『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第55話:虚無の軍勢(後編)

通信水晶の光が激しく明滅し、王都の緊迫した情勢を物語る。剣の乙女の背後からは、神殿の鐘の音が鳴り響き、武装した聖騎士たちの足音が重なっていた。

 

「……時間がありません。私はこれから王都に潜入した北方軍の密偵部隊を倒さねばなりません。彼らが城門を内側から開く前に、この『睨み』で不浄を焼き払う必要があります」

 

彼女の声は、大司教としての峻厳な覚悟に満ちていた。だが、その目隠しの奥にある想いは、ただ一点、辺境の街で彷徨う「もう一人の自分」へと向けられている。

 

「もしも……もしもあの子が再び司祭の支配下に戻れば。あの子の衝撃が『枷』によって制御されてしまえば……その時は、この世界も、王都も……そして、何よりあの子自身が、二度と救われぬ奈落へ堕ちてしまうでしょう」

 

剣の乙女は、祈るように両手を重ね、鉄兜の男を見つめた。

 

「……お願いします、ゴブリンスレイヤー様。……どうか、あの子を……救ってください」

 

「……ああ」

 

ゴブリンスレイヤーの短く、けれど揺るぎない返答。その一言に、女神官も強く頷き、聖杖を握りしめた。

 

「……あの子の痛みを、そんな汚い人たちの道具になんか、絶対にさせません……!」

 

「……至高神の加護が、皆様と共にありますように」

 

その言葉を最後に水晶の光は消え、室内に重苦しい静寂が戻った――はずだった。

 

――ドンッ!!

 

ギルドの正面扉が、乱暴に跳ね開けられる。

 

「た、大変だッ!! 報告ッ!!」

 

息を切らし、泥と雨に塗れた一人の冒険者が、転がるようにして駆け込んできた。その顔は、極限の恐怖によって真っ白に引き攣っている。

 

「北方軍だ! 北方軍の一個大隊が、この街の北方に展開を開始した! 既に包囲網が敷かれつつある!!」

 

「……大司教様の警告通りね」

監督官が、窓の外の暗い北空を睨みつけた。受付嬢が身を乗り出し、鋭く問い返す。

 

「どの部隊ですか!? 紋章は確認できましたか?」

 

冒険者は、震える指で北の空を指差した。

 

「……最悪の相手だ。紋章は銀の双角……第四師団の最精鋭、『第二密偵連隊』! 感情を殺し、影に紛れる『虚無』の軍勢だッ!!」

 

冒険者ギルドの中には、言葉を失うような重苦しい沈黙が流れた。女神官は、震える手で自らの胸元を抑え、監督官へ問いかけた。

 

「……そんなに危険な部隊なんですか?」

 

監督官は、地図の一点――北方の山脈へと向けたまま、静かに口を開いた。

 

「北方軍の第四師団……通称『影蝕(えいしょく)』。彼らは正面切っての戦争ではなく、暗殺と諜報によって国を内側から腐らせる隠密部隊よ。師団を構成する四つの連隊は、それぞれが人知を超えた異能、あるいは禁忌の技術を持っているわ」

 

受付嬢が、震える手で機密文書をめくり、その内実を読み上げる。

 

「影の中に潜り込み、物理的な壁さえ無視して首を刈る『第一密偵連隊』。対象の姿、声、果ては記憶の一部までも模倣して成り代わる『第三密偵連隊』。そして、大気を汚染し、一滴の滴りで軍団を全滅させる毒物のスペシャリスト『第四密偵連隊』……」

 

「中でも、いまこの街に向かっている第二連隊は、感情を抑制する訓練を積んだ『虚無』の暗殺者たちよ。恐怖も、怒りも、そして人を殺める際の『殺意』すらも、奴等は魔導術式で凍結させている。……いわば、意志を持った精巧な人形の軍団なの」

 

妖精弓手が、不快そうに肩をすくめた。

「最悪ね。森の精霊たちですら、感情のない連中の足音は聞き取れないわ。……あいつら、ただそこに『居る』だけなのに、殺しを遂行するまで誰にも気づかせないんだから」

 

「……感情を殺した暗殺者。殺気も、闘気も纏わぬ刃は、武を志す者にとって最も防ぎがたき『虚無』。拙僧らの感覚さえも、石ころを相手にするかのように欺かれることでしょう」

 

蜥蜴僧侶が数珠を強く握りしめ、冷や汗を拭う。

 

「地を這う毒虫よりもしつこく、石のように気配を消す連中じゃ。並の冒険者じゃ、喉元に刃を当てられるまで、死神が側に立っておることにも気づけんぞ」

 

鉱人道士が酒袋を強く煽り、不気味な沈黙を飲み込んだ。

 

その喧騒を断ち切るように、ゴブリンスレイヤーが低い声で結論を下した。

 

「……奴らの目的は、恐らく司祭の捜索だ」

 

「捜索?」

 

「ああ。司祭が『死神』を再び繋ぎ止めるための鍵を持っているなら、北方軍にとって司祭の確保は王都陥落の絶対条件になる。……感情を持たぬ軍勢であれば、あの娘の『不浄の指針』にも検知されにくい。……奴らは、死神の鼻先を掠めて、司祭を掠め取るつもりだ」

 

ゴブリンスレイヤーの赤い眼光が、閉ざされた扉の向こうを見据える。

 

「……司祭が先か、軍勢が先か。あるいは、あの娘が全てを掃除するのが先か。……もたもたしている時間は無いぞ」

 

その言葉は、辺境の街に訪れた「静かなる終末」への、一党による逆撃の合図となった。

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