『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
第二街区の片隅にある打ち捨てられた石造りの地下貯蔵庫。カビと湿気に満ちた闇の中で、魔法灯の青白い光が揺れていた。
「――こちらにおられましたか、司祭殿」
闇を裂いて現れたのは、漆黒の隠密装束を纏った第一中隊長だった。彼の背後には、雨に濡れ、無機質な眼差しを湛えた数名の精鋭兵たちが、音もなく控えている。
貯蔵庫の奥、崩れかけた椅子に深く腰掛けていた司祭は、自らの右半身を蝕む魔肉を、執拗に指先でなぞりながら顔を上げた。
「おや、お務めご苦労。精強なる第二密偵連隊の諸君。……して、大隊長殿はどうされたかな? 街の外で大隊主力を率いているはずだが」
「……報告いたします。我ら第一中隊を除き、第一大隊は死神の急襲を受け、全滅いたしました」
第一中隊長の声には、悲しみも憤りもない。ただ、故障した機械が事実を告げるような冷淡な響きがあった。
「クク……、クハハハハ! 素晴らしい。感情抑制訓練を極め、心を虚無としたはずの君たち精鋭五百名すら、一撃で掃除してのけたか。不浄の指針の成長速度は、私の想定を遥かに超えているようだ」
「……笑い事ではありません」
第一中隊長が、感情のない瞳で司祭を射抜く。
「これ以上の損害は、我が連隊の壊滅を意味します。司令部もこれ以上の浪費は許さぬでしょう。……本題に入ります。例の神官の娘は、現在第二街区で一党と共に、我が方の第三小隊と交戦中です。……司祭殿、死神を再び支配下に置くための『枷』の準備は?」
「問題ない。あの娘さえ確保すればいつでも嵌め直せるよ」
司祭は、禍々しく脈動する呪印の断片を掌の上で転がした。
「……しかし、第三小隊には厳命しておきたまえ。間違っても、あの娘を傷つけるような真似はさせないように、とな。不浄の指針を欺けるのは、彼女の持つ『汚れなき慈悲』のみだ。彼女に傷を負わせ、心にわずかでも恐怖や憎悪という不純物を生じさせれば、指針に検知されるようになってしまう」
司祭は立ち上がり、黒い法衣を翻して洞窟の方角――北西の空を見据えた。
「小鬼殺しとあの娘は、殺さずに追い詰めろ。そして……『あの場所』へ誘導するのだ。全てが始まった、あの惨劇の洞窟へ」
「……あの日、全てが始まった、あの場所ですか」
「そうだ。絶望が産声を上げた場所で、彼女は再び、私の飼い犬へと戻る。……因縁の輪を閉じるには、あそこ以上に相応しい舞台はあるまい」
「了解しました。……第三小隊に通信。獲物を西門の外へ追い込め。……死神が我らに気づく前に、全てを終わらせるぞ」
――激しい雨が石畳を叩く音に混じり、硬質な金属音が路地裏に響き渡る。
北方軍第四師団・第二密偵連隊、第三小隊。
感情を殺した兵士たちの動きは、一分の無駄もなく、流れるように一党を追い詰めていく。
「――っ、この連中……! 第四師団の最精鋭ってのは、ハッタリじゃないみたいね! 手数が多い上に、一歩も引かないじゃない!」
妖精弓手が至近距離で放たれた一突きを小刀で辛うじて弾き、舌打ちをした。普段なら矢を射る隙を作れるはずの連携が、敵の無機質な突撃によって封じられる。
「感情に由来する剣気、闘気、殺気が一切ありませぬ……! 拙僧の眼を以てしても、これほどまでに初動が読めぬ相手は初めてにございます!」
蜥蜴僧侶が竜牙刀を振るい、三人の兵士を同時になぎ払う。だが、吹き飛ばされた兵士たちは痛みを感じていないかのように、空中で体勢を立て直し、着地と同時に再び肉薄してくる。
「酒も回らぬほどの無機質な刃よ! 術を練る隙も与えてくれん……まるで精霊の宿らぬ石人形と打ち合っておる気分じゃわい!」
鉱人道士が手斧を構え直し、苛立ちを露わに叫ぶ。彼が土の精霊を呼ぼうとする先から、兵士たちがその立ち位置を物理的に潰しにくる。
「――っ! 《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」
女神官の切実な祈りと共に、黄金の『聖壁』が展開された。正面から突き出された三本の剣が、障壁に阻まれて火花を散らす。
「…………」
鉄兜の奥で、ゴブリンスレイヤーの赤い眼光が鋭く光った。彼は自分たちを取り囲む兵士たちの立ち位置、そして執拗に女神官を「一点」へ追い込もうとする動きを見逃さなかった。
「……殺しに来ていない。……俺たちを引き離し、西へ追い込むつもりだ」
「なんですって……!? この状況で、手加減してるって言うの?」
妖精弓手が驚愕の声を上げる。兵士たちは一党の攻撃を最小限の動きで捌きつつ、巧みな連携でゴブリンスレイヤーと女神官、そして残りの三人の間に「楔」を打ち込んでいた。
「作戦通りだ。……標的を分断せよ」
兵士の一人が、感情のない声で呟いた。その瞬間、路地の屋根から大量の煙幕弾が投げ込まれ、視界が真っ白な闇に包まれる。
「しまっ……! 神官ちゃん!!」
「かみきり丸!!」
仲間の呼ぶ声が、雨音と爆音にかき消されていく。
霧が晴れた時。
第二街区の迷路のような路地には、女神官を護りながら走るゴブリンスレイヤーと、彼らを執拗に追い立てる沈黙の影たちの姿しかなかった。
一党は分断された。
そして、その逃走経路の先には、あの惨劇が産声を上げた「始まりの洞窟」が、大きな口を開けて待ち構えていた。