『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
通信水晶の青白い光が、剣の乙女の痛ましげな表情をより際立たせていた。彼女の震える声は、過去の凄惨な記憶を一つ一つ手繰り寄せるように紡がれる。
「……教団の首領は、元魔神王直属の研究者――『司祭』と呼ばれる男です」
ギルドの地下室に、氷を流し込んだような静寂が広がる。
「彼は十年前の戦いにおいて、人の絶望や憎悪をそのまま魔力へと変換する術式を完成させ、一人の高潔な聖騎士を混沌の戦士へと落としました。……『闇の盾』と呼ばれたその方は、最期に私が呪いを浄化し、安らかに看取りましたが……司祭は魔神王が倒れた後も水面下に潜り、その『完成』のために研究を続けていたのです」
「……十年前の亡霊が、今になって這い出してきたというわけかい」
鉱人道士が重々しく呟く。剣の乙女は小さく頷き、自らの目隠しをなぞった。
「あの男は、あの日から私を強く憎んでいます。……至高神の光に縋り、未だにゴブリン一匹に怯え震え続けている私を、彼は『偽物の英雄』だと……恐怖の克服を諦めた『不良品』だと蔑んでいるのです」
剣の乙女の唇が、悔しさで微かに震えた。
「彼の目的は、私の完全な否定。……私と同じようにゴブリンに傷つけられ、心を壊された少女を素体とし、恐怖を『破壊の力』に変えた死神を作り出す。……それが彼なりの、私への……至高神の光への復讐。恐怖に震える私を、恐怖を力に変えたあの子に殺させることで、自分の『絶望の真理』が正しいのだと世界に証明したいのです」
「――ふざけないでよッ!!」
沈黙を破ったのは、妖精弓手の激しい怒声だった。彼女は机を強く叩き、長い耳を鋭く逆立てて叫んだ。
「たったそれだけのこと? そんな、自分の中にある歪んだ正解を証明したいっていうだけの妄執のために……! あの子の人生を滅茶苦茶にしたっていうの!?」
「……左様。それは信仰でも野望でもない。ただの、あまりにも醜悪な『嫌がらせ』に過ぎぬ」
蜥蜴僧侶も、その巨大な拳を握りしめ、低く唸った。
女神官は、ただ呆然と水晶の中の聖女を見つめていた。
大司教様を貶めるためだけに、あの子は地獄に引きずり戻された。
自分を助けてくれたあの子の勇気が、悪意の種として利用された。
鉄兜の覗き窓の中で、ゴブリンスレイヤーの赤い眼光が、かつてないほど静かに、そして苛烈に燃え上がっていた。
「……司祭、か」
その名は、すでに「殺すべき対象」として彼の脳内に刻み込まれていた。
「……ですが一ヶ月前。あれほど強固に秘匿されていた邪教団の本拠地は、一夜にして完全に壊滅しました」
「壊滅……? ギルドも軍も手を出せなかった拠点がですか?」
受付嬢の問いに、剣の乙女は静かに頷いた。
「理由は明白です。……彼らは、あの子の制御に失敗したのです。拒絶の力を研ぎ澄ませすぎたあまり、彼女の『不浄の指針』は自分を造り変えた主たちさえも、掃除すべき不浄――『ゴブリン』と見なしてしまった……」
「……ハッ、自業自得ね」
妖精弓手が、冷え冷えとした声で吐き捨てた。
「自分たちが植え付けた絶望に、自分たちが飲み込まれたってわけ。同情の余地なんてこれっぽっちもないわ」
「左様。自らが研いだ刃に首を跳ねられたというわけですな」
蜥蜴僧侶が重々しく頷いたが、剣の乙女の警告はそこで終わらなかった。
「……今、辺境の街を彷徨っているのは、もはや誰の駒でもありません。司祭の枷さえも引き千切り、自身の衝動のみに従う、制御不能の『断罪の化身』です。……そして、最も危惧すべきは司祭の生死です」
