『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第56話:切り札

ゴブリンスレイヤー1党が死神による路地裏での戦いの翌日

街外れの湿った森に佇む、半ば崩れかけた廃屋の奥深く。

湿り気とカビ、そして腐敗した魔力が混ざり合う暗がりのなかで、司祭は血の滲む手で魔導通信機を弄っていた。

 

「……あ、が……ッ……!!」

 

右半身を失った激痛を混沌の呪文で強引に抑え込みながら、彼は手元の魔水晶に映し出される「死神」の波形を凝視する。

 

「誤算だった……あの術式、【不浄の指針】は今や確固たる意志を持ち始めている。ただの異能ではない……。あの娘に向けられるありとあらゆる悪意を喰らって、無限に進化を続けているのだ」

 

司祭は、震える左手で壁に刻まれた暦をなぞった。

混沌の調整が効くのも、彼女が『人』としての輪郭を保てるのも、もはや限界が近い。

 

「猶予はあと十日。十日以内に再び『枷』を嵌め直さねば、あの化け物は制御不能のまま世界を掃除し尽くすだろう。だが……」

 

司祭の瞳に、深い苦悩と戦慄が宿る。

 

「……奴に、どうやって近づけばいい? 万物を粉砕するあの絶対的な『拒絶』……。あれを真正面から打ち破り、懐に飛び込める者など、四方世界広しと言えど、あの黄金の光――勇者以外に誰がいるというのだ……ッ!」

 

その時、手元の水晶が不気味に明滅し、街に放っていた使い魔からの報告を映し出した。昨晩、第三街区の裏路地で起きた「ある衝突」の記録である。

 

情報を読み進めるにつれ、司祭の顔が驚愕に歪んでいく。

 

「……な、何だと!? 昨日、あの死神と正面から交戦して、生き延びた冒険者の一党がいるだと……!?」

 

司祭は椅子を蹴り飛ばし、叫んだ。

 

「あり得ん! 邪竜すら屠ったあの娘を相手に、こんな辺境の街の冒険者風情が生還できるはずがない! 衝撃の檻に触れた瞬間に、塵となって消えるのが道理だというのに……!」

 

彼は食い入るように、映像のなかの「銀等級」の一行、特にその中心に立つ鉄兜の男と、祈りを捧げる少女の姿を凝視した。

 

「……成る程。あの『小鬼殺し』の一党か」

 

司祭の指先が、水晶球の表面を這うように女神官の顔をなぞる。彼の脳内にある膨大な「被検体記録」の断片が、数年前のあの日、血と汚泥にまみれた洞窟の記憶を呼び起こした。

 

「この神官の娘……。見覚えがあるぞ。……クク、そうか。死神がゴブリンに壊された時の、唯一生き残った仲間だったな」

 

司祭は、自らの欠けた右半身を強張らせ、愉悦に肩を震わせた。

 

「あの『始まりの洞窟』で、死神が自らの尊厳を投げ打ってまで逃がそうとした『光』……。それが、いま目の前に現れたというわけか」

 

彼の明晰な頭脳が、即座に一つの仮説を導き出す。

なぜ、あらゆる接近者を粉砕するはずの【不浄の指針】が、昨夜の路地裏で狂いを見せたのか。

 

「……道理で、指針が反応せぬはずだ。あの死神にとって、この娘だけは……何があっても『不浄』と定義してはならぬ、魂の最奥に隠された聖域なのだからな。あの子の認識が、神官の娘を『ゴブリン』と見なすことを拒んでいるのだ」

 

司祭は、手元の魔導書に禍々しい術式の補正を書き込んだ。

 

「これこそが、天から与えられた最後の一手。……この娘さえ手中に収めれば、あの制御不能の死神の懐に、無傷で潜り込むことができる。そして……」

 

司祭の瞳に、残酷な確信が宿る。

 

「……あの子が最も守りたかった『慈悲』を媒介にして、私の術式を直接流し込んでやろう。今度こそ、逃げられぬほどに強固な、絶望の枷をね」

 

――北方戦線、北方軍本営。

通信用の魔鏡がどす黒く脈動し、ノイズ混じりの映像が浮かび上がった。そこに映し出されたのは、右半身を失い、肉塊と化した部位を魔力で強引に繋ぎ止めた司祭の、無惨な姿だった。

 

「――生きていたのか! 貴様、第二密偵連隊が血眼になって探し回っているぞ!」

 

北方軍司令は魔鏡に詰め寄り、吠えるように叫んだ。

 

「報告しろ! 南方の拠点が消滅したと聞いたぞ。死神はどうなった! 王都を南北から挟み撃ちにする我が軍の計画が、貴様の不手際でどれほど遅滞していると思っている!」

 

『ククク……お気遣い痛み入ります、司令閣下。ですが、もはや第二密偵連隊の「感情抑制」ごときでは、あの子の瞳――不浄の指針を欺くのは不可能でしょう。あの子の拒絶は、既に理性的殺意すら不純物として排除する領域に達しています。軍隊という「組織的害意」そのものが、あの子を昂ぶらせる燃料になる……』

 

「何だと……!? では、もはや奴を制御する術はないというのか!」

 

『いいえ……枷を嵌め直す「切り札」を見つけました』

 

司祭は血の滲む指で、一人の少女を映し出した。

それは、ギルドで不安げに立ち尽くす、地母神の神官だった。

 

『この神官の娘……。死神がゴブリンに壊されたあの日、唯一生き残った、彼女がその命を賭して守り抜いた仲間です。……この娘こそが、死神の深層心理に残された最後の光……一切の害意も、計算も、劣情も持たぬあの娘の「無垢な慈悲」だけは、指針の探知をすり抜けることができる。……あの娘を媒介にすれば、死神の心臓に再び私の呪印を届かせることが可能です』

 

「…………」

 

司令は沈黙した。一人の少女の「慈悲」が、十二万の軍勢を凌駕する兵器の制御キーになる。軍人としては到底受け入れがたい非論理的な理屈だが、現状、死神の暴走を止める手段が他にないことも事実だった。

 

「……いいだろう。第二密偵連隊の第一大隊が既にそちらに向かっている。司祭よ、貴様も街へ潜入し、大隊と協力してその娘を確保せよ。そして――死神に『枷』を嵌め直せ」

 

司令は魔鏡の向こうの司祭を、殺意の籠もった瞳で射抜いた。

 

「いいか、司祭。これが最後の好機だ。……もし失敗すれば、王都を蹂躙するより先に、貴様をこの世から消し去ってやる。……二度と私の前に姿を現すな」

 

『クク……、御意に司令。……至高の絶望を、貴方の卓上にお届けしましょう』

 

通信が途絶え、司令部に冷たい静寂が戻った。

一人の少女の慈悲を、世界を滅ぼすための「部品」として利用する。

神々の遊戯盤の上で、最も残酷な「詰み」の一手が、辺境の街に向けて打たれた。

 

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