『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
ギルドの作戦室。窓の外では激しさを増す雨が石畳を叩き、不気味な静寂を街に強いていた。ゴブリンスレイヤーは、濡れた地図の上に無造作に短剣を突き立てた。
「……すぐに動くぞ。北方軍が司祭を確保する前に、俺たちが奴を仕留める」
鉄兜の奥で、赤い眼光が鋭く光る。その言葉に、妖精弓手が自身の弓の弦を弾き、凛とした声を上げた。
「上等よ!一人の女の子の人生を滅茶苦茶にして、世界を壊そうなんて……。今までの悪行の報い、たっぷり受けさせてやるわ!」
「……ですが、状況は極めて深刻です」
受付嬢が、震える手で街の防衛地図を指し示した。
「衛兵団やギルドの主力は、街の北に展開している第2密偵連隊の大隊に備えています。……ですが、あちらは本物の『軍隊』。もし彼らが本気で街を襲えば、この街の防衛網は一時間も持たないでしょう」
「しかも、彼奴らの連隊主力が到着するのも時間の問題じゃな」
鉱人道士が苦々しく髭をひねる。
「のんびりしておる暇はないわい。その前に元凶の首を獲らねばならん」
「拙僧も同感にございます。……しかし、小鬼殺し殿。肝心の司祭の手がかりは? 奴がどこに潜んでいるか見当はついているのですかな?」
蜥蜴僧侶の問いに、ゴブリンスレイヤーは静かに頷いた。
「……昨日、遭遇したあの『行商人』だ。……隠してはいたが、あの傷の深さ。そして、何よりあの不自然な死臭……。ゴブリンロードですら持たぬ、積み上げられた死の臭い。間違いなく奴が司祭本人だ」
「…………っ!」
女神官が息を呑んだ。自分に「ありがとう、優しい娘さん」と微笑んだ、あの傷だらけの男。その穏やかな仮面の下に、救われたはずの少女の人生を蹂躙し、兵器へと造り替えた醜悪な精神が潜んでいた。
「あの人が……あの子をあんな姿に変えた、本当の怪物……」
女神官の瞳に、自責を上書きするほどの激しい怒りが灯る。
あの日向けた自分の慈悲が、司祭にとっては「利用価値のある弱点」にしか見えていなかった。その事実が、彼女の覚悟をより強固なものへと変えた。
「あの傷では、そう遠くには行けないはずだ。潜伏場所は限られている。……昨日、奴と遭遇した第二街区。あそこの廃墟や地下倉庫を洗う。……北方軍に見つかる前に、俺たちが先に奴を『処理』する」
ゴブリンスレイヤーが装備を整え、出口へと歩き出す。
「行きましょう」
女神官が、しっかりと自分の杖を握り直した。
「……これ以上、あの子の心を、誰の道具にもさせないために」
ギルドの重厚な扉を開け、一党が雨の夜へと踏み出した、その瞬間だった。
――――――――――――ドォォォォォォォォォォォォンッ!!!
鼓膜を直接叩き潰すような、凄まじい衝撃音が街全体を震わせた。爆発の熱風はない。ただ、物理的な質量が空間ごと爆ぜたような、心臓が跳ね上がるほどの破砕音。ギルドの窓ガラスが激しくガタつき、軒下の雨どいから溢れた水が霧となって舞い散る。
「――っ!? 何よ、今の! 魔法!? それとも、まさか……」
妖精弓手が、耳を塞ぎながら叫ぶ。精霊たちが恐怖に怯え、大気の流れが乱れているのを彼女の肌が敏感に感じ取っていた。
「もしや、北の軍が総攻撃を開始したのですかな!? この衝撃、ただ事ではありませぬぞ!」
蜥蜴僧侶が身を低くし、腰の刀の柄を握りしめる。だが、その隣で鉄兜の男は、北の空を見上げたまま、冷徹に断定した。
「……違う。この音は聞き覚えがある。恐らく、死神だ」
「その通りよ……っ!」
背後から鋭い声が響く。振り返ると、そこには血相を変えた監督官が、魔導水晶を握りしめて走り寄ってくるところだった。
「偵察に出ていた冒険者から連絡があったわ。……信じられない。街の北方に展開していた北方軍の一個大隊五百名……たった今、『全滅』したわ」
「なっ……全滅!? 五百人が、今の音一発でか!?」
鉱人道士が絶句する。監督官は震える手で、遠く北の森を指差した。
「でも……おかしいです」
女神官が震える声で問いかける。
「あの部隊は感情を抑制する訓練を受けていたはずじゃ……あの子の『不浄の指針』を欺けるはずだったのに、どうして……?」
「……恐らく、あの娘にとって、軍隊という組織そのものが最大級の『汚れ』として映ったんだろう」
ゴブリンスレイヤーが、冷徹な分析を口にする。
「個人の殺意を殺したところで、軍隊には『命令』があり、『任務遂行への執着』がある。……あいつの指針は進化した。もはや、整然と並び自分を檻に入れようとするその『規律』さえも、ゴブリンの卑屈な欲望と同じ不浄として認識したというわけだ」
「でも、これはチャンスよ!」
妖精弓手が、自分を奮い立たせるように叫んだ。
「北方軍の戦力はこれで激減したわ! 街を包囲していた連中が混乱している今なら、司祭を追い詰める隙ができる!」
「……ああ。不純物が一つ、盤面から消えた」
ゴブリンスレイヤーは剣を引き抜き、雨のカーテンの向こう、第二街区の方角を見据えた。
「行くぞ。……連隊の主力が来る前に、全ての元凶を断つ」
1党は雨の幕の向こう、第二街区の方角を見据えた。
五百の精鋭を「ゴミ」として掃除した一人の少女の悲鳴が、まだ耳の奥に残っているような気がした。