一党の表情が、さらに険しさを増す。
「あの子の拒絶を間近で浴びながらも、司祭の遺体は発見されていません。奴は混沌の魔術を駆使し、重傷を負いながらも、どこかで生き延びているはずです。……そして、あの子を再び己の支配下に戻すため、最悪の策を練っているでしょう」
「……執念深いな。自分を殺しかけた相手を、まだ道具にしようというのか」
ゴブリンスレイヤーの低い声が響く。
「それだけ、あの子の異能が魅力的だということです。……そして、問題は司祭だけではありません」
剣の乙女は、水晶の向こうで王都の北側――戦火の絶えぬ地平を見つめた。
「あの子が手に入れた『拒絶』の力……。それを戦略兵器として利用し、王都を……この四方世界の秩序を根底から滅ぼそうと画策する、巨大な軍勢も動き出しています」
「巨大な、軍勢……」
女神官がその言葉を震える唇で繰り返すと、隣で腕を組んでいた蜥蜴僧侶が、重々しく目を細めた。
「……北方軍のことですな、大司教様」
「彼奴らによる此度の大攻勢と、この街に現れた死神。無関係ではないのじゃろう」
鉱人道士が苦々しく髭をひねる。その隣で、妖精弓手が憤りに震える手で弓の弦を弾いた。
「当然よ。あれだけの異能を持った『生物兵器』の開発なんて、いくら邪教団と言えど、一組織の手に負える規模じゃないわ……莫大な資金、高度な魔導技術、そして何より……実験に使うための膨大な『素材』。それらを用意できるのは、国を揺るがす軍隊の影しかない」
剣の乙女は、重苦しく頷いた。
「……その通りです。北方軍の司令部は、死神の研究に必要な莫大な資金と『素材』を提供しました。そして、教団が死神を完成させた暁には、北からの本隊の侵攻に呼応して、南の辺境に死神を解き放ち、王都を挟み撃ちにする。……それが彼らの描いた、四方世界を蹂躙するための侵攻計画でした」
「……っ!!」
女神官の顔から血の気が引いていく。あの日、命を懸けて自分を助けてくれた仲間。その彼女が、ただ王都を効率的に滅ぼすための「挟み撃ちの駒」として利用されていた。
「許せません……。あの子が味わったあの地獄も、流した涙も……。全部、全部自分たちの戦争を有利にするための道具にするなんて……!!」
女神官の叫びを受け止めるように、剣の乙女はさらに残酷な現状を告げた。
「……ですが、神々のダイスは彼らに微笑みませんでした」
剣の乙女の声が、一段と低くなる。
「教団が死神の最終調整で制御に失敗し、拠点が壊滅したことで、作戦は根底から頓挫しました。王都軍を背後から食い破るはずだった切り札は、いまや北方軍にとっても、近づけば自分たちさえも塵に変えかねない制御不能の『災厄』と化したのです」
「……二十年前の『邪竜』と同じじゃない」
妖精弓手が、かつての戦史に刻まれた惨劇を思い出し、吐き気を催すように声を荒らげた。
「懲りない連中ね! 二十年前に自分たちが作り出した化け物に壊滅させられかかったくせに、また同じ過ちを繰り返すなんて……! どれだけ世界に絶望を振りまけば気が済むのよ、あいつらは!!」
「左様。自ら産み落とした絶望に、再び喉元を焼かれているというわけですな」
蜥蜴僧侶が断じるが、剣の乙女の次の言葉が、再び一行を戦慄させた。
「……ですが、北方軍司令部は、まだ諦めていません。彼らにとって、死神は唯一勇者を足止めし、王都を落とせる可能性を持つ『至高の兵器』。……彼らは、あの子を再び支配下に置くために、既に動き出しています」
司祭の執念、そして軍隊の非情。
二つの巨大な悪意が、いま、死神の正体を知った一党のすぐ背後にまで迫っていた。