『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第41話:第七次戦闘試験―竜殺しの拒絶―(後編)

「絶望の檻」の冷え切った大気が、一瞬で熱を帯びた。

封印を解かれた邪竜は、もはや儀式的な間合いなど必要としていなかった。その四つの眼に映る少女を、自分という王者の歴史を辱める「不純物」と見なした瞬間、神話の暴力が最速の初動で爆発した。

 

「――――――グォォォォォォッ!!!」

 

邪竜が巨躯に見合わぬ神速で踏み込む。

振り下ろされたのは、魔鋼よりも硬く、毒々しい混沌の魔力を纏った漆黒の右爪。

それはただの打撃ではない。かつて北方軍の重装甲を紙のように引き裂き、現司令の胸に消えない刻印を刻んだ、一撃必殺の断罪。

 

迎え撃つ女武闘家は、一歩も引かなかった。

彼女の瞳の中で、曼荼羅の模様が焼き付くような熱を持って高速回転を始める。

彼女の視界。

迫りくる巨大な爪は、もはや竜の体の一部ではない。

自分の領域を侵し、汚れを撒き散らそうとする「巨大なゴブリンの指」

 

「……触らせない」

 

彼女が右掌を真っ直ぐに突き出した。

 

――――――ドォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

激突。

物理的な接触はない。

だが、邪竜の爪が彼女の肌を裂く数センチ手前で、大気がガラスのようにひしゃげ、不可視の壁――【拒絶掌】と激突した。

 

衝撃の余波だけで、周囲の石床が円形に爆ぜ、隔離空間の防壁が激しく震動する。

 

「なっ……止め……止めたというのか!?」

 

観覧席で、司令が椅子から身を乗り出した。

二十年前、自らの誇りと旅団の命を粉砕したあの死の爪。それを、一人の少女が、ただの掌一つで正面から受け止め、完全に停止させている。

 

『……クク、そうだ、依代よ』

 

脳髄に響く【不浄の指針】の歓喜の震え。

 

『押し返せ! その汚泥にまみれた爪を! 二十年前に軍勢を飲み込んだ絶望など、今のお前の「嫌悪」に比べれば、砂場の泥遊びに過ぎぬのだ!』

 

「…………ッ!!」

 

女武闘家の掌に、どす黒い混沌の火花が散る。

邪竜がさらに力を込め、少女を押し潰そうと咆哮した。爪の隙間から漏れる瘴気が、彼女の武闘着を腐食させていく。

 

だが、彼女の「拒絶」は折れなかった。

怖ければ怖いほど、汚れを感じれば感じるほど、彼女の異能は際限なく膨れ上がる。

 

「……消えろ。ゴブリンッ!!!」

 

彼女が掌にさらなる「意志」を込めた瞬間、衝撃波が質量を伴って爆発した。

神話の質量が、一人の少女の拒否反応に押し負け、邪竜の巨腕が「逆方向」へと跳ね上げられた。

 

邪竜の四つの眼が、初めて「驚愕」に揺れる。

巨腕が「拒絶」の衝撃によって跳ね上げられたその刹那、地下空間の魔圧が臨界点に達した。神話の王者は、目の前の矮小な羽虫が自分の「格」を否定したことに、魂の底からの怒りを見せる。

 

邪竜の四つの眼が、どす黒い殺意で発火した。

 

『――不遜なり、人の子よッ!! 存在ごと塵に還れッ!!!』

 

邪竜がその巨大な顎を限界まで開き、喉奥に暗紫色の太陽を形成する。

北方軍十二万を戦慄させ、拠点の八割を消し去った最悪の権能。

【混沌の息吹(ケイオス・ブレス)】

 

物理的な破壊ではない。それは、対象がそこに存在するという事実を、根源から腐食させ、無へと書き換える「世界の消しゴム」である。

 

対する女武闘家は、逃げることを自分に許さなかった。

彼女の瞳の中、曼荼羅の模様が焼き切れるような熱を発し、視界のすべてを不浄の赤に染める。

 

「……来ないで。触らないで。……消えてッ!!」

 

彼女は両掌を前に突き出し、全身の混沌魔力を、そして魂に蓄積された「絶望」の全てを、右腕の術式へと流し込んだ。

 

――――――――――――ドォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

衝突。

邪竜が放った暗紫の奔流と、死神が放った無色の衝撃。

二つの「理不尽」が噛み合った中心点から、隔離空間の次元がひしゃげるような不気味な軋み音が響き渡る。

 

「……が、ぁぁぁ……ッ!!」

 

凄まじい反動。

女武闘家の足元の石床は消失し、彼女の細い肢体は地面を削りながら後退していく。衝撃波の壁を突き抜けてくる邪竜のブレスの余波が、彼女の肌を焼き、意識を白濁させる。

 

(……くっ、ああ……っ!!)

 

足元の石床が耐えきれず粉砕され、彼女の身体は数メートルも後方へと押し戻される。掌の骨が軋み、喉の奥からせり上がる血の味が口内に広がった。

 

(今まで戦ってきた、どの魔物や魔人とも比較にならない……! 押し負ける……!? 私の拒絶が、あいつの『汚れ』を抑えきれない……!)

 

目の前にあるのは、ただの暴力ではない。数千年の時を生き、混沌の加護を受けた「生命の完成形」が放つ、抗いようのない運命の重圧。

彼女が恐怖に屈しかけたその時、脳髄の奥底で曼荼羅が発狂したように回転した。

 

彼女の心が恐怖に折れかけ、掌がわずかに震えたその時。

 

『――不甲斐ないぞ、依代よッ!!』

 

脳髄を直接掴み、揺さぶるような【不浄の指針】の咆哮。

 

『思い出せ! お前を汚したゴブリンの笑い声を! お前を捨てた村人の視線を! あの竜の息吹は、それら全ての「汚れ」の集大成だ! 赦すな! 受け入れるな! 我らの「拒絶」は、こんなものではないぞッ!!』

 

指針の意志が、彼女の血管に猛毒のような力を注入する。

それはかつての「守るための武」ではなく、全てを呪い、全てを拒むための「完成された憎悪」。

 

「…………あ……ああああああああああああッ!!!」

 

女武闘家の瞳から、人間としての色彩が完全に消滅し、曼荼羅が鮮烈な深紅に爆ぜた。

押し戻されていた【拒絶掌】が、黒い稲妻を纏って膨張し、邪竜のブレスを真っ向から押し返し始める。

 

――――――――ズドドドドドドォォォォォォォォォォッッ!!!

 

「馬鹿な……ブレスが……逆流しているだと!?」

 

観覧席で司令が絶叫した。

邪竜の全力の息吹を、一人の少女の情念が物理的に叩き戻している。

力と力の勝負ではない。これは、どちらの「意志」がこの世界の理として優先されるかの対決。

 

そして、勝利したのは「少女の悲鳴」だった。

 

「消えろォォォォォォォォォォッ!!!」

 

彼女の放った最後の一押しが、邪竜の喉奥に溜まった混沌のエネルギーを、そのまま竜の体内へと叩き込んだ。

 

――――――――ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!

 

内側から爆発する邪竜の頸部。魔鋼の鱗が弾け飛び、神話の巨躯が、自らの破壊に飲み込まれて地に伏した。

 

「…………はぁ、はぁ……、はぁ……」

 

静寂。

竜を殺した。

神話を超えた。

だが、その代償として、彼女の中にあった「人間としての最後の一線」が、いま、音を立てて崩れ落ちていた。

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