『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

55 / 107
第52話:深淵なる拒絶

ギルドの奥、重苦しい静寂が漂う一室。机の上には、三日間をかけて集められた、かつての仲間――女武闘家の足取りを記した報告書が広げられていた。

 

「……調査の結果が、判明しました」

 

報告書を読み上げる受付嬢の声は、怒りと悲しみで微かに震えていた。

 

「あの日、神殿での療養を終えて故郷の村へ戻った彼女を待っていたのは……安らぎなどではありませんでした。村人たちは、彼女を『ゴブリン如きに負けた汚物』だと蔑みました。精神を病み以前のように働けなくなった彼女を、皆で『穀潰し』と罵り、石を投げ……」

 

受付嬢は、報告書の一頁を強く握りつぶした。

 

「絶望した彼女は一年前……。村外れの崖から、激流へと身を投げたそうです。村の記録には、ただの『事故』として処理されていました」

 

「酷すぎますッ!!」

 

女神官が叫び、机を叩いた。彼女の瞳からは、大粒の涙が止まることなく溢れ出す。

 

「あの子は……あの子はあの日、あんなに怖くて、痛い思いをして……! それでも、私を逃がすために、命を懸けて戦ってくれたのに! なのに、どうして……どうしてそんな酷いことが言えるんですか……っ!」

 

「信じられないわ……」

 

妖精弓手が、吐き気を催すように顔を背けた。

「村を守るために冒険者になった女の子を、守るべきはずの連中が地獄に突き落としたっていうの? これじゃ、あの子にとって人間もゴブリンも変わらなくなって当然よ」

 

「……人の業とは、時に魔物の牙よりも鋭く魂を切り刻むもの」

 

蜥蜴僧侶が数珠を強く握りしめ、床を叩くように尾を揺らした。

「彼女がその絶望の中で、何を『小鬼』と定義したのか。拙僧らには推し量ることすら叶いませぬな」

 

「……酒が不味くなる話じゃわい」

 

鉱人道士が苦々しく吐き捨て、白い髭を震わせた。

「心が折れた冒険者に、さらなる重しを載せて奈落へ突き落とした。……これでは、あやつの中に宿った『拒絶』の炎を、誰も責めることなどできんわい」

 

一党が沈痛な空気に包まれる中、ただ一人、窓の外の闇を見つめていたゴブリンスレイヤーが、低く問いかけた。

 

「……遺体は上がらなかったか」

 

「はい。……報告によれば、下流で遺体が発見されることはありませんでした」

 

受付嬢の言葉に、ゴブリンスレイヤーは鉄兜の奥で赤い眼光を細めた。

 

「……死んだはずの者が、一年後に『死神』として現れた。……ならば、川底で彼女を拾い、その絶望を再構築した『誰か』がいる」

 

女神官が顔を上げ、潤んだ瞳で彼を見つめた。

 

「……ゴブリンスレイヤーさん。そんな……自ら死を選ぼうとした人を拾って、あんな風に……死神に変えてしまうような人たちが、本当にいるんですか?」

 

「……ああ。絶望した人間ほど、扱いやすい素材はない」

 

彼の言葉が室内の温度を奪っていく。

その時、廊下を激しい足音が叩き、扉が勢いよく開かれた。

 

「――皆! 王都の大司教様から、極秘の緊急通達よ!」

 

飛び込んできたのは、監察官だった。彼女の手には、至高神の封蝋が施された、黄金色に輝く通信用の魔導水晶が握られている。その瞳は「看破」の奇跡を全開にしているのか、鋭い光を放っていた。

 

「大司教様……剣の乙女様から、直々にですか!?」

 

受付嬢が驚愕に目を見開く。辺境の一ギルドに対し、王国の最高権力者の一人である彼女が直接連絡を寄越すなど、平時ではあり得ない事態だ。

 

「ええ。王都の諜報網が、北方の軍勢の動きと、この街で起きている怪事件の『接点』を完全に捉えたそうなの。……ゴブリンスレイヤー、貴方も聞いて」

 

監察官が水晶を机に置くと、室内の温度がスッと下がり、青白い光が虚空に像を結び始めた。光の中に現れたのは、水の都の大司教――剣の乙女。だが、その表情はいつもの慈愛に満ちたものではなく、十年前の魔神王戦を彷彿とさせる、峻烈な「戦士」のそれであった。

 

『……皆様、お久しぶりです。しかし、今はゆっくり挨拶をする時間はありません』

 

目隠し越しでも伝わる、彼女の震え。それは恐怖ではなく、かつて自分を壊した者と同じ「闇」が、再び愛する世界を飲み込もうとしていることへの怒りだった。

 

「……彼女を川から引き上げ、その魂を作り変えたのは、混沌陣営でも取り分け悪名高い邪教団――『深淵なる拒絶の教団』です」

 

その名が出た瞬間、受付嬢が小さく息を呑み、震える手で資料を握りしめた。

 

「……噂は聞いています。至高神の教えを否定し、世界の理を壊すために各地で非道な人体実験を繰り返す……最悪の狂信者たち。ギルド本部でも、その危険性は最上級に指定されています」

 

受付嬢の瞳に、職務上の知識を超えた根源的な恐怖が走る。

 

「ここ十年の大陸における、最低の犯罪者集団と言っても過言ではない連中ね」

 

妖精弓手が、怒りに震える拳を机に叩きつけた。

 

「奴らのやり口は、精霊たちさえも悲鳴を上げるほどに醜悪よ。命を、心がある生き物を、ただの『素材』としてしか見ていないんだから……!」

 

「小鬼以上に胸糞悪い奴らじゃからな」

 

鉱人道士が吐き捨てるように付け加えた。

 

「彼奴らにより怪物に変えられた犠牲者は、ある者は自我を奪われ、ある者は半人半獣のキメラに……。生かしたまま壊し続け、混沌の神に捧げる。まさに、外道の極みじゃよ」

 

「……まさか、彼奴らが裏で糸を引いていたとは。この辺境の静寂が、まさかこれほどまでに深い悪意によって作られていたとは思いませなんだ」

 

蜥蜴僧侶が数珠を強く握りしめる。石造りの部屋に、軋む音が響いた。

 

「…………何で」

 

女神官の小さな呟きが、静寂の中に落ちた。彼女の瞳からは、堪えきれない怒りの涙がこぼれ落ちる。

 

「……何で、そんな人たちが存在を許されているんですか……! 誰かを助けたいと願ったあの子が、どうしてそんな人たちの道具にされなきゃいけないんですか!!」

 

女神官の悲鳴のような叫びに、ゴブリンスレイヤーが静かに一歩、前へ出た。

 

「…………ゴブリンではないが」

 

鉄兜の奥から響く声は、岩のように硬く、冷たかった。

 

「……やっていることは、奴らと同じだ。……ならば、すべきことは変わらない」

 

「その通りです。彼らの積み上げてきた罪は、最早、神々の遊戯版そのものを汚し、壊そうとしています。」

 

聖女の言葉と共に、水晶の光が一段と強く輝いた。

それは、救われなかった一人の少女の物語が、いま、世界を揺るがす巨大な邪悪との決戦へと昇華された合図であった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。