『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第49話:鏡の告白 ―断罪の記録―(前編)

王都

窓の外では北方軍の接近を告げる鐘の音が遠く響き、都市全体が戦火の予感に震えていた。しかし、王城の奥深く、大司教の私室には、それとは質の違う、肌を刺すような静寂が満ちていた。

 

「――失礼いたします、大司教様」

 

重厚な扉を開け、一人の騎士が入室した。その手には、泥と煤に汚れ、禍々しい混沌の気配を放つ一束の羊皮紙が握られている。

 

「……お入りなさい。例の件、動きがあったのですね」

 

剣の乙女は、目隠しの下で静かに声を震わせた。彼女の鋭い感覚は、騎士が持ち込んだ「物」から漂う、救いようのない絶望の残り香を既に察知していた。

 

「はっ。南方の山中に秘匿されていた邪教団『深淵なる拒絶の教団』の本拠地ですが……完全に壊滅したことを確認いたしました。建物は内側から爆ぜたように崩落しており、教団員および守備兵は、文字通り一人残らず消滅しております」

 

「……生存者は、皆無……」

 

「はい。まさに、この世からその存在を『拒絶』されたかのような、凄惨な現場でした」

 

剣の乙女は、黄金の天秤の杖を握る手に力を込めた。

 

「……司祭の遺体は? あの執念深い男の最期は、確認できたのですか?」

 

「いえ……。拠点の中心部には大量の血痕と肉片が散乱していましたが、司祭のものと断定できる遺体は発見されておりません。……転移の術式が強引に発動した痕跡があり、重傷を負いながらも逃走した可能性が高いかと」

 

「…………そう。やはり、あの蛇のような男が、そう容易く果てるはずはありませんね」

 

彼女は窓の外を流れる不吉な雲を見つめ、独り言ちた。

 

「解せません。……以前、教団の調査に派遣された金等級の一党が、あの不死の魔人『ケルベロス』によって全滅させられて以来、騎士団も冒険者ギルドも、これ以上の犠牲を恐れて動いていなかったはずです。……一体、誰が。勇者様が北方に釘付けにされている今、あの拠点をたった一晩で壊滅させられるような者が、この世界にいるというのですか?」

 

「分かりません……。ですが、閣下。崩壊した実験室の瓦礫の下から、奴らが記録していたと思われる日誌を幾つか回収いたしました」

 

騎士は、震える手でその黒い表紙の書物を差し出した。

 

「そこには……奴らがこの十年間、何を積み上げ、何を産み落とそうとしていたのか。その全てが、血塗られた文字で綴られていました」

 

剣の乙女が、その禁忌の記録へと手を伸ばす。

それは、自分と同じ地獄に突き落とされ、そして自分とは違う「最悪の道」を歩まされた一人の少女の、断罪の記録。

 

「…………これを、読まねばならないのですね」

 

彼女の指先が、最初の頁に触れた瞬間。

十年前の古傷が、まるで焼かれたように熱く疼き始めた。

 

剣の乙女は震える指先で、回収された黒い日誌を捲りました。そこに記されていたのは、司祭の歪んだ執念が凝縮された「素材」の選定記録。

 

最初の頁に記された、その少女の素性に、大司教の心臓は激しく脈動した。

 

『――検体名、未定。元・白磁等級。辺境の街、冒険者ギルドにて登録。職業、武闘家。……最初の依頼であるゴブリン退治において、致命的な油断により敗北。銀等級の冒険者に救出されるも、仲間の全滅と凄惨なる陵辱により、精神は完全に崩壊』

 

「…………っ」

 

剣のの乙女は、その一節に触れた指を震わせた。目隠しの下で、彼女の心眼があの日の情景を映し出す。

 

「彼……小鬼殺し様と、あの子……あの神官の娘さんが、最初に出会ったあの日。……あの凄惨な洞窟から救い出された、もう一人の少女……」

 

彼女は知っていた。ゴブリンスレイヤーが一党を組むきっかけとなったあの事件、その唯一の生き残りであったはずの少女のことを。命を繋ぎ止めたはずの救済が、司祭という狂人の目には「素材の収穫」と映っていた事実に、喉の奥が熱くなる。

 

読み進める指は、さらに残酷な真実を暴いていく。

 

『地母神の神殿にて、一ヶ月に及ぶ加護の治療を受ける。外傷は完治するも、重篤な心的外傷(PTSD)を併発。特筆すべきは、極度の接触恐怖症。他者の手が触れることを死よりも恐れ、常に不可視の壁を周囲に張り巡らせているかの如き拒絶反応を示す』

 

(……苦しかったのですね。……怖かったのですね……)

 

剣の乙女は、彼女の苦しみを痛いほど理解できていた。神殿の清浄な空気の中でさえ、自分の肌に残る「あの感触」を消し去ることができず、救いの手さえも暴力の予感として拒んでしまう。その孤独が、どれほど深い奈落であるかを。

 

『治療完了後、ギルドおよび神殿は「これ以上の回復は見込めない」と判断。引退手続きを経て、故郷の村へと送還される。……熟成の時を待つ』

 

「……熟成」

 

剣の乙女の喉が、恐怖でせり上がった。

彼女には分かる。救い出された後の、あの「静寂」がどれほど恐ろしいものかを。

 

『送還後の経過:良好。故郷の人間たちは、彼女を英雄ではなく「汚物」として扱った。ゴブリン如きに負けて、仲間を殺させ、自分だけ辱めを受けて生き長らえた恥さらし。……村人たちの向ける蔑み、石のような言葉。それらが、彼女の魂に残っていた「光への未練」を、一刻ごとに削り取っていく。』

 

「…………なんて、なんて無慈悲な……」

 

剣の乙女の唇から、絞り出すような悲鳴が漏れた。

彼女には分かる。自分も、ゴブリンに敗れたあの日、世界がどれほど冷たく見えたかを。

けれど自分には、共に戦う仲間がいた。縋るべき至高神の光があった。

 

だが、この少女には何もなかった。

命懸けで守りたかったはずの村人たちが、彼女の心にトドメを刺したのだ。

 

『彼女は毎日、自分の身体を洗っていた。皮が剥けるまで、血が滲むまで、消えぬ汚れを落とそうと。……だが、周囲の言葉という不浄は、決して洗い流せなかった』

 

司祭の筆致は、まるでその絶望を愉しむかのように、より饒舌になっていく。

 

『素材の熟成は完了した。……自ら死を選ぼうとするその絶望の極致こそ、至高神の光を拒絶する「死神」の核に相応しい』

 

記録の次の頁には、司祭が彼女を「回収」した日のことが、歪んだ歓喜と共に記されていた。

 

『絶望の果て、入水。……魂の火が消えかけるその瞬間に、我らが神の御手を差し伸べる。これより、再構築を開始。彼女の「拒絶」を、世界の理を書き換える「力」へと反転させる』

 

剣の乙女は、震える手で次のページをめくった。

そこから先は、もはや「人間」の記録ではなかった。

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