『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
邪教団本拠地の最下層、外界から隔絶された「絶望の檻」。
そこへ続く巨大な黒鉄の重扉の前で、北方軍司令と司祭は、漏れ出してくる圧倒的なプレッシャーを肌に感じながら対峙していた。扉の向こうからは、二十年分の怨念を孕んだ邪竜の低い地鳴りが、心臓を直接揺さぶるように響いている。
「……あれから二十年か」
司令が、自身の胸元の古傷に無意識に触れ、独り言ちた。
「時が経つのは早いものだ。だが、あの邪竜によって平原が黒い死体で埋め尽くされたあの地獄は……私にとっては昨日のことのように鮮明に覚えている。あの咆哮、あの熱。……理屈では勝てぬ絶望が、そこにはあった」
「ククク。懐かしいですな。司令閣下がまだ若き旅団長として、竜の爪をその身に受けていた頃……私も当時は、右も左も分からない駆け出しの研究員に過ぎませんでした」
司祭は、懐から一枚の古びた、黄ばんだ羊皮紙を取り出した。
それは、二十年前の日付が記された、稚拙ながらも禍々しさを感じさせる一枚の「スケッチ」だった。
「これをご覧になりますか?」
司令が目を落とすと、そこには巨大な竜の影を背景に、瞳に曼荼羅を宿した「小さな少女」が描かれていた。二十年前、まだ邪竜計画が進行中だった頃に、司祭が私的に描いていた妄想の産物。
「……これが、貴公の原点か」
「ええ。当時は研究主任や同僚たちに鼻で笑われましたよ。『そんな感情的な代物に何ができる』『兵器に必要なのは圧倒的な質量と魔力だ』とね。」
司祭の瞳に、十年前の屈辱が重なる。
「その後、魔神王軍で形にした最初の試作体も……あの女によって完膚なきまでに砕かれた。至高神の光という名の欺瞞で、私の『絶望の真理』は一度は地に落ちた……。だが、それもようやく現実のものとなります」
司祭はスケッチを愛おしそうに畳み、再び懐へ仕舞った。
「二十年前の軍勢を滅ぼした『暴力の王』。……それを、私の理屈が産み落とした『死神』が食い殺す。これこそが、私が二十年夢見た真の神の誕生です。司令……貴方も見たいでしょう? あの日の恐怖が、ただの『掃除すべき不浄』に成り下がる瞬間を」
「…………」
司令は答えなかった。
だが、彼の瞳には二十年越しに恐怖を克服せんとする、武人としての昏い期待が宿っていた。
「……実験を開始する前に、備えは万全にせねばならん。司祭よ、貴公の狂気は認めるが、私は軍の長だ。再び二十年前の惨劇を繰り返すことだけは、断じて許されん」
司令は腰の軍刀の柄を軋ませるほど強く握りしめた。
「第四師団が二十年の歳月を費やし、精錬し続けた対竜用の極毒。既に潜入員の手によって奴の全身の魔力核に仕込み、いつでも起動可能な状態にある」
司令の声は、冷気よりも鋭く、そしてどこか震えていた。彼は自らの胸元にある、二十年前の古傷を無意識に押さえている。
「魔力回路を内側から腐食させ、心臓を物理的に停止させる。……理屈の上では、いかなる高位種であっても即死するはずだ。だが……司祭よ。相手はあの神話の怪物だ。ただの毒で、本当に殺せる確証などどこにもない」
司令の瞳には、かつて部下たちが「一瞬で蒸発した」光景が焼き付いて離れない。彼にとって邪竜は、生物的な常識が通用せぬ、歩く終末そのものであった。
「ククク……。ご安心を、司令。保険は私も用意してありますよ。軍の『毒』が通じぬなら、私の『檻』が奴を葬るでしょう」
司祭は、巨大な門に刻まれた禍々しい術式を指し示した。
「この試験場そのものを、私は『絶望の檻』へと作り替えました。もし死神が敗れ、毒さえも奴の混沌に飲み込まれた場合……。私は即座にこの扉を封印し、内部の空間を四方世界の時空から完全に隔離します。……奴を、この世界という名の遊戯盤から、存在そのものを『削り落とす』のです。二度と誰も触れられぬ、虚無の彼方へね」
「……時空の隔離か」
「左様。物理的な死ではなく、概念的な消失。……これならば、司令閣下も安心して、この神話の終わりを観測できるでしょう?」
司令は、司祭の狂気的な確信を聞き、ようやく心臓の震えがわずかに収まるのを感じた。
「毒で生命を止め、時空の壁で存在を消す。……なるほど、二重の保険か。これならば、あの悪夢を呼び戻すリスクも最小限と言えるな」
「ククク……。もっともその『保険』を使うことなど、万に一つも無いでしょうがね。さあ、司令。準備は整いました。貴方の過去を、私の最高傑作がゴミのように掃除する瞬間を……特等席で見届けようではありませんか」
司令は、司祭の言葉にようやく小さく頷いた。
毒による生物的な死。
時空による物理的な断絶。
これほどの「枷」を用意してなお、彼の胸騒ぎは収まらなかった。
それは、目の前の門を開けた先に待っているのが、邪竜という旧き絶望を越えた、「死神」という名の新しい絶望の誕生であることを、彼の本能が予感していたからに他ならなかった