『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第54話:虚無の軍勢(前編)

南方の空は、不吉なほどに重い雨雲に覆われていた。

その湿った空気の中を、音もなく移動する漆黒の集団があった。北方軍第四師団・第二密偵連隊。

 

彼らは、北方軍の中でも異質な存在である。司祭から提供された精神変容術式を軍事的に昇華させ、「感情抑制訓練」を極限まで積み上げた者たちだ。恐怖も、高揚も、そして獲物を狙う際の「殺意」さえも、彼らは自らの脳内で虚無へと変換する。それゆえ、死神の持つ「不浄の指針」という名のレーダーを掻い潜り、背後から「枷」を嵌め直せる唯一の兵種であった。

 

連隊本部が置かれた薄暗い天幕に、通信水晶が不気味に明滅した。

 

「――報告。壊滅した教団跡地を捜索中の第二大隊より入電。」

 

通信兵の声は、訓練通りの無機質な響きを保っている。

 

「司祭殿の遺体は発見できず。地下祭壇にて、高位の『転移の巻物(スクロール)』を使用した形跡あり。重傷を負いながらも、転移によって脱出したものと推測されます」

 

「……逃げたか。あの執念深い毒虫め」

 

連隊長が、感情を排した瞳で地図を睨みつける。

 

「だが、この広大な南方の全域を、我ら第二連隊のみで虱潰しに捜索するのは不可能だ。勇者が北の戦場を平らげる前に、司祭と『死神』の身柄を確保せねばならんというのに」

 

「連隊長、司祭の目的は明白です」

 

冷静に言葉を挟んだのは、傍らに控える第三大隊長だった。

 

「奴にとってあの死神は、十年の歳月と己の全てを注ぎ込んだ、剣の乙女への復讐の結晶。制御を失ったからとて、容易く手放すはずがありません。司祭が生きて脱出したのなら、死神を再び支配下(檻)に戻すべく、必ずその近くに潜伏しているはずです」

 

「……全くだ。飼い主が、自分の放した『猟犬』を追わぬはずがない」

 

連隊長は軍手で顔を拭い、低く命じた。

 

「方針を変更する。司祭を追うのではない。『死神』を追う。奴の移動経路には、不浄を嫌うあの瞳が指し示した『ゴブリン』と、それに類する『悪党』どもの屍の道標ができているはずだ。それこそが、最も確実な追跡ルートとなる」

 

その指示が終わるか否かの瞬間、通信水晶が激しく、鋭い光を放った。

 

「――入電! 辺境の街方面に先行していた第一大隊より緊急報告!」

 

通信兵が身を乗り出す。

 

「辺境の街より数キロ圏内、座標2-0-8にて、大規模なゴブリンの巣穴の跡地を発見! 状況は壊滅的……! ホブ、シャーマン、チャンピオンに至るまで、全個体が単一の衝撃波によって『粉砕』されています! 生存反応、皆無!」

 

「見つけたぞ。……死神は、辺境の街に帰還したか」

 

連隊長は立ち上がり、背後の影に控える兵士たちを見据えた。

 

「全軍に伝達。直ちに辺境の街へ転進せよ。……感情を殺せ。石になれ。一滴の殺意も漏らすな。……死神の鼻先で、あの司祭を捕らえ、『枷』を再び嵌め直すぞ」

 

――辺境の街、北西の山中。

「……凄まじいな。質量による破壊ではない。存在そのものを空間から削り取っている。これがあの娘の放つ『拒絶』の力か」

 

第一大隊長が、かつて玉座があったはずの場所にある「肉の飛沫」を見上げ、感情を削ぎ落とした声で呟いた。その背後には、黒い軍装に身を包んだ第一中隊長が、石像のように直立している。

 

「大隊長。連隊本部より入電。連隊主力も現在、こちらに合流すべく南下を加速させております」

 

「……よろしい。だが、主力の到着を待つ猶予はないな」

 

大隊長は手元の魔導通信機を閉じ、第一中隊長を鋭く見据えた。

 

「第一中隊。貴公らは直ちに本隊を離れ、先行して『辺境の街』に潜入せよ。司祭殿の行方を突き止め、合流の準備を整えるのだ」

 

「御意」

 

「……忠告しておく。慎重に動け。相手は……あの伝説の暗殺者、冥王の『無』すら看破して粉砕した怪物だ。僅かでも殺意や任務への気負いを見せれば、その瞬間に指針が貴公らを捉えるぞ」

 

大隊長の言葉には、かつての戦友を失った戦慄が微かに混じっていた。第二密偵連隊の強みである「感情抑制」すら、今のあの娘にとっては「不純物」として検知される恐れがある。

 

「街が『掃除』される前に……司祭殿を確保し、あの娘への支配権を取り戻す。……それが、我ら第一大隊に課せられた唯一の勝利条件だ。行け」

 

「はっ。……これより潜入を開始します」

 

中隊長の合図と共に、百余名の「空白の影」が音もなく洞窟の入り口へと消えていった。

 

雨に打たれる森。その暗がりの中を、感情を凍結させた兵士たちが、街へと続く道を走り出す。

一人の少女を「兵器」に戻そうとする北方の牙が、着実に辺境の喉元へと迫っていた。

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