『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
北方の永久凍土。空を厚く覆う暗雲の下で、数万の魔物と魔人が整列し、王都へと向けられた巨大な「角」のように布陣していた。
北方軍司令部の一角、冷たい魔力の光が灯る通信室で、北方軍司令は南方の拠点にいる司祭の影を睨みつけていた。
「――司祭よ。北の準備は整った。明朝、我が軍は国境を越え、総攻勢を開始する」
水晶球の向こう側で、司祭は自らの右肩に這う魔肉を愛おしそうに撫でながら、不気味な笑みを返した。
『ククク……おめでとうございます、司令閣下。こちらも準備は万端ですよ。断罪試験もいよいよ最終段階。明日の『最終試験』を以て、死神は真に完成します』
「……フン。神話の邪竜を塵に変えた時点で、兵器としての性能は既に十分だと思うがな。これ以上の試験に何の意味がある」
司令の声には、軍人としての冷徹な効率主義と、自軍をも滅ぼしかねない怪物への拭いきれぬ危惧が混じっていた。だが、司祭の瞳には、勝利よりも深い「狂気」の光が宿る。
『性能? 閣下、それは『道具』の評価ですよ。私が必要としているのは、『理』を書き換える意志なのです。……恐怖を克服できず、英雄と呼ばれながらも夜な夜な震え続けているあの大司教のような『不良品』は、兵器として失格ですよ』
司祭は、水晶球の端に映る、感情を失った女武闘家の姿を指差した。
『あの子には、己を壊した元凶を一方的に蹂躙させることで、魂の底にある最後の人間性を焼き切ってもらわねばならない。……それこそが、死神の完成、即ち『聖女』への完全な勝利なのです』
「……まあいい。貴公の悪趣味に付き合うつもりはないが、作戦に支障が出るのだけは許さんぞ」
司令は、卓上の地図に鋭い指を突き立てた。
「作戦計画通り、我が軍の攻勢開始から四日目。……王都軍が北の防衛に全力を注ぎ、後方の警戒が最も手薄になったその瞬間に、南方から王都を突け。死神という名の絶望を、その心臓部へ解き放つのだ」
『ククク……御意に、閣下。……楽しみですな。あの大司教が生涯をかけて守ろうとした偽りの平和が、奴と同じ傷を持ち、奴がなり損ねた『完成品』の手によって崩壊していく……。これ以上の見せ物は、神々の遊戯盤の上にもありますまい』
通信が途絶え、司令部は再び凍てつく沈黙に包まれた。
「……邪教団が作戦通りに動けばよいのですが」
第四師団長が、影のように沈んだ声で懸念を口にする。
「司祭という男、あまりに私情が過ぎる。死神の完成を優先するあまり、軍の進軍スケジュールを軽視している節がある」
「案ずるな、隠密の」
第一師団長が、巨躯を揺らして断じた。
「あの娘は神話の邪竜を葬ったのだぞ。ゴブリン如きに遅れを取ることなど、天地がひっくり返ってもあり得ん。今頃は最終試験とやらで、雑魚どもを無造作に磨り潰している頃合いだろう」
「……いや、そうとも言い切れん」
中央に座す北方軍司令が、自身の古傷に触れながら低く遮った。
「恐怖というものは、如何なる強者であろうと容易く乗り越えられるものではない。……あの『剣の乙女』が十年間震え続けているのもそうだが、我らとて……あの邪竜がもたらした絶望に、二十年もの間、魂を震わせていたのだからな」
司令の言葉は、自らの敗北を知る者特有の重みを持っていた。強大な武力を持っていても、心の傷一つで盤面は容易く崩れる。
「とはいえ、司令。あの娘の異能は、その『恐怖』そのものを力に変える術式」
第二師団長が、冷徹な分析を差し挟む。
「対象への嫌悪が強ければ強いほど、拒絶の出力は跳ね上がる。……理屈で言えば、彼女が最も恐れ、最も憎んでいるゴブリン相手ならば、邪竜の時以上の……それこそ世界を焼き尽くすほどの力を発揮できるはずです」
「空からの景色は既に戦場だ」
窓の外、舞い上がる数千の翼を見上げながら、第三師団長が不敵に笑った。
「第一次攻撃隊が王都軍の第一防衛線へ向かいました。……クク、司祭たちがしくじっても、我らのみで王都を落としてみせますよ。死神など、あくまで豪華な添え物に過ぎん」
師団長たちがそれぞれの思惑を口にする中、司令は地図上の王都、そして南の辺境を交互に見つめ、最後にこう締めくくった。
「……我らは絶望を買い、勝利を望んだ。……あの子が最後に拒絶するのが『世界』なのか、それとも『自分』なのか。……賽は既に投げられた。全軍、進軍を開始せよ。……我らの二十年を、今こそ清算する」
北方軍十二万、攻勢開始。
その咆哮は、南から吹き寄せる「拒絶」の冷気と混ざり合い、四方世界を破滅への連鎖へと誘っていった。