何をお前、そんなに嬉しそうにしている。同盟軍の壊滅だぞ?」

 

若き日の「司祭」は、水晶球に映る絶望の景色を見つめたまま、恍惚とした笑みを浮かべて答えた。

 

「いえいえ、主任。……あまりに美しいもので。……数万の軍勢が、ただ一頭の『拒絶の意志』の前に、ゴミのように消え去る……。これこそが、魂が到達すべき真理だとは思いませんか?」

 

「狂ったか。あんな制御不能の化け物、兵器ですらないわ」

 

「ええ、あんな図体だけの竜は、まだ不完全です。……ですが、いつか私は……この災厄すらも凌駕する、真の『神』を生み出して見せますよ」

 

司祭は、自らの手帳に、女の顔のような不気味な曼荼羅の紋様を書き込んだ。

 

「巨大な身体も、強力なブレスもいらない。……ただそこに在るだけで、世界すべてを『不浄』として拒絶する……。そんな、純粋で、壊れ切った神をね」

 

「……勝手にしろ。ただし、魔神王様の耳に入らぬようにな」

 

主任は呆れたように背を向けた。

二十年前。

北方軍が物理的な破壊に絶望し、立ち直るのに二十年の歳月を費やしている陰で。

一人の若い狂人は、その敗北を肥やしにして、後に「死神」となる絶望の種を、密かに心に植え付けていた。

 

この時、彼が描いた稚拙なスケッチが、二十年後に四方世界を震撼させる「不浄の指針」へと昇華されることを、まだ誰も知る由はなかった。

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